ブログ立ち上げ以前の活動と森山の様子を何回かに分けてご紹介させていただいております。
今回は、
令和3年4月30日におこなわれた、五城目高校森山登山の様子です。(当日に書いた記事です)
本日4月30日(金)
我が五城目町に建つ、湖東の砦!県立五城目高校の恒例行事である『森山登山』が2年ぶりに行われました。
昨年は森山へのクマ出没情報のためできなかったのですが、今年は『もっと森山をもりあげ隊(=3MO隊)』全面協力のもと開催に至りました。
出発前、学校体育館に全校生徒が集まり簡単な出発式が行われ、3MO隊の工藤代表と共にお邪魔して森山についてのお話をさせていただきました。
パワポを使って、森山の思い出、眺望、野鳥、山野草を説明する3MO隊の工藤代表。
この方がいるから、3MO隊の活動が順調に進んでいます。
僕は
・その10年前、昭和32年に建立の『希望の塔』
・昭和33年『希望の灯』
・40年前の昭和56年、内川浅見内出身の松橋福蔵氏から寄贈された『希望の鐘』
・秋田の守護神『三吉霊神』
・昔話『2つの森山』
・3MO隊
これらについて。
今から64年前、昭和32年に建った『希望の塔』
当時
終戦10年余り、町村合併し新生五城目町が誕生するも大川地区や面潟地区での分町騒動が激しさを増し地域住民の亀裂も生じていた状況を憂い、希望がもてる湖東平野の団結を願った当時の青年たちが一念発起。
一口2000円からの寄付金を募り、(当時としては高額)
36.3㎝四方、高さ305㎝、重さ1トンを超える福島県三春町産の黒御影石を加工。(我が家の敷地で)
『希望の塔』の文字は発起人である青年団体の代表だった加賀谷力司氏(のちの五城目町長)筆。
碑文
『この塔は万人に仰がれ 必ずやその大同団結を見 我が平和郷土は永遠に発展するであろう』
碑文と活動に携わった72名の名前も彫って加工終了。
4面を木の板で覆い、縄をぐるぐる巻きにし大切な石をしっかりとガード。
馬車で岡本の登り口まで運搬し、そこからは人力で引き上げ!!!!
あっ!そうそう。
今の車道は、昭和42年に完成したNTTマイクロウエーブ中継アンテナ建設のために造られたものなので、昭和32年当時、足で登る以外に手段はなかったのです。
そのため、カグラサンという人力ロープ巻き装置を設置し、大勢のヤングパワーでぐるぐる回し、テコやコロも駆使して、ズズ~、ズズ~、少しずつ、本当に少しずつ引き上げ。
あまりの重さに、カグラサンの芯棒が何度か破壊
そのたびに修理、復活させ上を目指したのだそうです
当時の資料の画像
↓
バンザ~~イついに上げたぞ~~
麓から引き上げ開始から3日後のことでした。
なお、引き上げたモノは、碑石と台座石(合わせて3トン)の他に、大量の砂利、砂、セメント、水も!
かなりの重量を背負って歩いて登り運んだのだそうです。何度も何度も。
当時の青年、大先輩たちの物凄いエネルギーを感じます
昭和32年(西暦1957年)11月3日、文化の日。いよいよ竣工式典。
快晴率が非常に高いと言われるこの日、二高地てっぺん(標高285m)に集う皆さん。
ビシッとスーツで決め、足元は革靴。
カメラを見る皆さんの表情はみな誇らしげ
大仕事をやり遂げた男たち。
カッコイイっす!(カラーの写真もイイですね♪五城目の小川写真屋さんの力作⤴️)
五城目高校森山登山②に続きます。
あっ‼️
それから、明日5月1日(土)は定期登山の日。ご都合つく方は、午前9時に五城目城ふもとの駐車場に!
※4月30日夕方、クマ出没情報/5月1日朝、捕獲用のオリに入り猟友会により駆除。この事により、今回の森山定期登山は麓のみに変更。後半は野鳥の森に移動して散策とあいなりました。(5月1日昼記)
昨秋みられた雲海
以上
4月30日に書いておいた記事でした。