アメリカでは、一流大学への入学準備は、子供がプライマリースクール(小学校)に、上がる前から始まる。
なにしろ、一流大学のハードルが高いからだ。
アメリカは、日本以上の学歴、学校歴社会。
大学、大学院は、全てランキングされ、どこの大学、大学院を卒業したかで、就職先や初任給にまで差がつく。
そればかりか、その後の出世にも影響する。
ランキングの、トップクラスの大学に合格するには、共通学力試験であるSATやACTでの高得点に加え、学業成績であるGPAで、ストレートAに当たる4.0にいかに近づけるかが争われる。
その上、スポーツ、芸術、学内外での様々な活動や、有力者の推薦など、志願者のオールラウンドな資質が問われる。
まさに、日本での、企業への就職と似ている。
学業ばかりでなく、学業以外のいろいろな活動や、文化、芸術での成果、いかに充実した生活を送ってきたかという自己アピールなどは、日本のAO入試でも、取り入れられている。
結局、全人格的評価の結果、全ての面において、マイナスの少ない志願者でないと、一流大学には合格できない。
というのも、アイビーリーグやスタンフォード、MITのような、私立のトップクラスの大学の入学者数が、日本の大学とは比較にならないほど、少数だからだ。
とにかく、アメリカの入試制度は、共通学力試験プラスAO入試なので、学力、内申、人物、社会貢献度、一芸などの幅広いポテンシャルを持っていないと合格できない。
このため、日本のようにペーパー試験で、一発逆転というわけにはいかないばかりか、浪人して捲土重来を期すのも難しい。
こうした点では、日本より残酷な制度とも言える。
そうは言うものの、アメリカの一流大学は、ほとんどが私立なので、上流階級の子女なら、多少、学力が足りなくても、縁故で入学できる。
親族の威光を利用した、レガシーでの入学者の割合が、結構、高いのだ。
アメリカでは、学歴を金で買える。
そう言う点では、日本より、はるかに不平等で、不公平な国だ。