noteの記事からの転載です。
Saki Konno
2020/01/20 18:13
日本に定着したスピリチュアルの定義が曖昧なことを承知の上で、主観的にだらだらと書いてみます。筆者がタロットカードとアストロロジーに興味を持つようになったのは四半世紀以上前のことです。当時は、スピリチュアルという言葉はまだなく、オカルトで一括りにされていました。精神世界ブームは土星の公転周期にシンクロしていると思っていますが、当時は情報も少なかったためか、膨大な知識量と批判的思考によって象徴体系を玩ぶ碩学の嗜みといった趣でした。現在のスピリチュアル界隈のユルさとは対照的です。ほぼ同時期に、宮﨑勤の猟奇殺人事件が世間を賑わせ、続いてオウム真理教が台頭するという終末的世相にあって、臨界点に達する緊迫感から退避する領域として、用意されたかのようでした。当時のユリイカなどのオカルト特集には、アンドロギュノスを希求する純粋さが見出されます。深刻であり、不確かなことへの敬意というか遠慮が伺えます。こういった記事がスピリチュアルなのかもわかりません。
筆者はベジタリアンでもなければ、瞑想も全然しない普通の人なのですが、敢えていうなら、70年代後半から80年代後半にかけてのオカルトが放つ磁力にとらわれていたのだろうと思います。よくわからないものにつかまれてしまった感じはありますが抵抗しないのは、90年代に入ったある夜、理解不能な幸福感に包まれた体験が現在でも痕跡を留めているためです。当時の同級生も同じ体験をしたので、もしかすると、他にも体験した人が結構いるのではないかと思っています。土星の公転周期約30年を経て、曜日の無限循環構造によるトーラスモデルのカードゲーム化という形になったことは、よくわからないなりに、当時の体験の本質を掴んだという手応えがあります。乗り物の鍵を手に入れたという感覚に近いです。スピリチュアルに飽きたという人は、何かを掴んだからでしょうか?あるいは、何も意味を見出せなかったからでしょうか?それとも、これ以上進むと危険だという自己保存本能でしょうか?