地底小人の日和たび

週末小旅行と地球のすきまにもぐる旅

時代を駆ける旅ー最終編平成・未来?の巻

2011年06月01日 16時13分33秒 | 週末旅行
さて、17時半過ぎに岩村を出た私たちはもうすでに東京には帰れない時間になっていた
(18切符の旅だからね
そこで、今夜の宿を探すべく名古屋へと向かった。

その途中相方がぽつりと言った。
「変な乗り物って好き?」
なんだか意味不明だったが面白そうなので、その案に乗ることに

19時。私たちは名古屋近郊の中央本線高蔵寺駅にいた。
そこに1台のバス
なんの変哲もないただの路線バスだ。とりあえず乗る。出発
バスは普通に夜の郊外の住宅街を走っていく
お客さんもそんなにいないし、普通の人ばかり。
だんだん飽きてきたただのバスじゃん

しばらく走ると、なぜか高速の入口のようなところにバスが入っていく
するとなんと今まで普通の道路だったのが、高速のゲートのようなところを通過すると共に、モノレールの路線になったのだ
しかも、運転手さんはハンドルから手を離し、なんと自動運転に
 


駅はまるでモノレールの駅のよう
でも走っているのはバス

終点の大曽根駅でバスの下を見ると

なんとタイヤの横にモノレールの線路を走るためのものが

これは、ゆとりーとラインという不思議なバスモノレールでした

面白い乗り物を堪能したあとは、大曽根→金山に移動し、夕飯を食べ名古屋駅前のスーパーホテルにたどり着き、
この日はおしまい

さて、翌日も「変な乗り物ツアー」は続く
今度は名古屋から地下鉄東山線に乗って藤が丘駅へ。

ここで出会ったのがリニモ

そう、愛地球博のときに作られたリニアモーターカーだ


雰囲気は東京の日暮里舎人ライナーによく似ている。
でも走り出すととってもなめらか〜
音もほとんどしないほどでけっこうな急勾配もすいすい


リニモの路線図
終点の八草で降りる。

と、そこでなんともすごいものを見てしまった
終点のために方向転換するため引込線に入ったリニモ
そのとき、レールが動いた
それも4本のレールがきれいに交差してポイントが切り替わった
それは一瞬だったけど、ものすごくかっこよかった
もう一度これだけを見るために訪れたいくらい

さてさて、近未来の乗り物を体感したところで今度は、またローカル線の旅を続けることに

八草駅に止まっていたローカル色満点の電車(乗らなかったけどね)

八草から愛知環状鉄道で高蔵寺→名古屋に戻り、東海本線に乗って大府へ

今度の目的は知多半島の山車祭り
4月のこの時期から知多半島は祭りに染まる
半田市の31台を筆頭に知多半島全体で100台を超える山車が保存されていて、どれも絢爛豪華で大きい。


ワクワクしながら大府から武豊線で終点武豊へ

しかし・・・街はひっそり・・・
駅員さんに聞いてみると今年は地震の影響で自粛ムードとか
そして祭りは翌週からだった・・・

しょんぼりしていてもしょうがないので、とりあえず半田に向かう
 
半田駅の陸橋は、明治43年に作られたJR最古の橋らしい


半田駅周辺の地図


「蔵の街」というキャッチフレーズでミツカンの蔵が並ぶ。

立派なミツカンの建物。


通りにはこんな工場への入口もあって密かに工場萌え


古い町並みの路地。この木戸の先には何があるんだろう・・・

こうして1時間ほど半田の街を散策し、そろそろ東京に帰る時間のリミットが近づいてきた
再び武豊線に乗って東海道本線へ

途中豊橋にてB級グルメ「豊橋カレーうどん」を食べてこれからの鈍行の旅の養分とした


東海道本線を乗り継ぐこと約6時間。旅は終わった




時代を駆ける旅ー江戸村岩村の巻

2011年05月26日 18時24分18秒 | 週末旅行
さて、鉄砲鍛冶の名に惹かれて岩村で途中下車を決めた私たち


なんともローカル色満点の岩村駅


しかも上りホームで降りると、線路をわたって駅舎に行くことになるのだ
線路の真ん中に立ってみる爽快感
まさに♫線路は続くよ〜どこまでも♪


岩村駅



岩村の地図
これを頼りに鉄砲鍛冶の家を探す。


街の中は江戸時代の城下町の雰囲気が色濃く残り、長屋が連なる。
岩村は江戸時代に東濃地方の政治・経済・文化の中心として栄えた城下町で、多くの商家が集まっている。


目的の鉄砲鍛冶の家
中を拝見することはできず、鉄砲鍛冶の様子も見ることはできなかったが、
現在も住んでいる様子。歴史が引き継がれている様子が垣間見れた


なんと銀行
重厚な作りにびっくり

 
街は駅から岩村城にかけてうなぎの寝床みたいに細長く、横幅はあまりない。
交差点を渡って江戸の旧家が多く残る道へ

江戸末期から台頭した木材や米を扱う商家である勝川家紺屋土佐屋問屋木村邸・・・
歴史ある長屋が続く。
特に目を引いたのが、建物の入口、1階の扉が跳ね上げ式の大戸であったこと。
扉は横に開くのではなく、ドアのように押し開くのでもなく、ウィンチ?で扉を内側の天井につるし上げる。
これはなかなかほかでは見れないのではと思った。

またもう一つ目についたのが、家々の入口にかかっている青い暖簾。
どれも女性の名前が入っているので、ひな祭りだから、女性のいるお家には暖簾がかかっているのかななんて相方と話していた。
その後、調べたところによると
「これは、岩村町の歴史に大変深く関係しているのです。
岩村城の長い歴史の中には織田信長の叔母が女城主として君臨していた時代がありました。
そうした歴史的背景からも、岩村町は広く“女城主の里”として知らており、また女性を前面に押し出した
まちづくりを進めている為、そのことにちなんでその家の女性主人!?の名前がのれんに書かれているのです。」(岩村観光協会HPより)
ということらしいです

さて、この旧家群を抜けたところにあったのが岩村酒造

なんと長屋の中を、蔵までトロッコの線路がしいてある


中庭には清らかな水が流れる池が

  
酒蔵の中はなまこ壁や木の梁と金属のパイプが混在していて、密かに工場萌え


トロッコのレールの先には

しめ縄がはってある酒蔵に

酒蔵の見学を終わると、女将さんがお酒の試飲をさせてくれました
「女城主純米吟醸酒」はまろやかで甘みがあって、すうっと飲めて、口の中に香りがふんわり広がる、
なんとも美味しいお酒でした。これまで飲んだお酒の中でも一番美味しいのではと思うほど
そのほかにも、「女城主純米吟醸酒」から作った梅酒やゆず酒も試飲し、こちらもまろやかで飲みやすい
そして甘酒も飲ましていただき、ゆず酒と甘酒を購入しました

その後、日本三大山城と呼ばれる岩村城
 
 
立派な石垣が現れてくる
こんなに大量の岩を切り出すにはどれだけの労力がかかったのだろうと思うと感嘆の声が出た
ところどころに井戸もあり、今だに青々と水をたたえている


本丸跡


岩村城の復元図
かなり立派な城だったことがわかるが、建物が少ないのが気になった。
石垣がこれほど立派に残っているのに建物の情報が少なすぎて謎が多かった。
城を降りたところの資料館を見れば謎が解けたかもしれないが、閉館時間になってしまい残念

ところで、その資料館の脇の家に面白いものが
 
昔の使用人の出入口を残したまま、その上に現代の家を建てたのだろうか・・・

ぶらぶらと駅に向かって歩きながら名物のカステラを松浦軒本店で買い求める。
ここ、岩村にはカステラのお店が多い。
松浦軒のパンフレットによると
現代のスペイン・ポルトガルにあたるカスティーリア王国にルーツを持っているカステラの原型は
ポォン・デ・ロという丸いパンの一種でポルトガルでは現在も各地で盛んんい作られているという。
日本には、ご存知のとおり長崎のカステラが有名であるが、既に現代式の日本のカステラしか作られていないという。
しかし、ここ岩村にはなんと本当の原型のカステラが残っている。
なぜならば、今から210余年前、寛政年に岩村藩の御殿医が長崎でオランダ人よりその製法を習い、帰ってきて松浦家に伝えたからだという。
製法は当時のままだということだ。

食べてみると、たしかに巷に溢れているしっとりねっとりしたカステラと違い、歯ごたえがあり香ばしい。
異国情緒あふれる長崎の専売品だと思っていたカステラの原型に、岐阜の山間で会えるなんてなんだか不思議な感じだ

街には現代からいい意味で取り残されたような街並みや路地やものがあちらこちたにある・・・
 


街はもう夕暮れ
街も人通りが少なく情緒あふれる街が静かに夜を迎えようとしている心地よさが漂っていた・・・

静かに暮れてゆく街を後にし、今夜の宿を求めて名古屋に向かうのであった

つづく













時代をかける旅-大正村明智の巻

2011年05月08日 15時15分45秒 | 週末旅行
今回は古い町並みを訪ねて岐阜県へ

目的地は大正の町並みが残る、岐阜県恵那市明智村。

出発は4月1日。ムーンライト信州に乗って時代をかける旅が始まった。
実は夜行列車は始めての私
新宿を出発すると、主要駅に次々止まりあんまり眠れない雰囲気
ついでに旅の相方と話が盛り上がり、結局一睡もせずに夜が明け始めた、長野県信濃大町駅に着いた。
 

本来なら、塩尻で降りて恵那へ行くのが経路としては、順当なのだが、
そうすると寒い駅で始発電車を待たねばならず信濃大町まで来たのだ。
信濃大町から大糸線に乗り、塩尻へ、そして中央本線に乗り換えて恵那駅に。

ちなみに今回の旅は18切符なので、鈍行に揺られ揺られて信濃大町から恵那まで約4時間かかった


恵那駅前
改札のところにある売店など見つつ、


隣にある明智鉄道恵那駅へ


入線してきた明智鉄道のワンマン車。ローカル線の雰囲気たっぷり

9時20分恵那駅を出発

車内では朝ごはん代わりに、駅の売店で買った、桜ういろうを。ほんのりとした桜の香りが口に広がる

電車はのんびりと田んぼと民家がぽつぽつと現れる山間を走っていく・・・


10時17分終点、明智駅に到着
駅前は再開発中なのか道路の拡張工事が行われていたり、普通にスーパーがあったりしてどこにでもありそうな田舎町。
しかし、町の奥のほうに洋風の建物がちらほらと。


明智大正村の地図
この地図を頼りに駅前の、大正風に後世に建てられたっぽい商工会議所と、浪漫亭(土産物屋兼レストラン)を通り過ぎ町の中へ


大正路地。両側を大正時代の米蔵と江戸時代から続いた呉服問屋の蔵が並んでいる。
通りの奥のほうには、擬洋造りの洋館も見える。
通りにあった看板によると、外壁の黒い羽目板を取り外すと、下は土壁となっていて防火壁の役目を果たしているという。


南北街道に出ると向かいに大正村役場がある。
明治39年に建てられた、瓦葺の寄棟造りの木造洋館だ。
中は村長の司葉子(舞台女優らしい)の派手な写真だらけでちょっと興ざめ


でも2階の窓からはこんな愉快なものも。
あと、一番面白かったのが、スリッパ(館内は土足厳禁)

これって、現在の役場から持ってきたのかな なかなか履く機会ないよね

元小学校だという絵画館をチラッと覗き、大正ロマン館へ。
でもここは新しそうな感じだったので、通り過ぎて萱葺き屋根の旧三宅家へ。
中には囲炉裏が見えて、3人ほどの地元のおじいちゃん、おばあちゃんが談笑していた。
まるで今も人が住んでいるかのような風情のあるお家だったので、見学したかったのだか、なんか入りづらく・・・


そのまま裏に回り、花がほころび始めた梅畑を登っていき、明智城跡
旅の相方は山城に詳しくて、明智城は作りが東日本とは違うのか、山城としては異例な点が多いとしきりに歩き回り
地形を見たり、土塁跡や武者走りの跡を丹念に検証していた。


明智城の本丸

その後、龍護寺にある光秀公の供養塔を見て
遠山の金さんと明智光秀が血縁関係にあると知る

お昼も過ぎ、再び大正ロマン館の前を通り、中馬街道に行く


そして中馬街道と南北街道の交差点にある、ギャラリーみたかやという建物が面白い
 
建物が交差点に沿って、3面の壁を持っているのだ。写真でわかるかな

このあたりの道の雰囲気はいかにも昔の宿場町の風情が残っていて、いい感じ

また城下町であるせいか、道は真っ直ぐではなくくねくねと曲がり、先が見通せないつくりになっている。
これは、攻め込まれたときの防御の1つなのだけれど、もしかしたら水路に沿ってただ家を建てただけかもしれないと

この道を見て思ったりした。どっちなのかな

ここで「うかれ横丁」に入ってみる。ここは昔中馬街道の一部で、繭や塩を積んだ人々が激しく往来したところで、
馬子や旅人相手に酒や飲食を提供する店や、カフェーが立ち並んでいたところだったという。
入ってすぐのところに「元カフェー」が残っていたが、外から見ることしかできず残念
覗いてみると、蓄音機やステンドグラスのあるドアがあっていい感じ。
こういうところこそ、中を見せてほしいなぁ

さて、そこをちょっと行くと中馬街道をまたぐ渡り廊下のある家がある。


そして、そこを通り抜けた相方が、「おお~」と歓声を上げるので行ってみると

こんな雰囲気のあるカフェーがやっていました。
さっそくお邪魔して、コーヒーを注文
コーヒーとともにピーナッツが出てくるのは、さすが名古屋圏

   
カフェーの中。大きなジュークボックスがあったり、照明の光がやわらかく、最盛期はどんなだったんだろうと想像が膨らむ

 
帰りはうかれ横丁とは反対側の、南北街道側に出てみる。
すると同じ建物の隣は割烹屋になっていて、あの渡り廊下が、
当時は右側にある芸妓置屋から芸妓衆が、左側にある料亭の席へ通った道であることがわかった


ちょうど旧暦のひな祭りの季節ということもあり、あちらこちらにこのようにひな壇が飾ってあった。

 
元郵便局である、通信資料館。
電話交換機、電話機の移り変わりを現物でかなりの数が陳列されていてなかなか見ごたえがあった。
電話交換手がいたころの電話交換機から自動化され現代に至る様子が実物で見れ、必見だと思った。
ちなみに、いろいろなことに詳しい相方から、なぜNTTが地方都市の一等地に大きなビルを持っているのかという理由を聞いた。
それによると、電話交換機が大きく、交換手が欠かせなかった時代は大きな建物が必要で、通信という要の事業から、
町の一等地にあったのだという。
現在になって場所も人もそれほど要らなくなった後は、ビル自体はテナントとして貸し出しているところも多くあるらしい。
これで、どの町に行っても中心部に高くそびえるNTTの意味がわかった

さて、こうして町を大体巡り終わって、小腹も空いたことだし次の電車の時間を見に行きつつ昼食をとなった。
が、電車の時間まであと20分くらいしかなく逃すと1時間後になってしまうためちゃんとした昼食はあきらめて
駅前の御茶屋で五平餅を買って電車で食べることにした。

ここの御茶屋のおばちゃんがとても味のある方で、五平餅を作っている間お茶とおしんこを出してくれて、ぽつぽつとおしゃべりをした。
おばちゃん曰く、他の所は作り置きだけどここではお客さんが来てから、おばちゃんの手で握って焼いてるんだそうだ。
無事に電車に乗って、おばちゃんの五平餅をほおばると、ふわふわでとってもおいしかった。
このおばちゃんの五平餅を食べに来るだけでもまた明智に来たいと、ぽくぽく走るワンマン電車の中で思ったのでした。

こうして、明智を出発。
このまま帰れば東京までその日のうちに帰り着けるはずだった。

しかし、私と相方は見てしまった
数駅先の岩村に「鉄砲鍛冶」なるものがあることを・・・

そこで大正村を後にした私たちは、江戸の町で途中下車することにしたのだ

つづく













伊東から城ヶ崎海岸を歩いて

2011年03月30日 18時19分17秒 | 週末旅行
3月20日、なんとなく海が見たいなと思って伊豆に出かけることにした。

でも先日からのみずほ銀行のシステムトラブルで所持金はわずかに2500円
そこで18切符を使って伊東まで行き、そこから城ヶ崎海岸まで歩いて、海の上にかかる吊橋を見に行くことにした。

8:20起きてからだらだらごろごろしてしまい、遅めの出発

11:20伊東に到着


湯の花通


ところどころにこんな七福神の像があってお湯が湧き出ている。
置いてある柄杓でお湯をすくって像にかけてご利益を祈願
お土産屋さんではあちらこちらで温泉饅頭が湯気を立てていて、かなり惹かれるもお財布の中身を考えてがまん

伊東のメインストリートの湯の花通からキネマ通を抜け、松川の川岸に出る。

松川沿いに建つ東海館
もとは昭和3年に始まった温泉旅館だそうだが、平成9年にその歴史に幕を閉じ、
現在は資料館兼日帰り入浴温泉になっているらしい
重厚で趣のある姿に、帰りは絶対ここでまったりしようとわくわくしながら海沿いの道へ

国道135号に出ると道のあちらこちらに干物屋さんが


こんな道端でもお魚が干されていました 天気もいいし絶好の干物日和


12:20伊東の街を抜けて川奈へ
磯の香りと波音に幸せな気分に


でもだんだんとこんな道になり海が木々の間しか見えなくなる


海岸に下りる道を発見
迷わず道を逸れるも、トラロープが張ってあり思ったより急ですべる


なんだかトラバースできそうな海岸


トラバースを試みるも海に落ちそうになり、あえなく退散
今度は藪こぎをして道に戻る。
そしてすぐに200mほどの長いトンネルに。
地震による節電の影響か、トンネルの中は電気ひとつない真っ暗闇
自他共に認める穴好きだけれども、こんなところで怪談話を一人思い出しびくびくしながら出口に急いだ
私も怖かったけど、人気のないトンネルでいきなり私を見ることになったドライバーさんもさぞや怖かったと思う・・・

やっと長いトンネルを抜けると、

こんなちょっと気になる木が
さっそくまた道を外れて海岸へ
すると

洞穴の中にお社が。きっと漁の安全を祈願しているものなんだろう。

そしてトラバースするはずだった海岸線を見ると

洞窟らしき影を発見


近づいてみるとやっぱり海蝕洞


入洞


貫通洞になっていて、海が見え、足元には大きな真っ白い流木が転がっていたり、いい雰囲気


洞窟を抜けると・・・

 
海にぽつんと立つ像が 説明も何にもないし不思議・・・
(後で調べたところによると、ここはまないた岩と言って、その昔日蓮が幕府によって伊豆に流された時に降ろされた場所とか)

13:05洞窟も堪能したし、満足してしばし海岸沿いを歩くことに

川奈の町が見える。
波が磯の石を転がす、からからという、澄んださまざまな音階の音が耳に心地よい
空は真っ青だし、潮の香りを胸いっぱいに吸い込みながらなんだか楽しい気分で川奈を目指す

でもしばらくすると、岩場の歩きづらさに飽きて岸壁をよじ登り道へ
そこで「海女の小屋」というよさそうなお店を発見
お昼も過ぎお腹も空いていたが、ここで食べてしまうと城ヶ崎海岸に着いたらお腹が空くとまたもやがまん
温泉饅頭を3つばかり買って来ればよかったとちょっと後悔


13:25川奈港

川奈の町はちっちゃかったけど、ダイバーがたくさんいて、ダイビングショップも何件かあった。
街を進むとT字路に「この先行き止まり」の看板が・・・
でも頭の中の地図では海沿いに道が続いていたはずと、庭先で水仙を採っているおばあちゃんに挨拶しつつ海沿いの道を進む。
岬には灯台が見えて、きっと道があるはずと進む。

しかし・・・

13:35道がいきなり砂利道に
それでも楽天的&めんどくさがりの私は、道があるなら何とかなるさ、と進むことに


こんな道を登ること10分あまり。
出た


ゴルフ場
「関係者以外立ち入り禁止」の看板を見ないふりをして、ゴルフ場のすみっこ、海を眼下にしつつすすむ
しかし・・・


これを見て一気に怖くなり、岬沿いのすみっこを歩くのをやめて
こともあろうに、わたしは誰もいないだだっ広いゴルフ場の真ん中を突っ切りだした

これがすべての間違い
広いゴルフ場の中で完全に方向感覚を失い、ゴルフコースを一人彷徨うことに・・・
この際警備員さんに怒られてもいいから、道に出たい
でもあるのはただゴルフコース・・・


早咲きの桜
汗だくになってもはや立ち止まる余裕もなし
やっとのことで休憩所を発見するも営業していなく無人
また彷徨うことしばし・・・
・・・どうやって出たのか覚えていないが、みかん畑を発見
その道を歩くことしばし・・・

やった民家発見救われた

岬の上の川奈の集落の中に出たらしい。
その後幹線道路と思しき道に出る。
やったーとひとりガッツポーズ

でも、でも町の中を抜けたら

ひたすらこんな道、道、道・・・
つまらない、海も見えない、お腹すいた(お饅頭絶対買うべきだったと激しく後悔

そしていきなりステンドグラスの美術館が現れる。
ここでようやく地図を出した(遅い
どうやら私は川奈ホテルのゴルフコースに迷い込んだらしかった。
そして、川奈港から道はゴルフコースに消えていた・・・
やっぱり地図は見るべし

もうひたすら歩くしかないと観念した私は頭を空っぽにして一歩一歩進んだ。
道沿いには民家もなく、道行く車もほとんどなく、ましてや人なんていない。そして天気も怪しく、雨が降りそうな空に
地図に載っているバス停の名前をひとずつ確認しながら・・・松ヶ崎、堀田、そして三の原。
ここでやっと自販機とベンチを見つけ、休憩。ミルクティーを一気飲みしちゃいました

ここまで来れば次は富戸だ
ほっとして疲れた足に力が入る。道沿いには民家が増えてきた。
そして、とうとうまた海が見えた
坂を下りどんどんまた海に近くなっていく。
坂を下ると小学校、交番、そして


15:15とうとう城ヶ崎海岸の文字が


遠くに城ヶ崎海岸らしき岬が見えてきた。
道はどんどん下り、とうとう海沿いの道になった。


城ヶ崎桜の並木道。いままで曇っていた空もなんと晴れてきた


どんどん近づいてくる城ヶ崎海岸

そして・・・

15:48とうとう来ましたピクニカルコース入り口


富戸の町がお日様の光できらきらと白く光ってきれい


ピクニカルコースは整備された歩きやすい散策路となっていました。

 
城ヶ崎海岸は大室山の噴火で流れてきた溶岩でできていて、そのごつごつとした岬に波が打ちつけるさまはなんとも雄大。


黒船防備砲台跡。


巨大な岩が海に向かってそそり立つ。写真で迫力が伝わらないのが残念


門脇崎灯台が見えた


到着門脇のつり橋だぁ


今までの疲れが吹き飛ぶ光景。
お日様が出ているうちにたどり着いてよかった。岩の上で光と影が織り成すコントラストにうっとり


岬から吊橋を見る。
この岬、手すりが途中までしかなくて、どこからでもダイブできそうで怖い・・・

 
門脇の吊橋は長さ48m、高さが23m。定員は100人らしい。
真ん中あたりを歩くとそれなりに揺れる人がいないのをいいことにわざとどたどた歩いて揺らしてみる
高いところ大好き

ということで、灯台にも昇ってみました

灯台から見た大室山。


灯台から見た吊橋。

16:30目的の吊橋にたどり着き、その岬の雄大さにも満足し、伊東に戻ることに。
このころにはもう、足はかなり疲れ切っていて、はやく東海館で温泉につかりた~い

城ヶ崎海岸駅までは、とっても静かでお洒落ですてきな家々が立ち並ぶ住宅街を通っていく。
案内看板がなかったら、駅は絶対わからなかったと思う。
そんな閑静な住宅街の中に忽然と駅舎が現れる。

ログハウス風のお洒落な駅舎で、2階は喫茶店になっているらしい(オフシーズンのためかやっていなかったけど)
そしてホームにはなんと足湯が

「ぽっぽの湯」といういかにも駅らしい名前で、ぜひとも疲れた足を休めたかったのだが、先客のカップルに遠慮して入れませんでした

17:14伊豆急に乗って伊東へ。
車窓から見える道はさっき歩いてきた道ばかり。
「ここ通った!」「ここも!」「がんばった自分(しんみり・・・)」
5時間かけて歩いた道のりを、電車では20分で伊東駅に到着。

ぽつぽつと雨が降り出す中、いざ東海館へ
でもその前にお腹すいた~
海岸通を行くも干物屋さんはもうみんな閉まっていた
一箇所よさげな食堂を見つけるも女一人では入りづらく、かなり迷うも離れ、次に目に入ったカフェ風のお店に入った。

お目当ては、看板にあった「カニオムライス」
でもなんと頼むときになって気がついた・・・「カニオムレツ」だった

しかもこんだけで900円

そして悲劇は続く・・・

なんと東海館は地震による節電の影響で17時までだった。
ガイドブックには21時までって書いてあったのに~

一人旅はまだまだひよっこだと思った結末でした
もっといっぱい旅して目を養うぞー





















椿の利島への旅

2011年03月23日 21時03分04秒 | 週末旅行
日帰りで行ける島へ行こう!

3月4日22:00、竹芝桟橋から東海汽船のあぜりあ丸に乗って出発。

山育ちのせいか、海と船が大好きな私はさっそく船内を探検♪
船特有の丸い窓や、雰囲気満点のお手洗いの様子にわくわく

デッキに出でみると、そこらでさっそく毛布に包まり酒盛りを始めている人々が

羽田空港の脇を通るときに、着陸を待つ飛行機が列になって空に浮かんでいる様を始めて見た。
ちっとも途切れない光の列に、羽田の過密ぶりを肌で感じつつも、
1機が着陸してもまた、ぽっと列にまた1機と飛行機が加わる光の列を飽きずにしばらく眺めていた

船は横浜港により、いよいよ東京湾を出て伊豆諸島へ
24時前には船内は消灯となった

5日6:00、大島到着のアナウンスで目が覚める。
2等の椅子席だったにもかかわらず、ぐっすりと眠れた。


大島で日の出を迎えた


7:40頃に利島に到着

フェリーの待合室でささっと朝食を取りいざ、町の中へ


はしけと海の歴史広場
東屋があってその中にふねとはしけが置かれていた。
ここからは港が見渡せて、バーベキュー用と思われる囲いもあったのになんとこの島は↓

残念

土曜日の静かな町の中をそっと通り抜け、島の頂上、宮塚山へ行く道に


町のはずれから山の中腹辺りまで椿畑が広がる。


椿畑は下草が刈られ、とてもきれいに整備されていた。


真っ赤に咲き誇る椿畑の中を歩き、
宮塚山の登山道へ。入り口はちょと草ぼうぼうで一瞬、ここでいいのかな?と不安になったけど上っていくとそれなりに整備されていた。


登り始めて1時間ほどで展望台に着く。
ここからは利島の町と港が一望できた。大島も見えてとっても気持ちがよかった。

そこから5分くらいで宮塚山の頂上へ出た。
しかし木々に覆われて展望はまったくよくなく、別の場所に展望台が設けられている理由がよくわかった。

ちなみに、登山道にはところどころ丁寧な案内板があった(「もうすぐ」「すぐそこ」などと頂上までの道案内をしてくれる

下山は町とは反対側に降りてみる。
こちらには南ヶ山園地がある。
ところどころに池もあるとてもよく整備された公園だ。
でも島のこちら側には、今は人は住んでいないみたいだった。



写真ではうまく撮れなかったけれども、南ヶ山園地からは神津島や八丈島、三宅島までを見渡せた。
そこで一番目を引いたのが、1つだけまっ平らといっていい式根島。
ほかの島が島らしく盛り上がっているのになんで、式根島だけあんなに平らなのだろう。
よし、次は式根島だっ!

利島にはいくつか有名な巨木があるのだけれども、神代椿と大イヌマキは見つけられず、見られたのは

この大シイ
でも巨木好きとしては、根っこが絡まりあい、何本もの樹が絡まりあい、真ん中が朽ちて空洞化している、
歳月を感じさせる姿にうっとり


甘夏の木。ちょこっといただいてしまいました。甘酸っぱくておいしかった

大山小山神社(幾段もの階段を登ったところに小さなお社があるのだけれども、なぜかお賽銭箱は階段の下にあった。
これって、参拝者が階段を登らなくて済むようにという配慮?それともお賽銭を集めやすくするため・・・?なんて勘繰ってしまった)
阿豆佐和気命本宮を詣でて島を一周している道をたどって再び町へ

ちょうどお昼ということで、島唯一の食堂に向かってみるも、やってる気配なし・・・
ここは事前に予約しないとだめということでした。

そこで町の地図(街中のいたるところにあり、丁寧にお店や施設などが書かれている)を見ながら商店を幾つか巡りパンをゲット
そしてはしけと海の歴史広場に戻って昼食

で、なんとこんなものが売ってました↓初めて見て興味本位で買ってみたもののお味は・・・(苦笑)



14時半の下田行きの船まで時間があったので海岸を散策

こんな不思議な建物はお手洗いでした


14:30には下田行きの船に乗り込み利島に別れを告げました。


島の概略図。
こんな感じで半日で十分に見て回れました。
椿畑の美しい、居心地のよい島でした。
日帰りできるのに、ちゃんと離島感が味わえる島としていい感じ


利島の遠景。隣の三角形のかっこいい島は無人島らしい。行ってみたい

2時間弱で下田に着き、このあとは干物を買ったり、金目鯛のお刺身定食を食べたりして帰路につきました。
実は帰り道に都心に一番近いローカル線&工場萌えができる鶴見線を経由したけれども、それはまた今度