東日本大震災の津波にのみこまれ児童74人、職員10人の計84人が死亡・行方不明になり
そのうちの児童23人の遺族が、市と県を相手取った民事裁判の判決が言い渡されました。
学校にいて助かったのは児童4人と職員1人
大川小学校は海岸から約4kmに位置し、津波ハザードマップの津波予想浸水域外にあり
校庭には地域住民の方も避難してたそうです。
記事を読むと、市が災害の翌月4月に説明会を開催したとき
唯一生き残った男性教諭の説明と、生き残った児童の証言とに矛盾があり
市教委は疑問を残したまま2回で説明会を打ち切り
この児童から聞き取り調査したメモは
「子どもの記憶は変わるものだ」などとして廃棄したそうです。
この最初の不信感が裁判の根底にあるのでしょう
未曽有の自然大災害が発生し、その対応で市も多忙を極めていた時期と想像します
普段の日常が破壊され、皆明日をも想像できない忙殺の中での出来事
震災の3年後に行った大川小学校です。
裏山を見ると、まだ草も生えない津波の到達地点が分かります。
当時は学校の周りも民家が密集してたんです。
裏山までは100m、10mの高さに登るまで小走りで1分
この災害以来「てんでこ」・・・・各々自分の判断で散りじりに避難するって言われますが
小学校1年生の子にも自己責任
日頃の訓練・備え・自己啓発がこれからは重要になるのでしょう。
判決は学校に過失
教員に柔軟な対応を求め、高い注意義務を課すよう結ばれてました。
「てんでこ」で、柔軟な対応をし、高い注意義務。。。。。。。