孟子の性善説
人は生まれながらに善であり 同情心を持っている
だが欲望に曇れば悪に入る事もあるだから常に己の純粋さを磨く努力をしなければならない
荀子の性悪説
人は生まれた時は善も悪も知らないので 勝手に行動し結果として悪をなす
だから 学び訓練し世の中との調和する努力を忘れてはいけない
どちらかと言うと
性善説には 人間中心の 人は素晴らしいと言う選民思想を含む傲慢さを感じる
人は生まれながらに仏や神であると言うのも ある種の傲慢を感じる
性悪説は
自分はどうしようもない人間である 未熟である だから努力をしてできるだけいい人間になろうとしなければいけない
つまり 謙虚さがその出発点にある
自分は人は動物であると思う
ある意味では純粋無垢ではあるが
生存するために相手を襲い食う
弱い捕獲しやすい獲物を狙う
相手におもねる事も事もある
トリックプレイもする
恐怖で歯をむき出し威嚇を試みる
恐怖で動けなくなるものもある
ただひたすら恐怖で逃げる事もある
そこにあるのは自分個体の生存本能だけである
あるいは生存を諦めた自己放棄である
人は本能において獣となんら変わらない
もう一度復習してみる
資本主義 社会主義 共産主義は 経済制度である 政治制度ではない
資本主義 その基本は自由競争 貨幣経済が完成してる社会でのみ可能
A 10万稼ぐ 収入10万
B 40万稼ぐ 収入40万
C 100万稼ぐ 収入100万
欠点 貧富の差が出やすい 金があるやつが能力があるという価値観が発生する
長所 互いの競争で技術システムの進化が早い
社会主義 平等分配 物々交換社会でも可能
A 10万相当の労働 収入50万
B 40万相当の労働 収入50万
C 100万相当の労働 収入50万
長所 貧富の差が出にくい
短所 能力のある人が不満を持ち労働意識をなくす 分配する管理者に権力や賄賂が発生しやすい 士気 技術が低下する
共産主義 労働の対価を一括してプール プールしたものを平等に分配 物々交換社会でも可能
A 割り当てられた労働 収入 プールに応じて
B 割り当てられた労働 収入 プールに応じて
C 割り当てられた労働 収入 プールに応じて
長所 和気藹々 貧しくても不和が起こりにくい
短所 労働生産性が低下し 貧しいままの状態が続く可能性が高く 怠け者が増え
プールの管理者が権力化する可能性が高い
政治制度には 人治制度 法治制度があるが
基本は 独裁制と民主制と神権制しかない
これにはいろんな組み合わせがある
選挙権のある民主制度でも独裁制はありうる
庶民が 特定の一人に 立法 行政 政治執行権を与えれば絶対王政と変わらない
庶民が 特定集団に同じ権限を与えれば 一党独裁 門閥独裁になる
庶民が 行政 立法 執行権を 三すくみのグループとして権限を分離すれば普通に言われる民主主義となる
庶民が 直接投票で 全ての権限で 全てを決定すれば 衆愚民主制となる 意見が多様過ぎるからだ
未だに最高の政治システムは完成していない
当たり前である
絶対的 正しいものはありえない
絶対を追い求めればある種の狂気に陥る
全ては相互関係にある
何かが中心で それ以外は間違いという
最高を求めるその概念そのものが 現実にそぐわないように思える
全ては相互関係にあるのだから いかに妥協し いかに対立し バランスを保つことが最重要と思われる
自分はこれらの他に 人間の生み出した現在妥当と思われる基本概念を尊重したい
近代のモラルとも思える 新しい道徳律と考える
自由と平等 権利と義務 多数決による決定
所得 性差 年齢 地位によらない 人の基本部分に基づく厳密な公平さ
これは政治概念と言うより 我々一般庶民の道徳律のようなものに思える
簡単に言うと 誰かがこの様な理由で一方的に得をしたり 或いは一方的に損をする状況を作らない事
自由は 人間本来持つ 勝手気まま自己本位で 好きな事をしたいという本能的欲求を認める事だ
これは 大事だ
だが 社会的学習を必要とせず 本能的に無意識に正しいと思い込みやすい概念でもある
子供でも 本能的に 野放図に 無限の自由を要求する
それが学習を必要としない 本能に基づく要求である事がわかる
平等は 学習を必要とする
相互の自由を認める為には 相互の自由を制限しなければいけない
欲望の自主的制限を必要とする 主張と妥協のバランスが要求される
一方的自己主張主張は許されない
対話によって 互いの損益を図り 妥協点を探る
自由よりは かなりの社会的訓練と社会学習を要求される
自由に傾けば争いが増え
平等に傾けば不満が高まる
同様に 権利に傾けば 抜き差しならない対立を生じ
義務に傾けば 動きのとれない泥沼に陥る
権利と義務は紙の裏表で分離できない
自由と平等は 180度反対に位置する 異なった概念だ
権利主張はやはり自由と同じで 生物として生得的にあるものだと思われがちである
事実そうゆう一面もある 本能にもとづくものだからだ
しかし 共同社会では 果たすべき やるべき事をやって
つまり 社会人として やるべき義務を果たして 権利を主張できると思う
これも社会的学習が必要な項目と思う
簡単に言えば 相手への思いやり 我がままと自己主張の限界を理解する事だ
相手を尊重する そして自分も尊重する バランスだな
しかし 権利主張のみで 社会責任を果たさない者もいるのも現実である
多数決
これはそれぞれ主張する者にとっては不平等と感じるだろう
しかし 全ての人の意見が同じなんて状態がもしあったら
それは誰かに脅迫されているか 金による利害か 無垢に信じ切って舞い上がってるか どちらかだろう
50%は絶妙なバランスである
決まればそれを受け入れる
潔さ それもバランスを保つ大事な要素と思う
それと 意見が対立しても 相手を尊重する
互いを尊重する そこから何かが始まるかもしれない
また この自由平等権利義務公平を逆手に取り
相手の良心に訴え 我が意を通そうとする 狡猾な人々もいるのは事実だ
全く尊重できなければ 切り捨てるのも バランスと言える
例えば死刑廃止を進歩的と称する人々もいる
刑が確定するまでは 人権は保たれる これは当たり前である
だが犯罪が完全に証明されれば 被告の人権は失われる
全く過失のない人間の 生活権 生存権 人権を奪ったのであるから
対価として 人権が失われるのは バランス上当然である
人権を奪った者が それが未成年 精神障害 社会的背景が その理由であろうと
自分の人権を主張するのは 論理が破綻している
獣が里に下りて 家畜や 人を食い殺したとする
獣には悪意はないと 考える 人とは違うのだから
狂犬が 病気の為 人を襲い危害を与える 病気のためだと
餌が少なくなったためやむを得ず襲った 彼らの事情を斟酌し 彼らの事情を考えてみよう
人を襲う熊の状況は理解できるではないか
人を襲って食うのは悪いが 熊の置かれた状況を考えれば仕方がない
では 無過失にし 野放しにすれば どうゆうことが起こるか自明の事だ
動物愛護の気持ちがあったとしても
かわいそうと思っても 被害を防ぐため 普通は熊を射殺し 狂犬は捕獲し殺す
被害と やむを得ないとの バランスだ
無辜の人びとを守るのが先決であると思う
人間と獣は違うと言う人もあろう
それは人間が優れているという思い込みに過ぎない
人は哺乳類の頂点に立った獣である事を忘れてはいけないと思う
尊敬できる相手に恵まれるのは めったにない幸運なのかも知れない
外国とのおつきあいに関しても 思う
権利を主張するのは 許された権利である
と 同時に 自分たちが果たすべき義務 歴史の事実の認識が必要と思う
部分を拾えば それぞれ自分に有利な論を組み立てられる
しかしそれは事実のつまみ食いである
始めに答えありきの 論理構成は フィクションと同じで ただの娯楽にしか過ぎない
どちらが優位性があるなどの概念は自分には無意味で
客観的事実 歴史の経緯をトレースする事が重要だ
論理は事実を積み重ね出来上がる
雄弁家など必要ない 地味な事実の積み上げだと思う
講談師 見てきたような嘘を言い と言う
講談や ドラマや 劇であれば 人を感動させるのが商売である
雄弁なものが人を説得するのに成功したとしても
それが 人の心を動かしたとしても
大向こうをうならせるほど 心に響くものであっても
歴史の事実のつまみ食いと フィクションを取り混ぜたものであれば
それは 芸能に属する才能の持ち主と思う
例えば
相互の意見を尊重せず
自己保存の為 一方的に 詭弁を弄する国々を見ると
彼らとは 距離を置いた方がいいと思うようになった
失礼かもしれないが ある種の狂気を感じ不安になる
いや 芸術にこそ狂気は必要である
偉大な芸術家であろうと 狂気の隣人は 御免蒙る
もちろん根拠のないものだが 刃物を持った狂人が傍にいるという感覚は否めない
多分 これからも ストーカーのように 我々にまとわりつくだろう
狂気にある人々は 自分の狂気は理解できない 当たり前の事と思うだろう
嘗ての日本やドイツの庶民が 興奮しきっていたように
冷静な人々も沢山いたが 流れに逆らうのは 容易ではない
狂気 それに加えて 憎悪敵意に満ち溢れた人々と 友好など
常識的庶民の一人として 無理 疲れてしまう
何処かへ引っ越しする事も出来ない
身構えて自分の安全を確保するしかない
この年齢で他国への脅威を感じたのは初めてだ
力を得て 自惚れてゆく若者を見るようで
道を誤らない事を願う
誤れば彼らは自滅する と同時に我々も被害を耐え忍ばなければならないからだ
でも取りあえず 今は何事もない日常である
朝鮮半島では 南北 口を極めて罵り合っている
北朝鮮に至っては アメリカに宣戦布告をしている
彼らにはその宣戦布告の自覚はなく いつものように言ってるだけだろう
或いは 若さゆえ屈辱に耐えきれず怒りのままに行動を起こしてしまうかも知れない
西欧諸国で どこかの国がこのような事を言えば 戦争になる
反抗期の未成年のいきがりと とらえるのは容易ではあるが
国家がそのような事を言う 事実の重さを自覚した方がいいだろう
ロシアンルーレット
もし このまま続ければ
もう 言葉遊びの時代は終わる
各国共 ゆとりをもって他国を眺める時代は終わったらしい
皆 生存で必死なのだ
本当の 生存競争が始まる
今日もまた 安全装置が一つ外れた
トリガーを引いて かちっ で ふー か
運悪く ・・・・・ か
誰になるかわからない
日米中朝韓 5連のリボルバーの弾倉に 弾は一つ
元寇の時のように神風が吹いてくれるか
日清 日露のように幸運に恵まれるか
日本は弱い そう自覚する事で 工夫と防備が始まる
勝って兜の緒を締めよ と古人は言う
勝負の前の 自惚れは 自滅への入り口
即応できるよう 観察を続ける
今 何事もない普通の日常が続いている
そして 一触即発の戦闘状態にいるのも事実
嘗ての米ソの冷戦と同じ状態に既に入った
武器の応酬はない でも 戦闘状態にいる
互いの 軍備の強さの誇示する 威嚇が始まったからだ
歴史は何時もそうだ
終わってから 答えが出る それ以前は 誰もわからない
まだ答えは見えない 当たり前だ
やってみなければ 誰にもわからない
始まったばかりだから