ウマミから 世論作られ 奈落底
(この背景は、以下に
掲載致し ました、、)
、、2024年12月5日(木)報道より、、校正あり、、、
、、引き返せなくなった太平洋戦争への道…満州事変で覚えた「うまみ」、
生活は一時スゴくよくなり戦争は「善」になって、、、
国民みずから戦争大賛成の世論、、政治に反映させて、
みずから地獄を好んで作り出してしまった、、
大多数な世論の恐ろしさ~、、
[戦後80年 昭和百年]開戦、、
、、、
来年2025年は、
戦後80年、
昭和の始まりから100年目
となる。
いまだ戦火の絶えない
世界の中、 昭和16年、
1941年12月の開戦を
三つの視点から考える、、
日本が戦争へと向かい、
引き返せなかったのはなぜか。
まず、当時の時代状況、
周辺地域の情勢について、
駒沢大教授の加藤聖文さん(57)
(日本近現代史)に話を聞いた。
、、組織利益を優先させた
陸海軍、、
日本、イタリアとの
三国同盟を結ぶ際、
ドイツが
日本に期待していたのは、
アメリカと戦争になった場合、
日本が自動的に参戦すること
でした。
しかし、日本側は
これを拒否します。
同盟締結の昭和15年、
1940年9月の時点で
日本はむしろ、
アメリカとの戦争を
慎重に避けよう
としていたのです。
陸軍は
国民政府の蒋介石を屈服させ、
日中戦争を終わらせることに
懸命でした。
そこで1940年9月、
仏印(フランス領インドシナ)に
進駐し、
英米などによる国民政府支援の
物資輸送路・援蒋ルートの
遮断を試みたのですが、
仏印北部で止まっていた軍を
翌年1941年7月、
南部へ前進させると、
情勢が悪化します。
アメリカが
石油などの対日全面禁輸を
断行してきたのです。
戦争の終結どころか、
海軍が深刻な影響を
受けることになりました。
動かない軍艦は 鉄の塊です。
日本の石油のストックは、
平時で2年分、
戦時で1年半分
と言われていました。
そこで、
産油地帯の蘭印
(オランダ領インドネシア)を
占領するしかなくなります。
海軍は 強硬になっていきます。
昭和16年、
1941年11月の連絡会議で、
東条英機内閣の
賀屋興宣大蔵大臣から
「いつ戦争したら勝てるか」
と尋ねられた
海軍の永野修身軍令部総長は、
「今」
と強い語調で返答しています。
「戦機はあとには来ぬ」と。
かつて海軍は、
陸軍が昭和6年、1931年9月に
満州事変を起こすと、
翌昭和7年、1932年1月には
海軍陸戦隊が
上海で中国軍と衝突。
昭和12年、1937年7月に
陸軍が盧溝橋事件で戦うと、
海軍も翌月(1937年)8月から
再び上海で武力衝突を始め、
航空隊による爆撃も行いました。
陸軍と同じく(海軍も、)
組織利益の拡大が 第一でした。
こんな調子では、
開戦回避の外交努力にも
限界があります。
日米交渉が昭和16年
1941年4月から行われますが、
日本の動きに
不信感を募らせた 米側は、
7か月後(昭和16年、
1941年11月)、
中国とインドシナからの撤兵
などを求める
ハル・ノートを突きつける
ことになります。
そうして83年前の昭和16年、
1941年12月1日の
御前会議を迎え、
「対米英蘭開戦ノ件」が
決定されます。
、、どんな見通しを
持っていたか?、、
これより少し前のことですが、
連合艦隊司令長官の山本五十六は
「初め半年か1年の間は
随分暴れてご覧に入れる」
「2年3年となれば
全く確信は持てぬ」
などと言っています。
計画など ないに等しい。
国の存亡をかけるなら、
どう生き残るか、が優先でしょう。
ところが その感覚がない。
のちの特攻作戦のように
誤った美意識の罠にはまり、
どう滅びるか、を優先した
わけでも ないでしょうに。
何より 日本は
日清戦争後、
遼東半島を獲得しながら、
ロシアなどの干渉を受け入れ、
「臥薪嘗胆」して
清へ返還した経験がある。
そういう対応もできたはず。
ところが、できない。
なぜでしょう?
その答は、
ヘンな 成功体験が
あったからです。
それは 満州事変でした。
、、満州事変で
戦争の「うまみ」を覚えてしまい
引き返せなくなったが ゆえに、
ドツボに はまりまくり
必然的に 自爆壊滅していく
大日本国、の恐ろしき 結末、、
まずは、
第1次世界大戦後の世界から
見ていきましょう。
国際連盟が創設され、
平和を希求する時代に入る。
理念上はそうですが、
発言力を増す「国民」にとって
大事なのは
「生活」で、
20世紀の政治は
「経済」 要因に
左右されるように なります。
その経済は1920年代、
初歩的ながら
米国中心にグローバル化が進み、
米国で起きた大恐慌の影響を
世界に波及させてしまう
(世界大恐慌の勃発)。
経済政策に
即効性は ありません。
でも、
生活が苦しくなった「国民」は
「納得しません」。
その結果として、
「大衆迎合的な政策」を
主張する政治勢力の方が
「支持を集め」やすくなる。
これが
大恐慌「後」に起きたことでした。
一方、ドイツ経済も
壊滅的な影響を被りましたが、
昭和8年、1933年に
政権を握った ヒトラーは、
大規模な公共事業などで
雇用創出や失業対策を打ち出し、
立て直しを図る。
お金が市中に流れ、
景気がよくなったような「気」に
なる。
ワイマール共和国時代に
着手されていた事業もあったが、
共和国がなくなり、
ナチス政権が継承した。
しかし、
「国民から」すれば、
それは「ナチスのおかげと 映り」
ました。
その点、
「日本経済の立ち直り」は
かなり早かった。
大きな要因が、
「満州事変」でした。
昭和6年、1931年9月、
関東軍は奉天(現・瀋陽)郊外の
南満州鉄道の線路を爆破して
軍事行動を起こすと、
満鉄沿線の要衝を次々に制圧し、
翌年(昭和7年 1932年)3月に
満州国を 建国しました。
失業者が増え、
農村の娘の身売りまで横行する
「暗い社会の真っ只中に」あって、
外国の軍隊に「勝ち」、
大日本の「領土」までが 広がる。
「世論」は急速に「陸軍を支持」し、
大半の「政党人」が
それを「追認」する。
「メディアも戦意高揚の記事」を
書き、部数を増やす。
「皆が戦争のうまみを覚え」て
しまったのです。
「戦争は大型公共事業」の
ようなものです。
続けるために
どんどん「財政出動」する。
「金は市中に流れ」、
デフレから「インフレ」状態と
なります。
昭和7年 1932年度の
一般会計歳出実行予算の規模は
20・2億円。
前年度比34・7%の大幅増
でした。
その中心は軍事費である
「満州事件費」2・9億円です。
「軍需産業の興隆」が起こり、
「都市では景気が回復」し、
日本は 「世界恐慌から」
いち早く「脱出」します
(戦争による一時的好景気)。
「生活」がよくなったので、
「戦争」は悪ではなく「善」。
陸軍は その立役者です。
軍・産業・メディア・国民、
それぞれの「成功体験」が、
日中戦争、
ひいては日米開戦へと
つながっていきます。
その起点である昭和12年
1937年7月の盧溝橋事件の際、
大日本「国民は」、
満州事変のように、
「戦果と好景気を期待」するように
なりました。
しかも、
(国民は、好景気が続いたまま
戦争は)
「すぐ終わるとまで期待」するようになりました。
まるで、戦争の甘い汁に
大日本国民の多くが
酔いしれるような
世論から はまっていったのです。
、、民生後回し、、
戦争の怖いところは、
「始まったばかりの頃」は
「景気が良くなった気」になって、
「長期化」すると、
その「状況が一変」することです。
「戦争経済」というものは、
「あらゆる産業の活動」をすべて
「戦争に集中」させてしまう。
軍需産業のようなところには
お金が投じられるけれど、
「生活必需品など
民生の分野は後回し」になります。
すると、
買いたいものが買えない、
「必要なものが手に入らない」!
こうとなってくると、
「政府は」
これを「コントロール」します。
まず砂糖・マッチが「切符制」
となったのは、昭和15年
1940年?
この時点で、
日本は引き返せない道を
歩き始めてしまっていた
のでしょう。
、、さらに、つづく、、2024年12月5日(木)報道より、、校正あり、、、
、、、国民総不幸になる、恐ろしき戦争、、国民みずから一時的な金銭、、
甘いウマミに驕れ政治まで突き動かす世論を国民大多数で作り出してしまう、、不幸な過ち、、、
再掲載
ウマミから
世論作られ
奈落底
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御座います(^.^)(-.-)(__)
今後とも宜しくお願い
いたしますm(_ _)m575
> いつもアクセスに... への返信
前書込、名前ミスしておりました、
575に訂正します、
575
これは、目から鱗の分析で、なるほど!と感服しました。
私は、個人的には、無謀な開戦の最大の原因は、販売部数を伸ばすために、国民に対して、開戦に弱腰な政府を非難して、無責任に開戦を煽った読売・朝日・毎日の3大新聞だと思っています。
反対に、冷静に現状を分析して報道した地方紙は、その弱腰を叩かれて倒産しています。
> 開戦の原因... への返信
いつもアクセスに、
そして更に、コメントまで下さり
有難う御座います、、、
3大新聞社の御指摘、
おっしゃる通りだと私も思います、、
色々な立場の勢力の都合から
世論が
形成され、
もっともらしい政治への
国民の参政権行使で
思惑通りに
国民が操られる、、、
そして、時の政治権力に賛成した暁
全国民が、、しまいには
不幸に襲われる、、、
非常に恐ろしい事態です、、
第二次世界大戦下で
当題材は述べられては
おりますが、、
はたして、
現在は??
と対比させてみると、、???
、、、同じ過ちは
二度と犯しては なりませんね、、
有難う御座います(^.^)(-.-)(__)575