地底小人の日和たび

週末小旅行と地球のすきまにもぐる旅

雨だってGOGO!沖永良部part2

2011年07月12日 18時51分39秒 | ケイビング
5月4日。今日はTさんの帰る日だ。
11時半くらいのフェリーで彼女を送り出したあと、
沖永良部島の観光スポットの一つフーチャに行く
小雨が降っていて天気はあまりよくなかったけれども、
絶壁に波が打ち付けて侵食された海蝕洞の中に打ち寄せる波の青さはやはり南の島ならではの美しさ

そして地元民のSさん曰く、「しばらく待っていればウミガメが見られるよ」
その言葉の通りに10分ほど海を眺めていると、波間に浮かぶウミガメの姿が
しかも1匹だけじゃなく、順ぐり2,3匹見ることができた。ウミガメをこんなふうに見るのは初めてで嬉しかった

その後、HさんとOさんはSさんと島の観光へ。
私とNさんはこの日も洞窟へ

O洞
リムストーンケイブから入ってトツルを抜けて石柱ホールに行く
連日の雨によって増水していて、トツルは数年前に来た時のイメージとは違いずいぶん違った。
より狭くなっていてテンションは
ヘルメットを外して、目と鼻と口が辛うじてでる隙間をゆく水穴最高

石柱ホールにたどり着いて撮影タイム
でも、数年前に初めて来た時よりもなんだか石柱の白さがくすんで見えた

Nさんにカメラを貸してもらい、ストロボの使い方などを教わりながら写真を撮る。
いつも自分でとっていたのとは違い、ストロボの光を受けて立体的に綺麗な写真が撮れて感動
Nさんと交代でたくさん写真を撮り、またトツルを通り、今度はリムストーンケイブへ

こちらもやはり水量が多く、リムストーンがほぼ水没状態。
再奥のアミーゴサイフォンに飛び込んで
帰り道にまた撮影しながら進む。
途中の立派な石柱があるところではNさんが、石柱に抱きついてくれるというお茶目な写真も撮れて

出洞するとSさんが迎えにきてくれていて、大山キャンプ場に帰るとHさんたちが夕食を作って待っていてくれた
のんびりな楽しい1日だった

5日。朝からすごい
G洞に行く予定だったけれども、洞口確認に行くと、マンホール洞口にも水が流れ込んでいる状態で、危険と判断し断念
朝に旅立ったO大がくれた焼きそばをお昼に食べて、
水の影響の少ないS洞上洞に行く。
ここはゴルフ場から観光洞S洞の近くに通り抜けのできる穴。
まずはゴルフ場に空いている穴から入ることにする。
ゴルフ場には鶏と変な派手な鳥がいて追いかけっこする

洞内はつらら石とストローが多い綺麗な洞窟
所々で撮影する。Nさんからストロボの当て方で全然違う写真になることを教えてもらったり。
やっぱりNさんが撮る写真はとても綺麗。

でも進むうちにだんだんおんなじような洞窟が続くのに飽きてくる
滝に近づくにつれて水位が上がってきて、無駄にプールに飛び込んだりする
でもNさん曰く、ほんとはこんなに水はないらしい。
そして、案の定滝はとても降りられないほどの水量となり、滝壺も普段の倍以上の大きさになっていて引き返すことにする
 
出洞するとまだコケコッコーの鶏がいて追いかけっこをしていたら、長靴や軍手をつつかれた
S洞で待っていてくれたSさんと合流し、そのご私たちはお風呂へ
明日帰る予定なので、お風呂から出たらSさんのお家に鍋など借りていた物を返しに行く。
Sさんのお宅は面白いおもちゃ箱みたい
とにかくいろいろなものがある。古いものも、電気関係、工具、自転車やバイク、果ては電子ピアノもあってSさんが弾いてくれた
夕食を食べに行く時間の関係でDVDも途中まででお別れしてきてしまったけれども、
もっとゆっくりいろいろなものを見たり、ピアノを聴いたりしたかったくらい楽しかった

夕食は・・・もちろん焼肉
Nさんが次から次へと隙間を作らないように乗せる肉を平らげ、いっぱい食べて美味しかった〜
焼肉がこんなに美味しく感じられたのも、この5日間の活動が楽しかったおかげほんとに美味しかった
キャンプ場には飲んでなかった私が運転して帰る。そしてキャンプ場でまた飲み直し
楽しく夜は深け、すっかりふらふらに酔っ払いました

6日。とうとう楽しかったケイビングざんまいもおしまい
撤収し、帰る時、大山キャンプ場の管理棟で作業していた地元の人と話をして、宝貝のストラップをもらう
その後はお土産を買ったりして、11時半のフェリーに乗ることに。
お世話になったSさんと握手をして別れる。本当にありがとうございました

船では私はまた爆睡
Oさんは海を見ながら入れる船内のお風呂に入ったみたい。私も入ればよかった。次回はチャレンジ

19時には那覇港についてみんなとお別れ。
わたしは空港に直行し、お土産を買ったりしつつ、21時過ぎには那覇を離陸
23時半過ぎに羽田につく。やっぱり涼しい
こうして楽しい合宿は終わった



はずだった・・・しかし私にはまだ待ち受けているものがあった・・・
それは山手線の中でうっかり寝てしまったことから起こった・・・
新宿駅でハッと目を覚まし、乗り過ごしたことに気づき、あわてて逆周りのホームに駆け上がるが
無常にも電車のドアは目の前で閉まり、新宿駅は終電を送り出したのだった。私を残して
仕方なしにタクシーで帰るも、深夜割増で2500円も取られてしまった

こうしてまたエラブの思い出を、また一つ増やした合宿だった




雨だってGOGO!沖永良部part1

2011年06月30日 15時40分22秒 | ケイビング
5月1日いよいよ今日から沖永良部島でのケイビング
お宿のみんなはまだお休み中お世話になったCoCoShantiのYさんたちに手紙を書いて6時頃に出発
荷物が多かった(ザック2個)ので、途中で見知らぬおじさんに心配されつつも那覇港へ向かう。

歩いて向かったんだけど、途中で道を間違え7時の出航に危うくなったのでタクシーで港へ
港につくと既に乗船が開始されてて焦ったけど、ギリギリ間に合ってフェリーに
デッキに出たら、同じクラブのHさんと、既に手にビールを持ったOさんに会った
フェリーでは、サーターアンダギーの朝食?を取ったあとはすっかり寝てしまった

14:00雨のため当初予定していた和泊港ではなく、伊延港につく。
ものすごい大雨ほんとに土砂降り
そんな中、前日に島入りしていたNさんと、地元民のSさんが迎えにきてくれる。
なんと10年に1度の早い梅雨入りにあたってしまったらしい

泊まりは大山キャンプ場。もちろんテント泊
前夜はすごい大雨だったらしくNさんのテントはびしょ濡れ・・・
これから1週間のテント泊を思ってちょっと不安になるも、屋根のあるステージにテントを張ったのでガンバル

買出し後、第一号の穴へ
道路脇にぽこっと空いた洞窟で100mくらいかな。名前のとおり、つらら石はそれなりに多かった。
すんなり出てくると、Tさんも来ていた。
これで今回の合宿メンバーが揃った

帰り道にKの穴、B洞の洞口の水量を確かめてびっくり
普段の3倍以上になっているとのことで、用水路をあふれ出で道まで水浸し
地下河川型の洞窟ばかりのこの島で、今回はどれだけ穴に入れるかな・・・とちょっと心配になる
けど、普段見られない水量でなかなか楽しいかもって水穴ずきの私は少しわくわく

キャンプ場に戻るとO大OBたちも来ていた。
チゲ鍋の夕食をつくり、あすの計画を立てる。
久しぶりの沖永良部の黒糖焼酎「はなとり」がおいしい

2日今日はK洞とH鍾乳洞に行く。
K洞は通り抜けると洞口から海が見えるのが、超魅力的
お天気はあいにくので青い海は見れなかったけれども、
それでも、洞窟をでると海ってすごい

その後、少し戻り滝に行くルートをたどる。
HさんとOさんは滝下で待っていて、Tさん、Nさん、私で滝を登り先へ行く。
滝上のルートの再奥部は狭洞になっていた。
ここは「小人部隊親衛隊」隊長の私が行くしかない
突っ込め〜GOGO
でもかなり狭くて匍匐前進なんてもんじゃない・・・
体がやっと通る隙間を呻きながら進む・・・
すると出た
光の見えるおっきな空間
もしや新空間発見か

と・・・一瞬いきり立つも実は、入ってきた洞口にループしていただけだった
意気消沈して、また長い辛い狭い隙間を通ってTさんたちのもとへ。
どうやら新ルートは発見したらしい。でも全然嬉しくないっ

H鍾乳洞
K洞をでるとSさんが迎えにきてくれていて、つなぎを着たまま立ち乗りで車に乗る。
なんとSさんのワゴン車は天井が開くのだ
全身濡れていたからちょっと寒かったけど気持ちいい
H鍾乳洞は真っ白な二次生成物がよく発達していて、エラブにきたーって感じ
真っ白いカーテンとか石柱とか・・・美しかった

さて、満足して出洞してさて着替えようとなったところで、な・ん・と・・・
Nさんがk洞にポシェットを忘れてきたことに気づく
Nさんに付き合って私はもう一度K洞へ
海の見える洞口にもないし、まさかの滝上・・・
再び滝を登り・・・あった意外なところに隠れていたポシェット君でした
見つかってよかった〜

その後無事にお風呂に入って夕食を買ってキャンプ場に戻りました

3日。今日もやっぱり
TさんとNさんとは別行動で、O大に混ぜてもらいHさんとOさんとK穴に行く。
K穴は水中匍匐が長い穴で有名なところだ。しかも今回は水量が多い
思っていたより匍匐という感じではなくて中腰で進む感じ。
しかも途中で、水平天井で10センチくらいしか水面から空間がないところとかあってテンションは
狭い通路が終わると、今度はいきなり鍾乳石の多い広い空間に出た
1mを超えるような純白のストローが天井からシャンデリアのように天井を覆い尽くす・・・絶景

この先で綺麗な鍾乳石があって、Nさんから命じられた写真撮影タイム
でも自分のじゃないカメラと使い慣れないストロボに四苦八苦
O大の方に協力してもらい何枚かなんとかな写真を撮れて、とりあえず役目は果たしたかな

その先しばらく綺麗な空間が続く
と・・・だんだん洞床が泥になってきた
嫌な予感は的中し、その後長靴が泥沼から抜けない、体が泥の中に沈んでいく・・・
しまいには立っていることもできす、泥の中を泳ぐように・・・
しかしこれが進まないこと、進まないこと・・・
隊員たちのうめき声が洞内にこだまする
そんな泥地獄をはい回ることいかほどか・・・
なんとか再奥にたどり着き、泥の山、泥の富士山に登ってみんなで記念写真イェイ
・・・でも現実・・・ここからまた泥地獄を通って帰るのかぁ〜
ドロドロ泥ドロドロ泥どろどろろろろろっろ・・・・

やっと泥沼を抜けて水流に出た時の喜びったら
水に飛び込んできれいに泥を洗い流すさっぱり〜
しかし、帰りは上流に向かって登っていくので荷物が重い
ボッチャン池からは万が一に備えて持ってきたSRT装備も入って重っ

しかも
しかも
 ・
 ・
 ・
しかも!!!!!!!!!!!!
途中でmyデジカメをなくしてしまった
どうやら胸ポケットが破れて落っこちたらしい・・・

このせいで一気にテンション
体力は余っていたけれど、気力がゼロに
こんなにイラついてしまったのはこの温厚な私にはめずらしいほんとに・・・

出洞後、迎えにきてくれていたNさんは昨日のK洞のこともあり、一緒に探してくれると言ってくれたが
気力なし意気消沈の私は
「もう2度とK穴なんか入るか〜
って言った
(もちろん今はそんなことないケド・・・あぁ・・・

という訳で、沖縄から写真がなかったのはこのせいなんです

つづく





通りすがりの沖縄観光

2011年06月15日 19時54分47秒 | 旅行
GWは沖永良部島でケイビング(洞窟探検)ざんまいの予定を立てた

しかし、沖永良部島は2日に便しかフェリーがないということで、
沖縄に2泊してプチ観光をすることにした

4月29日、20:00に羽田を立つ
那覇空港についたのは23時近く。

空港を出ると風が暖かく、南に来た〜って感じ

宿はゆいレールの県庁前駅を降りて、国際通りにある「ゲストハウスCoCoShanti
地図は持っていたものの、ものの見事に迷って九茂地周辺をぐるぐる
しかも荷物が、70リットルのザックと20リットルのザックという、総重量20キロ超の大荷物だったから汗だく

結局、電話して迎えにきてもらう
わからなかったのも当然、お宿は路地とも言えない、建物と建物の隙間の通路を入った先にあった
一軒家を改造して作ったCoCoShantiは、入るとき思わず「おじゃまします〜」と言ってしまったくらいのアットホームなお宿

玄関を入ると2匹の可愛い犬たちが迎えてくれた
お宿のYさんが2匹が親犬のちーちゃんとその子犬のコボンだと教えてくれた。
体は子どものコボンのほうが大きい 2匹とも人懐っこくてほんとに可愛い

汗だくになった体をシャワーでスッキリさせて、居間でコンビニで買ったご飯を食べながら、
Yさんや他の宿泊者さんから観光情報を教えてもらう。

実は玉泉洞に行くことを最大の目的にしていたのでそこを中心に計画を立てる。
Yさんの話だとどうやらレンタカーが一番いいらしい。
レンタって高いんじゃないとビビリ気味な私
と、そこでYさんがOTSレンタカーの案内と割引券を持ってきてくれた
なんと4人乗りクラスの車を1日利用でたった5000円弱沖縄のレンタってやすいってびっくり

島の南部を回る計画を立てた頃には既に2時に
みんなはまだおしゃべりを続けていたけれど、私は先に寝ました

翌日
7時、まだみんなは寝ているみたいで静かな宿をそっと抜け出して出発
国際通りもまだ眠りの中って感じで静か
朝ご飯を食べれるところはないかな〜って探しながら牧志駅まで行く。
そこからゆいレールでおもろまち駅へ。ここのDFSにレンタの営業所がある。

が、しかし8時からだと思っていた開店は9時で
朝ごはんをもと求めて駅周辺を回るも、まだ開店してなく、仕方なくコンビニで朝ごはんをゲット

さてさて、手続きをしていざレンタカーのもとへ。
と、そこに待っていたのは真っ赤なフィット今日一日の旅のお供はこの子でした
出発っ

なれない道にびくつきながらも、国道331号線を南下まずは最初の目的地へ

ひめゆりの塔
ひめゆりの塔の前にはガマが。
洞窟好きとして思わず身を乗り出すも、資料館でここが伊原第3外科壕と知り、ここで、この周辺で何が起こったのかを知る・・・
1945年6月18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出された翌日の19日早朝、米軍のガズ弾攻撃を受け
この壕に残っていた100名あまりの、ひめゆり学徒隊を含む陸軍病院関係者、通信兵、住民などのうち80名あまりが亡くなった。

資料館を見学して、なんとも言えない苦しい気持ちになった。
15歳から19歳の、自分より年下の、学生生活を楽しく送っていたたくさんの女子学生たちが
なんにも知らないまま、いきなり満足な設備もない地下壕病院に送り込まれ
なんにもわからないまま、酷い傷の看病や、死体の埋葬までも行わなければならなかったその気持ちはどんなだったんだろうって
自分だったらって考えると・・・

青春時代ってやっぱり人生の中で一番思い出深い時期なんだと思う。
私の祖父も満洲に行って、シベリアに送られているけれども、今でもその当時のことをよく話す。
それも辛かったことよりも、いたずらしたり、同年代の人とじゃれあった楽しかったことを。
でもそこは戦場で・・・

戦争が人生の大事な時間を、時間だけでなく命も奪ってしまうのは確か
そしてそこには、奪うという言葉では理不尽なほど、失われたというにはあまりにも確かな、
ひとりひとりのかけがえのない人生があるんだということを思った。


沖縄ワールド玉泉洞
さて、ちょろっと道に迷うも、正午過ぎに、今回の観光の目玉玉泉洞のあるおきなわワールドに到着
ここにはケイバーが1人働いていて、会いたかったのだけど、いきなり連絡も無く行ってしまったので会えなかった。
お忙しい中、なん人もの職員の方に聞きまくってしまい申し訳ありませんでした

玉泉洞は観光洞としては、私の中では日本一だと思った
スケール、鍾乳石の豊富さ、演出の面白さ、照明の当て方etc・・・
ただ豊富すぎる鍾乳石のせいか、通路を作るためにつらら石が数メートル見事に折られていたのは、ちょっと切なかった
でも、折れたつらら石の先端から既にストローらしき鍾乳石が出来始めているのは、さすが成長の早い琉球石灰岩だと思った

洞内であまりにもじっくりと見てしまったため、残りの王国村は駆け足で通り過ぎる
それでも、琉球硝子や藍染、植物園近くの南国フルーツが売っているところではかなり足を止めた
15時ごろがぱらぱらと降る中、王国を後にする。
今度来るときは、隣のカンガラーの谷(ケイブカフェもある)と合わせて1日ゆっくり満喫したい


斎場御嶽(せーふぁうたき)
おきなわワールドから再び331号に戻り、今度は斎場御嶽を目指す。

と・こ・ろ・が、私はどうしても通りたい道があった。
それが県道86号線にあるニライカナイ橋
小雨の降る天気だったので、真っ青な海を望みながら走るということはできなかったが、
それでも全長660mの緩やかにカーブする橋は、なかなか良かった
結構歩いている人もいっぱいて、晴れだったら私も歩いて通りたいと思ってしまった

さて、そうしてまた331号に戻ってすぐに斎場御嶽がある。
御嶽とは南西諸島に広く分布している聖地らしく、斎場御嶽は琉球王国最高の聖地だったとか。
基本的に石灰岩の露岩が儀式の場所となっていて、つらら石も随所に見られた。
ここで圧巻なのが2枚の巨大岩が作り出している景観だ。
また今でも聖地として崇められているので、触ったりしてはいけない壁や壺があったのも感慨深かった。

レンタの返却時間が迫ってきて、帰路につく。
途中でものすごく眠くなったけど、さんぴん茶と沖縄限定紫芋プレッチェルで元気を出して、
無事にレンタを返却。時間が過ぎていたけれど特に何も言われず

国際通りに歩いて戻り、キティちゃん好きの妹のために沖縄限定キティグッツのお土産を買ったり
お土産屋さんなどを見ながら宿の方へ

途中で寄ったフローズンヨーグルトのお店では、セルフでやり方が分からずしたけど
ココナッツヨーグルトとタピオカに大満足おいしかった〜

やっぱり「ただいま」という雰囲気のお宿にもどり、チーちゃんのお出迎えを受ける
雨で濡れてしまった体をシャワーでさっぱりさせ、居間へ

Yさんはお出かけしているとのことだったけれども、AさんやHさん、Nさんたち宿泊者とケーキやコーヒーを飲みながら談笑
実は皆さん、ここやほかのゲストハウスに住んでバイトしながら沖縄で生活しているとか
うらやまし〜
私もせめて通りすがりじゃなく来て、ゆっくり沖縄を満喫したいと思った

そして、私も東京でこんな居心地のいいゲストハウスをつくってみたい〜
そんな夢を抱いてしまった沖縄でした














時代を駆ける旅ー最終編平成・未来?の巻

2011年06月01日 16時13分33秒 | 週末旅行
さて、17時半過ぎに岩村を出た私たちはもうすでに東京には帰れない時間になっていた
(18切符の旅だからね
そこで、今夜の宿を探すべく名古屋へと向かった。

その途中相方がぽつりと言った。
「変な乗り物って好き?」
なんだか意味不明だったが面白そうなので、その案に乗ることに

19時。私たちは名古屋近郊の中央本線高蔵寺駅にいた。
そこに1台のバス
なんの変哲もないただの路線バスだ。とりあえず乗る。出発
バスは普通に夜の郊外の住宅街を走っていく
お客さんもそんなにいないし、普通の人ばかり。
だんだん飽きてきたただのバスじゃん

しばらく走ると、なぜか高速の入口のようなところにバスが入っていく
するとなんと今まで普通の道路だったのが、高速のゲートのようなところを通過すると共に、モノレールの路線になったのだ
しかも、運転手さんはハンドルから手を離し、なんと自動運転に
 


駅はまるでモノレールの駅のよう
でも走っているのはバス

終点の大曽根駅でバスの下を見ると

なんとタイヤの横にモノレールの線路を走るためのものが

これは、ゆとりーとラインという不思議なバスモノレールでした

面白い乗り物を堪能したあとは、大曽根→金山に移動し、夕飯を食べ名古屋駅前のスーパーホテルにたどり着き、
この日はおしまい

さて、翌日も「変な乗り物ツアー」は続く
今度は名古屋から地下鉄東山線に乗って藤が丘駅へ。

ここで出会ったのがリニモ

そう、愛地球博のときに作られたリニアモーターカーだ


雰囲気は東京の日暮里舎人ライナーによく似ている。
でも走り出すととってもなめらか〜
音もほとんどしないほどでけっこうな急勾配もすいすい


リニモの路線図
終点の八草で降りる。

と、そこでなんともすごいものを見てしまった
終点のために方向転換するため引込線に入ったリニモ
そのとき、レールが動いた
それも4本のレールがきれいに交差してポイントが切り替わった
それは一瞬だったけど、ものすごくかっこよかった
もう一度これだけを見るために訪れたいくらい

さてさて、近未来の乗り物を体感したところで今度は、またローカル線の旅を続けることに

八草駅に止まっていたローカル色満点の電車(乗らなかったけどね)

八草から愛知環状鉄道で高蔵寺→名古屋に戻り、東海本線に乗って大府へ

今度の目的は知多半島の山車祭り
4月のこの時期から知多半島は祭りに染まる
半田市の31台を筆頭に知多半島全体で100台を超える山車が保存されていて、どれも絢爛豪華で大きい。


ワクワクしながら大府から武豊線で終点武豊へ

しかし・・・街はひっそり・・・
駅員さんに聞いてみると今年は地震の影響で自粛ムードとか
そして祭りは翌週からだった・・・

しょんぼりしていてもしょうがないので、とりあえず半田に向かう
 
半田駅の陸橋は、明治43年に作られたJR最古の橋らしい


半田駅周辺の地図


「蔵の街」というキャッチフレーズでミツカンの蔵が並ぶ。

立派なミツカンの建物。


通りにはこんな工場への入口もあって密かに工場萌え


古い町並みの路地。この木戸の先には何があるんだろう・・・

こうして1時間ほど半田の街を散策し、そろそろ東京に帰る時間のリミットが近づいてきた
再び武豊線に乗って東海道本線へ

途中豊橋にてB級グルメ「豊橋カレーうどん」を食べてこれからの鈍行の旅の養分とした


東海道本線を乗り継ぐこと約6時間。旅は終わった




時代を駆ける旅ー江戸村岩村の巻

2011年05月26日 18時24分18秒 | 週末旅行
さて、鉄砲鍛冶の名に惹かれて岩村で途中下車を決めた私たち


なんともローカル色満点の岩村駅


しかも上りホームで降りると、線路をわたって駅舎に行くことになるのだ
線路の真ん中に立ってみる爽快感
まさに♫線路は続くよ〜どこまでも♪


岩村駅



岩村の地図
これを頼りに鉄砲鍛冶の家を探す。


街の中は江戸時代の城下町の雰囲気が色濃く残り、長屋が連なる。
岩村は江戸時代に東濃地方の政治・経済・文化の中心として栄えた城下町で、多くの商家が集まっている。


目的の鉄砲鍛冶の家
中を拝見することはできず、鉄砲鍛冶の様子も見ることはできなかったが、
現在も住んでいる様子。歴史が引き継がれている様子が垣間見れた


なんと銀行
重厚な作りにびっくり

 
街は駅から岩村城にかけてうなぎの寝床みたいに細長く、横幅はあまりない。
交差点を渡って江戸の旧家が多く残る道へ

江戸末期から台頭した木材や米を扱う商家である勝川家紺屋土佐屋問屋木村邸・・・
歴史ある長屋が続く。
特に目を引いたのが、建物の入口、1階の扉が跳ね上げ式の大戸であったこと。
扉は横に開くのではなく、ドアのように押し開くのでもなく、ウィンチ?で扉を内側の天井につるし上げる。
これはなかなかほかでは見れないのではと思った。

またもう一つ目についたのが、家々の入口にかかっている青い暖簾。
どれも女性の名前が入っているので、ひな祭りだから、女性のいるお家には暖簾がかかっているのかななんて相方と話していた。
その後、調べたところによると
「これは、岩村町の歴史に大変深く関係しているのです。
岩村城の長い歴史の中には織田信長の叔母が女城主として君臨していた時代がありました。
そうした歴史的背景からも、岩村町は広く“女城主の里”として知らており、また女性を前面に押し出した
まちづくりを進めている為、そのことにちなんでその家の女性主人!?の名前がのれんに書かれているのです。」(岩村観光協会HPより)
ということらしいです

さて、この旧家群を抜けたところにあったのが岩村酒造

なんと長屋の中を、蔵までトロッコの線路がしいてある


中庭には清らかな水が流れる池が

  
酒蔵の中はなまこ壁や木の梁と金属のパイプが混在していて、密かに工場萌え


トロッコのレールの先には

しめ縄がはってある酒蔵に

酒蔵の見学を終わると、女将さんがお酒の試飲をさせてくれました
「女城主純米吟醸酒」はまろやかで甘みがあって、すうっと飲めて、口の中に香りがふんわり広がる、
なんとも美味しいお酒でした。これまで飲んだお酒の中でも一番美味しいのではと思うほど
そのほかにも、「女城主純米吟醸酒」から作った梅酒やゆず酒も試飲し、こちらもまろやかで飲みやすい
そして甘酒も飲ましていただき、ゆず酒と甘酒を購入しました

その後、日本三大山城と呼ばれる岩村城
 
 
立派な石垣が現れてくる
こんなに大量の岩を切り出すにはどれだけの労力がかかったのだろうと思うと感嘆の声が出た
ところどころに井戸もあり、今だに青々と水をたたえている


本丸跡


岩村城の復元図
かなり立派な城だったことがわかるが、建物が少ないのが気になった。
石垣がこれほど立派に残っているのに建物の情報が少なすぎて謎が多かった。
城を降りたところの資料館を見れば謎が解けたかもしれないが、閉館時間になってしまい残念

ところで、その資料館の脇の家に面白いものが
 
昔の使用人の出入口を残したまま、その上に現代の家を建てたのだろうか・・・

ぶらぶらと駅に向かって歩きながら名物のカステラを松浦軒本店で買い求める。
ここ、岩村にはカステラのお店が多い。
松浦軒のパンフレットによると
現代のスペイン・ポルトガルにあたるカスティーリア王国にルーツを持っているカステラの原型は
ポォン・デ・ロという丸いパンの一種でポルトガルでは現在も各地で盛んんい作られているという。
日本には、ご存知のとおり長崎のカステラが有名であるが、既に現代式の日本のカステラしか作られていないという。
しかし、ここ岩村にはなんと本当の原型のカステラが残っている。
なぜならば、今から210余年前、寛政年に岩村藩の御殿医が長崎でオランダ人よりその製法を習い、帰ってきて松浦家に伝えたからだという。
製法は当時のままだということだ。

食べてみると、たしかに巷に溢れているしっとりねっとりしたカステラと違い、歯ごたえがあり香ばしい。
異国情緒あふれる長崎の専売品だと思っていたカステラの原型に、岐阜の山間で会えるなんてなんだか不思議な感じだ

街には現代からいい意味で取り残されたような街並みや路地やものがあちらこちたにある・・・
 


街はもう夕暮れ
街も人通りが少なく情緒あふれる街が静かに夜を迎えようとしている心地よさが漂っていた・・・

静かに暮れてゆく街を後にし、今夜の宿を求めて名古屋に向かうのであった

つづく