近代建築撮影日記

日本全国の近代建築を
大判カメラ、一眼レフ、デジカメなどで
撮影した写真で紹介していきます

鍛冶六(旧永尾金物店)開店

2023-04-04 04:23:42 | 近畿

2023年4月2日「鍛冶六」が開店しました。
元金物店でしばらく空家でしたがこの度リノベーションされました。
書店であり、パン屋であり、酒屋でもあるちょっと変わった形態の店。
旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか
で紹介した物件です。

まず、以前の状態

2018年4月21日


2018年12月31日


 

リノベ直前

2022年11月13日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リノベ完了。
2023年1月28日










2023年4月2日 開店当日
「カジロクパン舗」










「鍛冶六書店」棚貸のシェア型書店






地下は「鍛冶六酒店」


二階へ




わずか3畳の座敷






洋室はシェアスペースのようです


このライトは、私が提供したものです!




回廊












龍野の伏見屋商店という書店にも回廊があり、本屋として再生したら良いと思っていましたが望みが叶いました

↓これが伏見屋(2022年3月撮影)


田淵氏庭園一般公開 2022.11.19

2022-11-22 05:29:37 | 近畿

田淵氏庭園

 製塩業を中心に、赤穂の資産家として財を成した田淵氏の住宅庭園である。赤穂御崎に位置する三崎山の傾斜面に当たり、麓部に位置する居宅の周辺から背後に続く傾斜面の中腹にかけて、石組の池や茶庭から成る庭園が展開する。
 表門から主屋及び書院の玄関へと至る導入部には、飛石沿いに露地庭又は坪庭風の庭園が展開し、書院の背面には岩盤を穿って造られた池がある。書院は寛政2年(1790)以前に造営されたもので、書院から池に向かって左側の傾斜面には高さ約4mの滝石組があり、池の右側に架かる石橋を渡ると、飛石づたいに傾斜面の上方へと登ることができる。勾配が緩やかになり飛石が延段に変化した頃、右手に腰掛待合とともに2階建の明遠楼が現れ、さらに飛石に沿って歩を進めれば、左の蹲踞を経て明遠楼階下の寄付へと到着する。
 明遠楼は宝暦年間に藩主森忠洪のお成りに合わせて建てられたとされ、もとは赤松滄州が「嘯風楼」と命名したが、明治6年(1873)に伊藤東涯の扁額を入手したことから「明遠楼」と改称したとされる。その意匠は簡素で優美であり、階上から塩田の眺望を意図した作意は傑出している。
 また、明遠楼に対面して巡らされた木塀には中潜りが設けられ、その内側には茶室である春隠齋を中心に待合い・蹲踞などから成る内露地が展開する。
このように、山裾の書院と斜面上方の明遠楼や春隠齋などの建築群は茶の湯の儀礼を通じて一つの庭へと溶け合い、それらが持つ芸術上・観賞上の価値は極めて高いことから、名勝に指定した。
(上記説明は『文化遺産オンライン』より)


受付は赤穂市立美術工芸館 田淵記念館

(この写真は2021.6.25撮影分)
で、1100円を払って受付完了。少し値が張りますが、以下の写真を見ていただくと納得できると思います。

田淵家全景



(この2枚も2021.6.25撮影分)
万里の長城みたいに塀が続く大邸宅です。

外から書院と茶室「春隠齋」が見える




門だけでなく塀の板が全て一枚板!!


こちらは主屋










門の右手に土蔵がある





土蔵の入り口に金庫の扉を付けているのは初めて見ました


旭金庫工業製。

書院と蔵の間にこのようなしつらえが!









蔵の裏には普通の出入り口がある。



書院




















書院の縁側から庭園と茶室「春隠齋」が見える












橋を渡り、斜面を登る


茶室「春隠齋」と2階建の「明遠楼」に向かう飛石

樹齢数百年と言われる大銀杏がある



茶室「春隠齋」は塀に囲まれている




左は「春隠齋」の待合、右上に「明遠楼」が見える


「春隠齋」














「春隠齋」から「明遠楼」に向かう途中に主屋が見える


主屋に隣接する巨大な蔵


「明遠楼」に向かう門


登っていくと「明遠楼」の上にも庭がある


「明遠楼」




























「明遠楼」から見た「春隠齋」と主屋、かつては塩田を見渡せたという






「明遠楼」を出て「春隠齋」の塀脇を下って


「明遠楼」の一階に出る








最後に明遠楼階下の腰掛待合


林田大庄屋 旧三木家住宅と林田藩藩校 敬業館講堂

2022-05-23 01:00:00 | 近畿

林田大庄屋 旧三木家住宅(兵庫県指定重要有形文化財)

長屋門・長屋(建築年代:寛政8年(1796))
道路から見た外観


長屋門(左)と長屋はL字型に配置されている

内から見る

左に長屋、中央が長屋門、右は屋外便所

内から見た長屋門


長屋門内部(左の戸口の中)


長屋門内部(右の戸口の中)




長屋の厩部分


その内部


長屋の端、パンフレットには「積物置」とある


主屋(建築年代:17世紀)
右に厩、左は屋外便所





多数の持送りが付く


式台玄関


庭園から見た主屋


裏面




右の蔵は新蔵


内部







長屋や倉庫ではなく主屋内に足踏みの臼がある


圧巻の梁。












井戸も主屋の内に。






風呂場


『河野鐵兜展と林田焼』という企画展が開催されていた(5/16で会期終了)

この軸は河野鐵兜(秀野)と東馬(香邨)兄弟の合作

庭園


米蔵(建築年代:19世紀前期)

内蔵(建築年代:19世紀前期)

新蔵(建築年代:19世紀中期)

左は風呂場、右に米蔵


林田藩藩校 敬業館講堂
お休みだったので、外観のみ











カメラ:SONY α7
レンズ:Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 Aspherical II

(掛け軸のみ)
カメラ:SONY α7RII
レンズ:Voigtländer MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 Aspherical


山陽道(西国街道)・青山の街並み散策(姫路市)

2021-03-04 00:06:32 | 近畿

去年の9月なので半年近く前。山陽道(西国街道)の青山を散策した。
宿場町だと思っていたが、調べてみると姫路の次は正條(たつの市)となっている。
因幡街道との分岐点で河岸という立地で栄えたのだろうか?


2020年9月撮影
使用カメラ:SONY α7
使用レンズ:Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III


町の西にある薬師堂を起点に歩く。

薬師堂の脇に「史蹟 宗全寺跡」の石碑。
一応「姫路市Webマップ」に説明があったのでリンクを貼っておこう。
https://www.sonicweb-asp.jp/himeji/feature/600/239780:27176?theme=th_23&layer=600

しかし、個人的には石碑(文字)よりも形あるモノを見る方が愉しい。
という訳で、薬師堂。

右に古い五輪塔が見えるが「姫路市Webマップ」に「嘉吉の乱(1441)のとき、播磨国守護となった山名宗全(持豊)が戦死した一族や家臣の菩薩を弔うため建立した寺」という説明が納得できる。



街道を東へ

傷みが激しいが、明治くらいに遡れそうな虫籠窓の入母屋造の町家。

その隣も本瓦葺き入母屋造の町家。これは先程の町家より2階が低く、ほぼ確実に明治以前だろうと思う。

前栽に立派な松の木、蔵も隣接した上質な建築だ。

明治くらいに遡れそうな町家が多数残る。町家と言っても前栽があって母屋は道から少し引いて建てられたものも多い。

暗渠になっているが道沿いに水路がある。元はもう少し広くて小舟で物を運んでいたのだろうか。それとも生活用水のみの用途か。

これも明治くらいか?2階が低いつし二階建ての町家が多く現存している。

姫路市内ではよく見かける、2階が虫籠窓と出格子になった町家だ。

国史見在社射目埼神社の碑

何か良く解らなかったが、調べてみると稲岡神社に合祀された神社らしい。
国史見在とは『日本書紀』など古代の六国史書「六国史」に記載のある神社という事らしい。
石碑が主張しているのは歴史が古く由緒正しいという事だ。

神社に向かう参道に入ると小さい祠が。


祠の横の町家。

これも、二階が低い。

稲岡神社


蘊蓄を語るのは説明板に任せよう。




鳥居が・・・

国史見在社射目埼神社の碑の後ろ、灯篭の左に鳥居の台座がある。
まさか倒壊したわけでもあるまいが、倒壊の恐れありで撤去されたのかな?

播磨の神社拝殿は千鳥破風と唐破風が重なるものが多い


彫物も精緻で立派だ


説明板にあった絵馬はここには無いらしい




左隣には金比羅神社
海辺ではないが、ここは夢前川の河岸。廻船業など水運関連の生業がさかんだったのだろうか?

古い絵馬も多くある。沢山掛かった小さいやつは干支っぽい


神社の近くに・・

この洋館、外壁はモルタルか洗い出しだろうか。瓦も洋瓦だ。大正か昭和一桁頃だろう。上質な建築だ。

細路地に面している


いや、こっちが表か?

やや簡略化されているが、洋風の意匠がある。

洋館の真横に水路が通る

これは、船着き場ではないか?ここからでは良く見えないが、建築の後部は和風のしつらえのようだ。

庄屋屋敷


蔵の横には洗い出しの縁にドイツ壁の塀がある


母屋も相当古い


少し歩くと、これもかなり古い蔵だと思う。


街道に戻り、東向きに歩き始める
形は町家なのでおそらく改装だと思うが、新築の可能性もある。


街並みが続かず、ポツンと一軒家になってしまった町家が・・・


水路がここかしこにあるが、この石垣はかなり古そうだ。


ここからは、街並みといって差し支えない家並みがある


これも2階が虫籠窓と出格子になった町家


2階の高さだけ見ると大正くらいか。黒漆喰の外壁に細かい格子が美しい。

かなり大きい。改変無くほぼ創建時の姿を留めていると思われる、大変貴重な町家だ。

これは!

舟板壁!!船の廃材を転用したもので見かけは汚いが、貴重な壁材だ。

横庭がある。屋号もあり、母屋は見世として使われていたゆえに前栽ではないのだろう。

やはり、青山は水運の拠点だったのだろうか?

いつまでも残ってほしい風景だ。


次も部分的に改修されているが、上質な町家だ。


虫籠窓は江戸~明治以前というイメージがあるが、二階の高さを考えると大正以降の可能性が高いと思う。

格子が美しい。

2軒並べて見ると、ほぼ同じ時期の建築という印象だ。


向かい合わせの町家は、前栽があり2階の高さが低い。

かなり多きい。

本瓦葺き虫籠窓で2階も低い。

江戸まで遡るかもしれない。しかも、舟板壁。

正面から見ると、2階の低さが良く分かる。


こちらも前栽ではなく横庭


船板に格子。格子は細かくて美しい。


町の東、教専寺山門


木彫が細かい。


寺の北に水路


寺の東を南北にも水路が。

結構太いので、小舟を通すための水路だったのではないか。


室津道・才の街並み散策(姫路市広畑区)

2021-02-26 23:21:05 | 近畿

通りがかりに立派な町家を見付けて散策した「才」という少し変わった名前の集落。聞いたことはあったが全く初めての散策。

【追記】
2月27日再訪時の写真を追加。27日分の写真は☆印付き。
再訪はスマホ撮影です。


2021年2月23日撮影
使用カメラ:SONY α7RII
使用レンズ:Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL III



才郵便局辺りの室津道沿いに東を見る。

大きな町家、屋敷、元商店。大変栄えた村だったのだろう。近くに山が見え、どちらかというと農村だろうか。
集落は左だが、まずは室津道沿いに右(東)に見える町家に向かった。

本瓦葺きの立派な町家。

黒漆喰に虫籠窓。明治末くらいまで遡るであろう、上質な町家である。玄関部分は桟瓦で昭和初期くらいの後補のように見える。

隣の町家。

軒の高さから考えると、大正か昭和初期だろうか。蔵もあって、外壁に銅板が張られた上質な町家。

近くには、大きな一枚板の戸がある門もあった。

尋常ではない上質なものだ。

西に戻り、村に入る。
その前に、才天満神社にあった才村についての解説を。後ほど神社にも行くので神社の説明もお読みいただきたい。

網干と同じく相給の地。後ほど分割統治されていたことの証しも出てきます。

集落の東端に位置する蔵。標柱には「旧室津街道 札場跡」とある。

神社のような彫物に大きい戸。屋台蔵だろうか。


側面を見ると、立派な土蔵造り。屋台に土蔵造りは必要ないと思うが。屋台蔵ではないのかな。


裏に回ると、隣接の古民家と一体化している。蔵の素性がよく分からない。

最初の写真の左に見えていた屋敷の左にも立派な屋敷がある。

本瓦葺き。

屋敷右の倉庫棟?

屋敷前に水路があり、かつては舟で荷物が運ばれていたのだろうか。路地の奥には寺もある。

徳圓寺(浄土真宗本願寺派)








裏に回ってみる

今は溝だが、元は小舟くらいは通る水路だったのかもしれない。

寺には蔵もある

銅板張りの土蔵。

足元の石垣も気になる。

切り込みハギ。ブロック状に加工するより手間が掛かっていると思う。石も建築散策の見どころの一つだ。

振り返ると、昭和初期くらいの古民家の塀に擬木がある。

こういう物は、左官の仕事。散策の目を楽しませてくれる。


土台がコンクリートなので古い物ではないと思うが、面白い造作だと思う。
写真には写っていないが、母屋の屋根には鍾馗さんが居る。

これも、立派。

見た目だけの判断だが、明治の母屋に昭和初期の二階建て増築という感じ。


粋な窓のある土塀も雰囲気があって良い。

短い長屋門?の屋敷

まるで京都府内のような良い雰囲気がある。

これも凄い!

母屋も蔵も軒下が段蛇腹で銅板張り、更には門の戸板が一枚板。よく見ると門の樋は竹を模した銅製のもので、造形が目を楽しませてくれる。上質な材をふんだんに使った素晴らしい建物だ。



先に見たコンクリートの擬木や金属の擬竹も建築散策の愉しみの一つ。

茅葺トタンハウスもある

農村らしい雰囲気も残っている。

こんな風に街並み散策をしていると、犬の散歩途中の方に声をかけられ
あっちに行ったらもっといい屋敷があるとか神社があるとか、色々教えていただいた。
その中に分割統治の話があって、集落には郷蔵が二つあるという。

その一つがこの「才緑蘇会館」



外は直しているが、江戸時代の建物だという。
事実なら貴重な文化財だが、姫路城のある姫路市ではこのような小粒の建築はほとんど見向きもされない。
この良い雰囲気の街並みも埋もれたままひっそりとしている。
もう一つの蔵は札場跡の蔵という事だが、もし江戸時代の姫路藩領のものなら固寧倉の遺構の可能性があるのではないか?

教えてもらった神社に向かう

長~い長屋門のある屋敷。向こうに見える山のふもとに神社がある。
母屋は本瓦葺きの古いものが残っている。古い建物の現存率も凄く高い。

才天満神社



播磨地方は力石がある神社が多い。播州龍野が相撲取りの元祖、野見宿禰の死没地とされ野見宿禰神社に祀られており、相撲になじみ深い土地柄だ。

由緒

焼失後、昭和58年再建。新しい。

拝殿に対して石柱と灯籠が斜めに配置されているのは何故だろうか。


拝殿の鬼瓦は獅子頭

下から見上げると目が合うように下向きに取付けてある。古びた彫物の造形も素晴らしい。これは昭和58年よりもっと古ように見える。


絵馬も古いようなので、拝殿は焼けなかったのであろう。

神社に立ち寄ると、狛犬ウォッチングも愉しみの一つ。
時代による材質や姿形の違いがあって見比べると面白い。
作者の力量やクセもあって千差万別だ。

阿形

前は45度の角度で撮影すると顔が正面を向き、前身の様子も大体わかる。


後部は真直ぐ後ろから写すとしっぽが正面になる。45度で写しても良いだろう。

吽形



製作は文政4(1821)年。古い!
材質は砂岩系で、明治頃までは墓石にも多用される高級石材だったようだ。

右に小さな祠

何の神様か、扁額などの表示が無く不明。

灯籠を見ると文政6(1823)年と読める。

古くから祀られた祠のようだ。
この色は竜山石だろうか。
高砂市原産の石材で、古墳時代には石棺に、江戸時代には姫路城の石垣、昭和初期まで建築石材として人気が高かった。

しかし何故、牛か馬を繋ぐ金具がこんな所にあるのだろうか?


左にも祠がある

ここにも牛繋ぎが・・あぁそうか、旗竿差し。成程ね。

こちらの狛犬は明治40年代の製作。先程のものと造形の違いを楽しんでみてください。

阿形




吽形




境内にはこんなモノも・・

立派な台座に鳥居?

台座の銘に昭和9年とある。銅像でも作ったのではないか。そしてすぐに戦時供出されて、再建ではないけど何か造ろうかと・・・
あくまで想像だが。
※コメントでご指摘いただきました。伊勢神宮への「遥拝壇」の可能性もあるそうです。

七ツ石


蘊蓄は説明板で。


天神さん定番の牛の像



大正5年建造。造形が精緻で素晴らしい。大正時代は建築や工芸の材質も職人技も史上最高に達した時期だ。

牛の後ろにある、これは何だろう?



木製のようだが、切り株をくりぬいて甕のようなものを造ったのか??壊れているが、これを造るのはものすごく大変だったと思う。

そんなこんなで、これで散策は終わり。後で地図を確認するともう一つ寺がある。もう一度踏査したいと思う。


【追記】
早速再訪し、もう一つの寺「随應寺」へ。
随應寺は山裾にあり、才天満神社からの経路上には・・・


竹林があり、山里の雰囲気もある。

そして、山門


小さいけど、これが山門だろう。

本堂





こじんまりとした建物だが、山を背景にした落ち着いた雰囲気が良いと思う。

境内には再建の、お稲荷さんがある。

神仏習合の名残りだろうか。

播磨では神仏分離令は緩やかにしか守られず、廃仏毀釈の話も殆ど聞かないように思う。
網干の話ではあるが、
魚吹八幡神社の神宮寺は明治の末まで神社境内にあり、破却されずにすぐ隣に移築されて今なお現存している。
大覚寺の境内には寛永12(1635)年に建てられた荒神社がある。

墓地に古い墓石があった





漢文の解読は出来ないので内容はよく解らないが、文政12(1829)年の銘があり、お寺の歴史も才天満神社同様に古いと思われる。


永富家住宅(国指定重要文化財)

2020-11-15 00:04:11 | 近畿

Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL IIIに続き、中古価格が下がったSONY α7RIIをやっとの思いで入手し、カメラ・レンズ共に機材が揃った。快晴なので、国指定重要文化財の永富家住宅でその実力を試そうと思い立って、二度目の訪問。1992年以来だから、なんと28年ぶりだ。

2020年11月14日撮影
使用カメラ:SONY α7RII
使用レンズ:Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL III

☆印は1992年10月11日撮影
使用カメラ:Nikon F
使用レンズ:記録は無いが Ai Nikkor 50mm F1.4s だったと記憶している

長屋門

凄く長いように見えるが、左半分には籾納屋が接続されている。









主屋






























主屋内部
















































1992年に訪れたときには「大・小」の看板があった。





これは今、大の月か小の月かを示すカレンダーのようなもの。大・小に変化するギミックが面白い。

籾納屋




籾納屋~大蔵


大蔵




乾蔵


内蔵


味噌蔵


料理部屋~井戸~漬物部屋


全て12mmレンズで撮影してトリミングしている。ブログの小さい画像では高画素機の実力は実感できないかもしれないが、明らかにα7とは違う。画角が足りない時だけのつもりで買った12mmレンズだが、使い始めると畳用レンズになってしまった。


旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)とiPark(2019-2020)

2020-02-12 01:59:25 | 近畿

『旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)』で一度ご紹介したダイセル異人館ですが、2019年に改修工事が行われリニューアルオープンしました。iParkという公園に整備された周辺部も含めて再掲いたしします。

※使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount
※()は撮影日、記載無きものは前の写真と同日撮影。



公園案内版(2020.2.4)


融合の軸(ダイセルの事業変遷)


ダイセルの歴史は1919年の大日本セルロイドの設立から100年となっていますが、


網干工場の歴史は1908年の日本セルロイド人造絹糸の設立に遡ります。110年以上前のことです。


上の写真は、設楽貞雄設計で1909(明治42)年建造の1号石炭ボイラーで、現存しています。(2020.2.8)


(2019.6.6)




ダイセル構内には戦前築と思われる鉄筋コンクリート5~6階建ての建築もあったようです。(2020.2.4)

戦前の網干には鉄筋コンクリートの建築は小学校の講堂しかありませんので、網干工場がいかに大きい工場であったか伺い知ることが出来ます。

融合の軸(ダイセルの事業変遷)と異人館の夜景(2019.11.11)


100周年記念モニュメントの夜景(2019.12.5)


iCube(2019.9.25)

最近のネーミングは良く分かりませんね。○○研究所という風なシンプルなネーミングの方がわかり易いと思いますが。

(2020.2.4)


(2019.9.14)


同 夜景(2019.12.5)


ダイセル異人館説明版(2020.2.4)


旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(クラブハウス)

姫路市都市景観重要建築物等指定第3号のピンクの洋館は、賓客の宿泊などに使われていますので非公開です。緑の洋館と同形ですが、2階正面窓に鎧戸があり煙突は撤去されています。設楽貞雄設計で1910(明治43)年建造です。

(2019.11.2)


(2020.2.4)




旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(旧図書館)夜景(2019.11.11)

公園のモニュメントが明るく照らされているのに対し、玄関灯のみでいささか寂しく感じます。
姫路市都市景観重要建築物等指定第2号の緑の洋館は、セルロイド資料館として平日のみですが無料で内覧可能です。こちらも設楽貞雄設計で1910(明治43)年建造です。

建物の中央に煙突があります。側面の窓回りなどに幾何学的な意匠があり、旧網干銀行との共通性を感じます。(2020.2.4)


下見板張りと縦板張りが適度に交錯し、小気味よいパターンを生み出しています。


屋根のパターンが以前とは違っていますので、吹き替えられたようです。


(2019.11.17)


一階玄関周りにバルコニーがあるのは、長崎グラバー邸などで知られるコロニアルスタイルとの共通点です。


バルコニーにはサンルーフがあり、室内にも明かりが差し込むようになっています。




(2019.11.17)


2階にベランダがあります(2020.2.4)


空中に向かって開く無用扉があります。ベランダに通じるようになっていたのか?下に下りる階段があったのか?改修前も同様に無用扉でしたので、その昔はどうだったのか分かりません。(2020.2.8)


外観を一回り見ましたので、玄関から入ります(2020.2.4)

扉枠のデザインもやや幾何学的でシンプルです。

まるで新築のように綺麗になっていますが・・

古い部分は再塗装していますが、壊さずに残しています。

古い建物のキズやシミ、汚れなどは刻まれた歴史の証しとして残すという考えもあり、
修復のやり方にも賛否両論あります。
最近では、この両論に対応しようとして、修復時に綺麗に塗り直しているのに、ほんの一部だけ汚れたまま残している。
というちぐはぐな方法も見かけるようになりました。



ひょうご住宅百選、姫路市都市景観重要建築物等、近代化産業遺産の認定書




トイレ内部

再塗装していますが、古い部分はきっちり残しています。
小便器やタイルは竣工当時の物ではなかったので、最新の物に取り替えたようです。

一階の三部屋を時計回りに回っていきます


扉を抜けて黒キューピーのある部屋に入って振り返りました・・

各部屋に暖炉がありますが、建築の中央に集中しています。
一か所で火を焚けばすべての部屋で暖が取れ、煙突も一本で済む。
効率的な設計です。

暖炉が使われなくなり、煉瓦で塞がれたのだろうと思います。






セルロイドの黒キューピーは貴重だといいます


階段を登って二階へ


八角形の親柱など、幾何学的な意匠が見られます。


半螺旋の階段と「幅木」部分の曲線のリズムが小気味よく感じられます。


トイレと共通のランプシェードは古い物です。セルロイドのステンドグラスは交換されました。


もしかしたら、セルロイドではないのかも。見た目では判断できないので確認しなくては!




書斎






化学遺産認定書。4件の指定があります。


子ども部屋


トイレの真上です。

かなり狭いので、本当に子ども部屋だったのかな?と思いました

寝室

左の窓は、ベランダへの出口です。








旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(従業員コミュニケーション・スペース KUSU)(2020.2.4)

この建築は、何の指定もありませんが『姫路市史』には外国人技師住宅Aとして掲載されています。
正面にバルコニーがあり、他二棟と同じコロニアルスタイルの特徴を有していますので
同時期に設楽貞雄設計で建てられた可能性も考えられます。







(2020.2.8)


こちらはクラブハウスに泊まる賓客にふるまわれるという大吟醸酒。

非売品ですが、昨年11月のイベントで限定販売されました。



ダイセル異人館のように、網干に残る貴重な建築群の保存再生が促進されることを願って止みません。

以下は過去投稿記事のリンクです。網干は建築遺産の宝庫ですので是非ご覧ください。

【網干関連の過去投稿記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
網干の近代建築
網干の近代建築と町家
昔の航空写真(姫路・網干)
『歴史と景観のまち 網干を歩く』発売
【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!
旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)
網干の近代建築 2017
網干の町家と街並 2017
旧山本家住宅 2017
旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
『網干商工会館
『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』
『旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)』
『旧網干銀行(2019年10月)』
『旧網干銀行 湊倶楽部開店~(2019年11月~2020年2月)』


旧網干銀行 湊倶楽部開店~(2019年11月~2020年2月)

2020-02-08 01:20:31 | 近畿

さて、これまで何度も取り上げてきた旧網干銀行の開店直前から2020年2月までのレポートです。

※使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount
ほか

※()は撮影日、記載無きものは前の写真と同日撮影。

以前投稿した
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧網干銀行(2019年10月)』
に改修前~改修中の写真を紹介していますので、あわせてご覧ください。


外観(2020.11.10開店当日)

電線はデジタル加工で消しました。

新たに鉄格子の扉と鐘が付きました。





(20200211)


増築のトイレ(2019.11.4)

本体に合わせた幾何学装飾が入っています。モルタル壁ですが、違和感の無い色目で塗られています。

神戸の「Familiar」から譲り受けた扉は・・

旧網干銀行とFamiliarのダブルネームになっており、受け継がれたストーリーが紡がれています。

正面入り口内部(2019.11.10)

2019年10月にはペディメント(三角の破風)の跡が見えていましたが、見事に復元されました。
旧状を知る写真などは残っていませんので推定ですが、違和感の無い形に纏めていると思います。

一階客席(2019.11.4)

一般に、銀行員が業務する営業室には仕切りがあり一段高くなっています。
レストランなので銀行と同じ形にはなりませんでしたが、それをイメージした復元になっています。

南の窓(2019.11.10)

全て綺麗にするのではなく、ある程度元の状態を残して刻まれた時を感じることが出来るようになっています。

旧網干銀行湊倶楽部時空金庫

朝日放送の『ココイロ』でも紹介されました。
関係者やお客さんがメッセージや写真を金庫に収めています。
タイムカプセルとして、この建物のどこかに埋蔵されるそうです。

北側窓(2019.11.4)

建物に合わせて、本物のアンティーク小物が置かれています。

金庫室

こちらも本物のアンティーク、電気蓄音機です。

一階東側

このシャンデリアは、元々吹き抜けの天井にあったオリジナル。

一階個室

一階東の元支店長室だったと思われる部屋。少人数のグループ向け。

入り口付近から吹き抜け天井を見上げる(2019.11.10)

シャンデリアは新調。一部残っていた回廊はそのまま残されました。

吹き抜け天井(2019.11.4)

天井は元のまま残されました。

階段室天井(2019.11.10)

明り取りの天窓にステンドグラスが入りました。

二階個室

元は、部屋の半分に宿直室らしき畳の間がしつらえられていました。

二階広間(2019.11.4)

この季節(11月)は西日が真っ直ぐ差し込んできます。

レンズの絞りを操作すると・・

このように光の表情をコントロールできます。

シャンデリア(2019.11.2)

特注で、既成のランプを組み合わせて作成したそうです。違和感なく上手く仕上がっていますね。

二階から見る(2019.11.10)


演劇『泡沫の記憶』舞台セッティング(2019.11.16)





トルソは三浦悦子さんの作品。


機材などは、かなり本格的ですね。
私は11月17日に観劇しましたが、網干でこんな都会的な演劇が観れること自体驚きでした。
ちょっと難解でしたが、緻密に組み立てられたストーリーと芝居、演出は素晴らしいものでした。

そして、今(2019.2.9)



二階にお雛様が。



ではここで、食事について紹介いたしましょう。

メニュー




お店より手書きのメッセージ


私は黒毛和牛のシチューランチをいただきました。

この丸いパンが柔らかくて美味。オリーブオイルを付けていただきます。ポテトポタージュにもオリーブオイルが。

メインディッシュはビーフシチューの他にメンチカツ、タラのすり身フライ、ほうれん草をペースト状にしたものなど盛りだくさん。

タラのすり身はほぼ蒲鉾で、弾力ある食感が私好みで美味でした。ほうれん草はお隣の御津町産。
もちろんビーフシチューも美味でした。

デザートは自家製パンナコッタでした。そして珈琲or紅茶が付きます。


ちなみに、こちらは 湊倶楽部限定グランシェフランチコースのメインディッシュです。

一度に黒毛和牛のシチュー、播州百日鶏のシチューの双方を愉しめるのでお値打ちです。

記念にオリジナルコースターをいただきました。

こういうロゴ入りアイテム、好きなんですよ。


そして、謹製食パン


湊マークの焼き印

1.5斤丸ごとなので私の好物「ヘタ」の部分も賞味できます!

生、焼いて、更にバターをつけてと食べ比べてみました。

生・・もっちりしていて柔らかく、しっとり水分が多いと感じます。自然な甘みがあり、美味しい。
焼いて・・・外はパリッと中はもちもちで更に美味しく感じます。
更にバター・・美味しいのですが、このパン本来の味が後退するように感じました。

個人の感想なので参考にならないかもしれませんが、焼いて何もつけずに食べるのが良さそうです。


ライトアップ夜景(2019.11.4)

デジタル処理で電線を消しています。

ちなみに青空の表題写真は開店日が曇り空だったため、2019.11.4撮影分です。
こちらも、デジタル処理で電線を消しました。


網干銀行湊倶楽部の開店を機に、あぼしまちの活性化と貴重な建築群の保存再生が促進されることを願って止みません。

以下は過去投稿記事のリンクです。網干は建築遺産の宝庫ですので是非ご覧ください。

【網干関連の過去投稿記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
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網干の近代建築と町家
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【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!
旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)
網干の近代建築 2017
網干の町家と街並 2017
旧山本家住宅 2017
旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
『網干商工会館
『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』
『旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)』
『旧網干銀行(2019年10月)』


旧網干銀行(2019年10月)

2019-10-09 00:06:56 | 近畿

もうすぐレストランとして再生する旧網干銀行。
オーナーのご厚意で、急ピッチで進む改修工事の様子を見せていただきました。

以前投稿した
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
に改修前の写真を紹介していますので、比べてみてください。


 【網干関連の過去投稿記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
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『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』
『旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)』


開店するレストランの屋号は『旧網干銀行 湊倶楽部』です。
はじめに、この名称について少し触れておきましょう。

まず「旧網干銀行」について。
私自身この建築の事を「旧網干銀行本店」として紹介してきたのですが、
「旧網干銀行網干町支店」という可能性が高くなってきました。
決定的な証拠は有りませんが、
本店は現在のJR網干駅付近にあったという情報があり、
JR網干駅南口にほど近い「荒神社」の玉垣に「網干銀行本店」とあります。


そして、旧網干銀行の建物にほど近い「船渡八幡神社」の玉垣には「網干銀行網干町支店」とあります。

これらの玉垣の事も含めて考えると「旧網干銀行網干町支店」であったのだろうと思われます。


では、何故「湊倶楽部」なのでしょうか?

揖保川河口に位置する網干はかつて、港町として大変賑わっていた。
揖保川の高瀬舟による舟運が終焉を迎え
運送手段が鉄道、トラックに移るにつれてその賑わいは失われ、
ひっそりと遺った銀行や洋館、町家などの建物が往時の繁華を偲ぶのみとなった・・・

外から網干に入られたオーナーはそんな網干の歴史に思いを寄せ、強い気持を込めて名付けたと聞いています。
更に、店舗スタッフには網干の歴史や旧網干銀行のことを学んでもらい、お客様にそういった発信も出来るようにしたい、
ともおっしゃていました。


そして『旧網干銀行湊倶楽部』のシンボルマークとして、旧網干町の町章が使われます。


この紋章は「干」が3っつかと思ったのですが、調べてみると、
「網」の古字「网」と「干」を組み合わせたものであるとのこと。
近藤春夫 編『都市の紋章 : 一名自治体の徽章』(行水社・大正4)21ページ
に事の詳細があります。
ちなみに、網干小学校の校章はこれに「文」を組み込んだもの。

旧網干町役場の正面玄関に同じマークのエンブレムが見えます。

この写真は昭和33年、姫路市網干支所時代のもの。


それでは改修途上の旧網干銀行を見ていきましょう。

屋根。足場に登らせていただきましたが、最上部は細い手摺りのみで目隠しも無い。結局、怖くて建築の正面まで行くことができませんでした・・

銅板葺きと思っていたのですが、波型スレートですね。後の改修でしょうか?

昭和初期の絵葉書を見ると・・

分かりにくいので、拡大します。

登って撮影したのとは反対の面ですが、屋根がうろこ状に葺かれています。これを見て、ドーム部分と同じく銅板葺きかなと思っていました。
ドーム上には何やら装飾が付いているようですね。残念ながら、この写真だけではデザイン等は全く分かりません。

現状を見ると、該当する位置に釘のようなものが残っています。

雹に打たれたような痕が点々と見えますね。長年の風雨に耐えた証しです。

登った記念に網干パノラマ写真を撮影。(3枚写してフォトショップで合成)

絵葉書では重厚な本瓦葺きの甍が続いていたのですが、その面影は少なくなっています。

二階の壁面。こんな近くで見れるのは、今だけです。







全てを塗り替えるのではなく、傷んだ部分だけをモルタルで補修しています。
古い部分は出来るだけ残す。文化財修復の基本ですね。

では、下から順番に見ていきましょう。


一階外部西面南側、洋服店時代にショーウインドーがあった場所にコンクリートが打たれています。


この建築にはトイレが無いので、ここに増設するそうです。

正面の仕切塀はトイレの内壁になるようです。

姫路市の都市景観重要建築物等のプレートも新しくなりました。

おそらく申請時の登録名が「旧網干銀行本店」となっているのでしょう。前述の通り「本店」ではない可能性もあるのですが。

そしてこちらは、都市景観重要建築物に指定された記念に配られたポケットティッシュ。

おや、古絵葉書に写っている面の屋根も波型スレートですね。ということは、このスレートは後の葺き替えで間違いありません。

それでは内部を見ましょう。まず、少し前の9月末時点の状態。
一階北東向きに撮影

壁が取り除かれ、シャンデリアのある個室になっていた部分が見えるようになりました。

南東向きに撮影

金庫が見えるようになりました。

東向きに撮影


そして、10月6日。
正面入り口内部。

入り口ドア上部にペディメント(三角の破風)が付いていたのでしょうか?
拡大して見ると・・

アーチを積むときのように、煉瓦が斜めに積まれているのが分かります。

そして、入り口の左脇に露出した煉瓦。

左右で煉瓦の大きさが違いますね。見せる面を変えているようです。壁自体の厚さにも差があるのでしょうか?
この建築は煉瓦造ですが、構造体の煉瓦は外壁と内壁に隠れて見えないように造られていました。
今回の改修で構造体の煉瓦を垣間見ることが出来ましたが、レストラン開業時にはその殆どが再び隠されてしまいます。
ちなみに外壁に見える煉瓦部分は化粧煉瓦と云って、タイルのようなものです。東京駅もそうですね。

北西向きに撮影


北面

左の窓上部に煙突孔があります。この部分、よく覚えておいてください。二階に関連するものがあります。

北東向きに撮影


南向きに撮影

右(西側)にトイレが出来ます。

この煉瓦は見せるようにするそうです。


二階は西半分を撤去。天井が見えるようになりました。




金庫室扉


一階奥の部屋。前回「位置的に考えると頭取室か?」という事で紹介した部屋です。

この部屋の、腰板と扉は旧赤穂塩務局網干出張所とそっくり同じです。内壁が漆喰というのも同じ。
更に言うと網干商工会館の扉も同じデザインで、内壁も漆喰でした。同じ施工業者である等の関連性があるかもしれません。

天井漆喰が少し落ちています。もろくなっているので、傷んだ壁面を斫る(はつる)など、振動を伴う作業中にパラパラと落ちたりするそうです。


右手の階段を上って二階へ向かいます。


手摺りや階段には養生が。

階段には赤絨毯を敷くそうです。

明り取りがあった階段室天井。

こちらも漆喰が落ちそうなので覆ったそうです。

明り取りの窓が抜けているので、天井裏の小屋組みを見ることが出来ました。

右下に見える天井板はすのこ状になっています。

二階の床が抜けた部分からも、すのこ状の天井板が見えます。

塗った漆喰を固定するためにすのこ状の隙間が造られているとのことです。

二階金庫


二階には、バーカウンターが出来るそうです。


この回廊は分離したまま残すそうです。


床は、旧山本家住宅を思わせる寄木張りです。

元、畳の間が入っていた部屋。


この部屋の半分は元の漆喰壁を残すそうです。

このような個室にも客席が造られ、10人ぐらいまでのグループの貸し切りも可能になるようです。

もろくなった天井の漆喰はパラパラ落ちる可能性があるので、下部に新たな天井を作るそうです。

漆喰鏝絵の技法で塗られた天井は隠れてしまいますが、そのまま後世に遺されます。

二階東端の部屋

少し雨漏り痕も見え、傷んでいます。よく見ると、煉瓦に穴が?
拡大して見ましょう。

煉瓦一個分の穴が開いており、木煉瓦を挿すほぞ穴だという事です。

同じ部屋の中に、

赤矢印のような「幅木」が付いていますが、煉瓦の穴は幅木をしっかり固定するためのほぞ穴です。
そして、黒矢印のものは何だか分かりますか?
そう、一階の窓に煙突孔があった所の取り換えパーツとでもいうのでしょうか、窓ですね。

この部屋の漆喰鏝絵の技法で塗られた天井も覆われ、しばしの眠りにつきます。

※オーナーにお聞きした話を元に、レストラン開業時の店内のことにも触れましたが、古い建物の再生という性質上計画変更の可能性がありますのでご了承ください。


旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)

2019-09-24 00:53:35 | 近畿

2019年9月、所有者のご厚意で旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)の内部を撮影させていただきました。
なお、表題写真は、私が撮影した最も古い写真で1996年のものです。


【網干関連の過去記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
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旧山本家住宅 2017
旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
『網干商工会館
『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』


使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount


旧赤穂塩務局網干出張所
(大蔵省臨時建築部/M末-大正初年頃?/木1/経済産業省近代化産業遺産)

人造石洗い出しの門柱は戦前の物だと思われます。門に右下には境界を示す石柱があります。


人造石洗い出しはコンクリートに小石を混ぜて固めたもの。固まりきる前に表面を洗い出して石の質感を表現する左官の技法です。


境界標には「大蔵省用地」と書かれています。

1949年に日本専売公社が発足するまでは、大蔵省専売局が塩業の管理をしていました。

これが網干出張所の庁舎


玄関軒下の持ち送りや、その上にある通気口の下の装飾に洋風建築の意匠が見られます。


一見、普通の下見板のようですがドイツ下見と呼ばれる手間の掛かる手法の外壁です。

塩務局出張所庁舎は大蔵省臨時建築部による同一の設計で日本各地に建てられました。
旧三田尻塩務局長府出張所(山口県・宇部西町公民館)
味野塩務局山田出張所(岡山県玉野市・登録文化財)
等が現存しています。(クリックするとGoogle ストリートビューに飛びます)
ダイセル異人館のように同一設計の建物がすぐ隣に見られるということはしばしばありますが、遠く離れた所にあるという例は珍しいと思います。

内部は改装されていますが、天井板や扉などは元のまま残っています。


庁舎右側の扉から入ると漆喰壁の廊下があり、渡り廊下に抜け出ることが出来ます。




扉は端正なデザインで統一されています。




渡り廊下の突当りにはトイレがあります。

これらの外壁ペンキや漆喰壁は所有者ご自身の手による補修で美しく保たれています。

敷地裏手に塩倉庫が一棟。

塩倉庫もほぼ同形の建築が赤穂塩務局に現存しており、同一設計で各地に建てられたようです。

今年の初めにはもう一棟ありました。以下2枚は2019.2撮影。

向こうに小さく見える棟が取り壊されました。

裏手から撮影。手前の棟が無くなりました。


そして、2012年に撮影した取り壊された側の塩倉庫。

この時点で、かなりかしいでいます。

そしてこちらも2019.2撮影。左に写っている小さい建築も今は有りません。


この建築を2012年に撮影した写真。

先程の塩倉庫と共に、普通の下見板張りです。

その裏を2019.2に撮影したもの。

北側に大きなガラス窓があり、直射日光でない柔らかい光を多く取り込む必要があったと思われます。
恐らく品質検査室のような用途であったろうと推測しますが、残念ながらそれを証拠付ける資料は有りません。


旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)

2019-07-22 22:27:31 | 近畿

旧網干銀行がレストラン「旧網干銀行 湊倶楽部」として開店に向けての改修・増築工事が始まっています。
4月末に幌を被りましたが、少しづつ工事が進みつつあります。

※表題写真は幌をかぶる直前の4/20撮影。


【網干関連の過去記事】(古い順です)

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『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
『網干商工会館


使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount、SONY FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS


4/30




6/23


6/29


後ろで厨房棟の建設が始まった
6/23


7/7


7/15

現在もう少し進んでいるかもしれないが、厨房棟の基礎が出来ている。

そして7/21、エコパークあぼしの「あぼしまちエコフェスタ」フリマ会場にて、

レストランで併売する食パンのプレ販売。ハンコやロゴが渋くて私好み。筋入りクラフト紙も久しぶりに見たように思う。

説明書き。


賞味期限は短く、保存料は無添加のようだ。

持てばずっしりと重くもっちりとした生地。水分も多いようでトーストしても焦げにくくしっとりと焼き上がり、豆乳のせい?なのか独特の香ばしい香りがする。生よりトーストした方が甘みが増して美味しかった。バターなどは塗らずにパンそのものの味を楽しんだ方が良さそうだ。


網干には数多くの歴史的文化財といえる建築があり、この旧網干銀行に続いて再生される物件が現れることを願って止まない。


網干商工会館

2019-06-25 23:09:31 | 近畿

網干商工会館、以前から外観は何度も紹介していましたが、
このたび管理団体のご厚意により念願の内部撮影をさせていただきました。

そのときに聞いた話によると、現在空き家になっており
解体資金が工面でき次第取壊したいとのことでした。
決して少なくない金額が調達出来た時点で解体されてしまう、という現実に複雑な気持ちになりました。
現状ではいづれ取壊すしかないという事は明らかな事実ですが、
姫路市や網干地区においては近代建築や町家等の歴史的建造物に対して
文化財的な価値認識と保全再利用への理解が希薄なのだとも感じます。


【網干関連の過去記事】(古い順です)

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網干の近代建築
網干の近代建築と町家
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旧山本家住宅 2017
旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
旧龍野藩南組大庄屋 片岡家


使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount


網干商工会館
(不詳/昭和15(1940)年/木2(半地下あり)/文化財指定なし)

まず、2019年2月撮影の蔦が枯れた状態で外観デザインをを確認しましょう。
【正面】

一見左右対称ですが丸窓は三つ見え、左には丸窓が有りません。
1階下部に帯巻き状に緑のタイル張り。スクラッチ状の縦筋が入ったタイルですが、引っかいたものではなく型押しで作られたものです。
その他の壁面はドイツ壁仕上げになっていましたが、2階右上の黄色い部分以外はモルタル仕上げに改変されています。

【玄関ポーチ】

柱には細かい化粧タイルが貼られています。

【右側面】
丸窓が一つ。前面と合わせて4っつの丸窓が確認できます。
丸窓は船窓とも言い、神戸など港町の建築に比較的多くみられます。
瓦はおそらくスペイン瓦という洋瓦で、洋風建築としてしっかりとした設計と屋根材が選ばれていると想像できます。

【左側面】

2階窓上に通気口と思われる半円の鎧戸があります。半円形で等間隔のリズミカルな繰り返しに高いデザイン性を感じます。

2019年6月現在、蔦の絡まる状態の右側面

右側面は全く外観が確認できません。

2019年6月撮影の正面


そして、竣工時(落成式)の写真がこちらです。
(「網干地方史談会」所蔵写真より)

外壁がドイツ壁仕上げであることが確認できます。今でもタイルと花壇の一部が残っています。
竣工時の窓枠は木製ですが、現状殆ど全ての窓がサッシに取り替えられています。

それでは、いよいよ内部に!
玄関

左に事務室、右にも同じような部屋があります。

右の部屋


事務室


玄関正面から奥に続く廊下


廊下右扉内の部屋


廊下の左には比較的高級な造りの部屋

三部屋をぶち抜いた広い部屋で、元は応接室や会長室だったのだろうと思います。この画像は奥の二部屋分。

こちらは玄関側の一部屋分


天井の四隅通気口?

旧網干銀行や旧山本家住宅の天井にも、このような通気口と思われる開口部があります。

洋服掛け

デザインと材質から見て、竣工時からあるものだと思われます。ハンガーには旧網干銀行で営業していた「タケダ」のロゴが。

1階右奥に宿直室らしき畳の部屋、土間になった台所、更に浴室まであります。
かなり荒れているのでそれらの掲載は控えます。

宿直室への通路上の配電盤


台所のカマド

昭和15年の網干ではガスはまだ普及していなかったようですね。

玄関中央廊下突き当たりから玄関側を見る


廊下突当りの右側は洗面所


洗面所に掛かる「御料理 やっこ」の銘が入った大鏡

「やっこ」は本町通を南に入ったところにあった料理屋「魚勝」と同じ建物で営業していました。そこも今では空き地です。

廊下突当りの左に便所

ボール型のランプシェードが時代を感じさせます。

便所の洗面台も「たんつぼ」が付いた古いタイプ


小便器もパイプまで陶器でできた古いタイプ


便所側から洗面所を見る 

漆喰?仕上げの壁と天井が美しい!

1階床下の半地下

物置きになっています。


では、2階へ!
大会議室

舞台まであって、会議室というよりはホールといった方がしっくり来ます。


天井中央は格天井になっており、格式を感じます。


更に天井の左右には段差が。音響効果にまで配慮されているのだろうか?


明治末期の日本セルロイド人造絹糸工場建設以来、網干と設楽貞雄は繋がりがあったと思われ、設楽の子弟等が設計に関与している可能性も考えられる。そもそも、旧山本家住宅など網干の主な建築を手掛けた玉貫氏は伊勢出身で日本セルロイド人造絹糸工場建設時に設楽貞雄が送り込んだと言われています。

舞台


演台のマーク

笑い顔にも見え、網干町のマークにも似ています。

外観左側面の半円鎧戸の内側


舞台横の小さな部屋

傷んでいますが、竣工時の床が残っているようです。

舞台裏通路

正面バルコニーの丸窓部分の内側です。

丸窓内側を拡大


大会議室横の廊下



蔦が内部まで侵食しつつあります。

舞台脇の扉

漆喰?仕上げの壁と天井との境目の左官仕事による処理が美しい。

廊下を進むと丸抜きがある階段室


外観右側角の丸窓、内側階段に丸抜き



美しい4っつの丸を同時に見ることが出来ます。

階段側から見ると・・

シンプルな直線で構成された漆喰?の壁面が美しい。

階段丸抜きを拡大

洋館でありながら井桁のような和のデザインが粋で、よく見るとデコボコの名栗加工もあります。

階段下から見上げる

やっぱり美しい!

階段を降りると玄関脇に出て、見学は終わりです。


外観からしっかりした洋風建築だと思っていましたが、内部は想像以上に素晴らしい造りでした。
大会議室のデザイン、階段室のデザイン、漆喰かどうかは分かりませんが内壁の左官仕上げの美しさ・・・
戦時中である昭和15年の建築だという事を考えると、他に類を見ないほど上質な建築であると言えます。
この建築の歴史的価値・質的価値に気づいている人は少なく、今のところ単純に古くなって使わなくなった建物は壊す、
という当たり前の考えしか無いのだろうと思います。

老朽化や利用法が無いなど仕方のない理由は有るとは思いますが、
壊す前に今一度建築の価値を明らかにして再認識することと、
本当に壊すしかないのか?残せる可能性は無いのか?という事も一考する余地が欲しいと思います。


加里屋旅館Q(Kariya RYOKAN Q)

2019-05-25 00:51:01 | 近畿

赤穂の加里屋に町家を改装した旅館が出来ると聞き、赤穂に行く機会があったので立ち寄ってみました。
5月30日開業なので、あと一週間ほどです。

外観は、黒漆喰壁に袖うだつがある二階家で、明治から大正にかけて建てられた商家です。









外見を見ただけで、傷んでなくて使える所は全て残すこと、新しく造り直す所も元の雰囲気を倣ったものにすること、の2点が徹底して守られていると感じられ、素晴らしい再生だと思いました。

外観だけ写して帰るつもりが、中にスタッフの方がおられたので概要を知るためパンフレットだけでも、と声をかけると、
パンフレットはまだ出来ていませんが見学しても良いですよ、という事で親切にも丁寧にご案内していただきました。

・ロビーおよび坪庭

落ち着いた雰囲気の北欧風のソファーやテーブルが町家の雰囲気によく合っています。


元は畳敷きだったものがフローリングに変更されていますが床の間は残され、掛け軸・屏風などの調度品は元々この町家に有った物を使うようにしているとのことです。

庭が白飛びしているので露出を変えてもう一枚



庭の右に見える離れは茶室と呼ばれる小部屋で宿泊者が自由に使うことが出来るそうです。左の離れは二階建てで丸ごと全てがこの旅館で一番大きい部屋になっているそうです。

・茶室

天井に何かついています。何でしょうかね?


茶室の窓から庭とロビーが見えます。

・更に、読書室と呼ばれる小部屋も自由に使うことが出来るそうです。


・左側離れの部屋『躑躅(つつじ)』


桧造りの内風呂


階段は造り直していますが、親柱のデザインは茶室の天井に見られる意匠に合わせて造られています。

細かい所にまで気を配った復元であると感じました。

階段を上って2階はフローリングの寝室

掛けてある巻物のような絵画はこの商家に有ったものを直したもので、天井や柱は少しシミも見える元のままに再利用していて、釘隠しも残っています。古い物の侘びた感じも生かされていて、本当に素晴らしい再生だと思います。

窓からは花岳寺が見えます


・主屋に戻って1階土間

この『蘇芳(すおう)』という部屋は開業前の最終工事中でした。
作業されていた方に、旅館として再生することになった経緯等お話を伺うことが出来ました。

そして、主屋2階には3部屋あり、計5部屋の旅館という事になります。
では、2階の部屋をひとつづつ見ていきましょう。

・表に面した1つ目の部屋『紅緋(べにひ)』

明るくて広い部屋です。



・裏に面した大きい方の部屋『撫子(なでしこ)』

写真では分かりにくいですが、波打ちガラスです。

壁に段差がありますが、、

防音材を入れたとのことです。言われなければ気付かない、絶妙な処理だと思いました。

2階の風呂はユニットバスですが、壁面は天然木で雰囲気を壊さないよう気配りされています。


・廊下に大きな屏風があり、おもむろに開いて見せてくれました。

この商家に有った絵を集めて屏風に仕立て直したもので、

こちらの猿の絵は、

花岳寺の天井画だったか障壁画だったか(聞いたけど失念)を描いた人の作品だという事です。
その土地の歴史的文化財を大切にし、それらに再び光を当てる。本当に、素晴らしいことですね。

・裏に面した小さい方の部屋『銀朱(ぎんしゅ)』

小さい部屋ですが天井が高く開放感があります。



そして、この部屋の風呂には、、

扉があり、


ベランダに出ることが出来ます。

ベランダから旅館の離れと庭、花岳寺が見渡せます。

離れの屋根は、重厚な本瓦葺きで建築当初の瓦のようです。新しい瓦に吹き替えてしまうと、綺麗になり過ぎて侘びた雰囲気が損なわれますが、そうならないよう、出来る限りの気配りがされた再生だと思います。

・主屋1階食堂、ダイニング『GOKAN』

食堂は表通りにに面しています。

突然の訪問にもかかわらず、ご案内有難うございました。
こちらのURLが旅館の紹介ページになります
https://www.ako-syokichi.com/co_navi/article/080a8f2d0e1a8e231c9b2921-231.html


私が住んでいる網干の古い建築も、このような素晴しい再生で後世に残れば良いと思います。


旧龍野藩南組大庄屋 片岡家

2019-05-16 01:00:00 | 近畿

今回は、2019年5月5日にイベント公開された
旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
(不詳/元禄15(西暦1702)年/木2/姫路市都市景観重要建築物等)
を紹介します。

片岡家は姫路市網干区新在家に位置する、姫路市内最古級の民家です。
姫路市網干区は「龍野藩南組」という事からも分かるように、本来は揖保川流域の経済・文化圏に属する町でした。
揖保郡網干町として独立した自治体でしたが、戦後、昭和の大合併で姫路市に併合されることになりました。
当時、揖保川の水運はすたれつつあり、網干-龍野-新宮を結んでいた播電鉄道も廃止され、
国鉄の山陽本線や山陽電鉄による姫路との結びつきか強まった故の姫路市との併合だったのだろうと思います。
詳しい併合の経緯は、またの機会に調べてみたいと思います。


【網干関連の過去記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
網干の近代建築
網干の近代建築と町家
昔の航空写真(姫路・網干)
『歴史と景観のまち 網干を歩く』発売
【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!
旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)
網干の近代建築 2017
網干の町家と街並 2017
旧山本家住宅 2017
旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』


・表題写真は手元にある片岡家を写した最も古い画像です
(カメラ;Nikon F2・1994/4/10撮影)

・その他画像
(カメラ;SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount・2019.5.5撮影)

・一部画像に例外がありますが、その都度カメラ名と撮影日を記入しました。


全景

右側の蔵は借家としてカメラ店に貸していたため改変されています。

蔵の右側側面

(カメラ;PENTAX K-30・2019/3撮影)

本瓦葺きで軒瓦には龍野藩脇坂家の家紋があります。大庄屋の家格ゆえに家紋の使用が許されたのでしょうか。

(カメラ;PENTAX K-30・2019/3撮影)

網干高校の生徒が町おこしに参加しています。ここは古書バザーです。


主屋を正面から見ると屋根の左上に煙り出しがあり、一つ目小僧のように真ん中に一つだけ虫籠窓があります。左1/3程は、洋服屋になっています。蔵同様、借家として貸しているのでしょうか。


裏から見ると、主屋の後ろに付属棟が付きL字型になっています。この付属棟は傷みが激しく近年修理されましたが、予算不足の所為かトタン葺きになっています。

(カメラ;PENTAX K-30・2019/3撮影)

主屋から坪庭を介して蔵を見た写真。


玄関脇


土間の梁を見上げる


裏手の付属棟内部。外見はトタン葺きだが内部を見ると、残す部材は残して出来る限りの修復を試みているのが分かる。


そしてちょうど12年前、修復前の画像。

(カメラ;RICOH GR DIGITAL II・2007/5/5撮影)

表(北)に面した座敷。






玄関土間側から南西向きに撮影。田の字型に部屋が配置されている。


神棚のある部屋から土間側、北東向きに撮影。


昔は、複数の神仏を祭るのが普通だった。


田の字のさらに奥、裏庭に面した部屋。


解体修理で竣工当初の姿を復元して一般公開される民家が多い中、近年まで生活をしていた状態のまま見ることが出来るのはある意味貴重だと思います。


旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか

2019-01-01 15:48:41 | 近畿

明けましておめでとうございます。

昨日、大晦日にふらりと旧網干銀行本店に行ってみると、
建築を買い取られた企業の方がおられました。

合わせて買い取った旧N金物店の内部の片付けをされていました。

有難いことに、この二つの物件の内部を見せていただき撮影することが出来ました。

今回は、さらに数日前に撮影した写真も含めて掲載します。


【網干関連の過去記事】(古い順です)
姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
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網干の近代建築と町家
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網干の近代建築 2017
網干の町家と街並 2017
旧山本家住宅 2017
旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』


使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount・2018.12.31撮影
SONY α7・KOMURA 200mm F3.5 MINOLTA SR MOUNT(マウントアダプター使用)・2018.12撮影


旧網干銀行本店
(不詳/T10頃/煉瓦造タイル貼/姫路市都市景観重要建築物等)


1階内部、店舗のすぐ後ろ。位置的に考えると応接室っぽい。

今回は、ストロボを焚いたが・・

室内光で撮影すると、少し暗いが温かみのある描写になる。


このシャンデリア、店舗吹き抜けの天井にあったものだという。

大正時代にしてはデザインや風合いが新しいような気がする。竣工時の物か後年の付け換え、どちらだろうか?

更に奥の部屋。位置的に考えると頭取室か?


頭取室?の漆喰仕上げ天井。


元々、店舗から見える位置にあったと思われる大金庫の扉。

物凄く重い。

階段室の真上を見上げると。明り取りの窓がある。

説明が無ければ、上下感覚がおかしくなりそうな絵です。



二階奥の部屋には、畳が。宿直室だったのだろうか?


そして、2階大広間。今は床が貼られて2階になっているが、本来は店舗吹き抜け天井だった。

回廊も一部を除いて撤去されている。この吹き抜けと回廊は出来る限り復元するという。

ところで、塔屋3階へは行くことはできないのだろうか?

角の丸い所が塔屋の真下になるのだが、天井が張られている。塔屋3階の窓はダミーなのか?

2階にも小さな金庫がある。




旧N金物店
(不詳/不詳/木2/文化財指定なし)

タイルが剥がれて建築の行く末が心配でしたが、旧網干銀行と同じ企業が買い取っており、少なくとも店舗部分は保存再生するとのこと。

この建築、入ってみてびっくり!

旧網干銀行では塞がれていた吹き抜けと二階回廊に似た造り!近くに出来た銀行を見てインスパイアされて改造したのかもしれない。

真下から見上げるとこんな感じです。

SUPER WIDE-HELIAR 15mmは歪曲の少ない優秀なレンズですが、こうして見ると樽型の収差があります。

2階に登るとこんな感じ。

龍野の「伏見屋商店」を思いだした。さらに、神保町にある建築専門の「南洋堂書店」も2階回廊がある。商店として再生するなら、本屋向きかもしれないと思った。

いい雰囲気です。

店舗部分は昭和初期くらいの洋風看板建築の様相ですが・・

奥は純和風です。外見からは、全く想像していませんでした。

クドにカマドが残っている。よく見ると高い所に神棚が。恐らく、なにがしかの火の神様、もしくは火事除けの水の神様だろうか。
撮影していないが、店舗内には小さなお稲荷さんも祭ってあったと思う。
民俗学的にも貴重な資料になりそうだ。

そして、仏間らしき部屋は上質な座敷です。

建物全体を見た感じ、奥の生活空間で一番古い部分は明治、あるいは江戸末くらいまで遡るかもしれない。外観写真の側面に見える屋根の妻が元の町家の屋根だと仮定して建築の前面まで伸ばすと、2階が低い江戸末から明治初めの町家の高さになるように思う。
元々普通の町家だったが幾度か増改築が繰り返され、店舗部分外観は当時(昭和10年代だろうと思う)最新の看板建築に、内部は網干銀行に触発されて吹き抜け2階回廊に改造されたのでは?と想像する。

京町家によく見られる、鰻の寝床のような奥に細長い町家で、荒れてしまっているが坪庭もしつらえてある。

よく見ると、軒瓦も京風の一文字軒瓦だ。

この建築を見て改めて思いました、建築は中まで見ないと解らないですね。



建築を広角レンズで撮影すると、屋根が見えないことが多いので、
50年以上前の少しクモリのある趣味的なレンズではありますが
少し離れたところから200mmの望遠レンズで何棟かの建築を撮影してみました。


旧網干銀行本店 塔屋

ドームの形、美しいですね。



旧山本家住宅 望楼付き洋館

リズミカルな瓦の文様が美しいですね。



網干商工会館 側面

蔦が枯れて、半円の鎧戸が確認できました。瓦も洋瓦です。余り取り上げられることはありませんが、ちゃんとした造りの素敵な洋風建築です。



今回、旧網干銀行本店・旧N金物店を買い取った企業の代表者の方のお話を伺いましたが、
市町村が行うような整備して公開するだけでもない、
企業などが行うような綺麗に修復・再生・転用して収益を狙うという事でもない、
古い建築のシミや汚れのような歴史が刻まれた部分もできるだけ残して銀行時代の姿を復元し、網干という町全体の歴史も踏まえながら、地元の人々と連携して、より良い形で建築を保存・再生・伝承することを模索していく。
というような趣旨のことを仰っていました。
今後の工程についても大学の先生やヘリテージマネージャーと相談しながら進められるとのことでしたので、安心です。

2018年は、川まつり(花火大会)やアボナリエ(クリスマス・イルミネーション)が中止され町の活気が無くなったことを実感した年でしたが、
このような新しい動きがあり嬉しく思います。