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声優 ドラエもん、大山のぶ代さん、2024年9月29日、老衰のため亡くなる。90歳。所属事務所が2024年10月11日(金)公表。親族のみで密葬、、2024年10月11日(金)報道より、、

2024-10-11 14:56:49 | 日記
あの声が ぼくドラえもん 星となる


  (この 背景 についても
   コメント欄 に
    記載致しました、、)

2 コメント

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Unknown (575)
2024-10-11 15:18:07
備忘録、、2024年10月11日(金)報道記事より、、、


大山のぶ代さん死去 90歳 老衰 「ぼく、ドラえもん」アドリブで生み出した名ぜりふ

大山のぶ代さん
声優の大山のぶ代
(おおやま・のぶよ、
本名・山下羨代=のぶよ)さんが
2024年9月29日、
老衰のため亡くなった。
90歳だった。
所属事務所が11日、公表した。
親族のみで密葬を済ませたという。

2015年5月に、
夫の砂川啓介さんが
認知症を患い
闘病中であることを公表。

その砂川さんが
2017年7月に
80歳で亡くなった際は、
老人介護施設に入所しており、
所属事務所が
サポートを続けていることが
明らかになっていた。

大山さんは、
母の死をきっかけに
都立三田高在学中に
俳優を志し、
俳優座養成所の6期生になった。

同期には市原悦子さん、
作家のジェームス三木さん、
冨士真奈美がいた。

卒業後は、
テレビドラマに出演する一方で
ハスキーボイスを買われ、
NHKの人形劇
「ブーフーウー」に出演し、
声優の仕事が増えていった。
1964年に
砂川さんと結婚した。


1969年には、
フジテレビ系アニメ
「サザエさん」で、
磯野カツオの初代の声を担当。

1979年のテレビ朝日系
「ドラえもん」では
主人公ドラえもんを演じた。

名ぜりふ「ぼく、ドラえもん」
をアドリブで生みだし、
原作の故藤子・F・不二雄氏が
「ドラえもんは
こういう声だったんですね」
と認めるほどの、
一世一代の当たり役となった。


2004年11月に、
番組25周年の区切りや
高齢化などの理由で
主要声優陣の一新、
交代が発表された。

翌2005年3月に降板するまで、
ドラえもんを25年演じ続け
「テレビ放送から25年がすぎ、
ちょうど良い交代の時期。
遠い未来まで
ずっとずっと
みんなに愛される『ドラえもん』
であってほしい」
と語っていた。

2008年4月には
脳梗塞(こうそく)で入院。

翌09年4月30日放送の
テレビ朝日系
「徹子の部屋」で、
約1年ぶりに
芸能活動を再開した際は、
50年以上の付き合いという
黒柳徹子に
「皆さんの励ましのおかげ。
医者も回復が早いと
びっくりしていました」。

手術はせず、
血栓を溶かす薬を点滴で投与。
懸命のリハビリを続け、
入院から4カ月後の
2008年8月に退院し、
自宅でリハビリを
続けてきたことなども
明かしていた。


2010年11月には、
都内で行われた
5年ぶりに声優を務めた
ゲームソフト
「ダンガンロンパ
~希望の学園と絶望の高校生~」
の完成披露発表会に出席。

メディアの前に出るイベントは
病気後、初だったが
「悪役は初めて。
思い描いたままをやったら、
周りがニコニコしていた。
らしくない悪役なんです」
と演じたモノクマについて説明。

劇中のキメゼリフ
「お前ら、お仕置きしちゃうぞ」
まで披露した。

ただ、2015年5月に
認知症を患い、
闘病中であることが
明らかになった。

同13日に、
砂川さんがTBSラジオ
「大沢悠里のゆうゆうワイド 」
に生出演した際に、
2008年に患った
脳梗塞の影響で
物忘れの症状が
以前からあったことを明かし
「脳梗塞の後遺症だと思い
(最初は病気に)気づかなかった」
と説明。

大山さんが自宅で生活し、
体は元気だが
直前に言ったことを忘れる
などの症状があると
明かしていた。

夫妻の所属事務所は
日刊スポーツの取材に
「料理本を出版するほどの
料理の腕だったが、
料理ができない」
「2分前に会った人の名前を
思い出せない」
「自ら入浴できない」
などの症状を説明。
認知症の症状は
約2年前から出始め、
症状が出ない日と
出る日があるとした。

さらに同15日には、
砂川さんが都内で会見し、
大山さんの年齢を
3歳、詐称していたと告白。

その際、
大山さんの現状について
「話が通じず、会話は難しい。
外出もほとんどしない」と説明。

「ドラえもん」を
自宅で見る時もあるというが、
「(声優時代の記憶は)
あまりないみたい」とも語った。

また、自身が
2013年に
胃がんを発病したこと
についても説明した。

それでも、
大山さんは
同7月に舞台
「スーパーダンガンロンパ2
THE STAGE
~さよなら絶望学園~」
に登場する、
物語の鍵を握るキャラクター
「モノクマ」の声の収録を行い、
約1年ぶりに
声優業に復帰した。

所属事務所は
「声の仕事を続ける
意思はある」とし
「現在は未定。
今後は様子を見て判断。
台本を読むことに支障はなく、
声取りはできるが
テレビなど
映像の仕事は難しい」
と女優業の継続が
困難な可能性も示唆した。

同10月には、
砂川さんが
著書「娘になった妻、のぶ代へ
 大山のぶ代『認知症』
介護日記」の出版会見を開いた。

その中で、
大山さんの今後について

「仕事はできないと思う。
仕事をした方がいいかも。
進行が止まるかもしれない
と感じることがあるから」
と、
その後の声優業が
困難との見通しを示していた。

その砂川さんが、
2017年7月に
尿管がんで、なくなった、、

、、、、中略、、、


大山のぶ代(おおやま・のぶよ)さん

1933年(昭8)10月16日、
東京都生まれ。
1956年に
NHKドラマ「この瞳」で
デビュー。
日本テレビ系「熱中時代」
など多くのドラマに出演。

、、、、、
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大山ドラえもんの想い (shinogoo-blogger202238)
2024-12-23 14:28:31
575さん、こんにちは。
コメント投稿いたします。
大山ドラえもんこと、声優の故大山のぶ代さんのご冥福をお祈りいたします。
自分自体に藤子アニメの中で一番好きなアニメ作品でもあるんですが、それは大山のぶ代さんの出世作「第二期ドラえもん」にあり、TVアニメ作品は昭和54年4月から平成17年3月まで約27年間長くも長寿アニメ作品として、テレビ朝日系列より金曜日の夜7時から30分まで、30分間も放送され続けてきました。
幼生時代から10代後半あたりまでリアルタイムでよく観ていました「30分からのはなきんデータランド→クレヨンしんちゃんも同様」。
番組当初は甲高い声質で声を担当していたのですが、昭和63年あたりから徐々に低音ボイスに変えつつも、それ以降、最終話にかけては特徴的な声として確立。
また、特徴的な声になったあたりからは2つのお話のうち、2つ目は過去の回の再放送で放映されていました「二人のどらえもんが空中バク転するアニメーションとタイトルコール+アイキャッチ」。

また、亡き夫の砂川清介さんはNHKおかあさんといっしょの初代たいそうのお兄さんをかつて努められていました。
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