本当に被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。そして少しでも早い復興をお祈りします。
これで僕が医師であることが、分かってしまいましたね。
PTSDは阪神淡路大震災で一躍メジャーになった病気です。その後地下鉄サリンでも言われました。
今回お年寄りが多く、古い家が多かったので、被害も大きくなりました。殆ど地震がの記録が無い地域でしたから、誰もが驚かれたと思います。薬剤を大きなケースに入れて持ち込んだのですが、半日でなくなりました。
現地に支給された薬剤は、種類が限られたものですから自分が普段処方したことが無い薬もあったので、非常に困りました。睡眠薬も4種類しかなく、2種類はあまり使った事がにので、処方した方の申告を聞きながら、試してみるしかありませんでした。抗うつ剤も3種類で、処方する量もお年寄りが多い為、とても神経を使いました。80歳を超えたお年寄りが初めての、大きな地震にあわれて、家が無くなり、その恐怖感といく末を考えると悲観的になるのは当然です。避難所で余震に怯えながら、眠れないのも当然だと思います。心をひかれる思いで昨日帰ってきましたが、当分能登でお会いしたおじいちゃん、おばあちゃんの事は当分忘れられないでしょう。
肇
これで僕が医師であることが、分かってしまいましたね。
PTSDは阪神淡路大震災で一躍メジャーになった病気です。その後地下鉄サリンでも言われました。
今回お年寄りが多く、古い家が多かったので、被害も大きくなりました。殆ど地震がの記録が無い地域でしたから、誰もが驚かれたと思います。薬剤を大きなケースに入れて持ち込んだのですが、半日でなくなりました。
現地に支給された薬剤は、種類が限られたものですから自分が普段処方したことが無い薬もあったので、非常に困りました。睡眠薬も4種類しかなく、2種類はあまり使った事がにので、処方した方の申告を聞きながら、試してみるしかありませんでした。抗うつ剤も3種類で、処方する量もお年寄りが多い為、とても神経を使いました。80歳を超えたお年寄りが初めての、大きな地震にあわれて、家が無くなり、その恐怖感といく末を考えると悲観的になるのは当然です。避難所で余震に怯えながら、眠れないのも当然だと思います。心をひかれる思いで昨日帰ってきましたが、当分能登でお会いしたおじいちゃん、おばあちゃんの事は当分忘れられないでしょう。
肇