今回は、神戸の近代建築を1995.1.1に撮影した写真と震災後の3.20に撮影した写真で比較します。
加えて、ごく一部ですが戦前の絵葉書も紹介します。
はるか以前に投稿した『失われた神戸の近代建築~1995年元旦撮影~』の完全版となります。
2018/2/6追記
現況写真として2018年2月撮影の写真を追加します。
追加分は写真の上に(2018年)と表示します。
2018/5/27追記
現況写真として近藤ビルに2018年5月撮影の写真を追加します。
追加分は写真の上に(2018年5月)と表示します。
※表題写真は
神戸税関(震災前)
(大蔵省営繕課/S2/SRC4/文化財指定なし)
です。
(震災前)と表記の有る写真が1995.1.1撮影分、使用カメラ:Nikon F-601QD。
(震災後)と表記の有る写真が1995.3.20撮影分、使用カメラ:Nikon FA。
(2018年)と表記の有る写真が2018.2撮影分、使用カメラ・レンズ:SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount。
近藤ビル(震災前)
(不詳/不詳/RC?/現存せず)
外観から見て昭和一桁くらいの建築でしょうか。阪急三宮駅前の名物ビルでした。
(震災後)
右隣のビル共々、8月までに取り壊されました。1997年、外壁の茶色を踏襲した同名のビルで復興されました。
(2018年5月)
神戸阪急ビル(震災前)
(阿部美樹志/S11/SRC/現存せず)
阪急電車に乗ってこのアーチをくぐる場面は強く印象に残っています。
(震災後)
ビルは大きく破損し、2月中に解体されました。1995年12月に3階建ての仮ビルが出来ましたが、20年以上経った今年、やっと本復興が実現します。
(2018年)
仮ビルは撤去されました。
第一南ビル(震災前)
(不詳/不詳/RC?/現存せず)
外観から見て昭和一桁くらいだと思います。
(震災後)
同位置に同名のビルで復興しています。ガラス張りの現代建築になってしまいました。
(2018年)
旧神戸ホテル(震災前)
(不詳/不詳/RC5/現存せず)
こちらも外観から見て昭和一桁くらいだろうと思います。
(震災後)
一見、破損が無いように見えますが、取り壊されました。
(2018年)
(戦前絵葉書)
右の建物です。
神戸税関(震災前)
(大蔵省営繕課/S2/SRC4/文化財指定なし)
(震災後)
建物に震災の被害はありませんでした。旧ビルの大部分を保存した上で1998年に改築されました。
(2018年)
元の建築はほぼ左右対称。右奥が増築部分。
(2018年)
表題写真と比較すれば左に増築されたのが分かる。
山本船具店(震災前)
(不詳/不詳/RC?/現存せず)
これも昭和戦前でしょう。
(震災後)
建物に被害は無く、2006年頃まで存在していました。
旧神戸居留地十五番館(旧アメリカ合衆国領事館)(震災前)
(不詳/M13/木骨煉瓦/重要文化財)
小屋材に大工風間儀佑・棟梁源蔵の名があります。この時期の擬洋風建築は大工の棟梁が設計者である事が多いので、あるいはこの2名のどちらかによる設計かもしれません。
(震災後)
全壊しましたが、部材をかき集めて1998年に再建されました。重要文化財であったため、復旧出来ました。
(2018年)
モーシェビル(震災前)
(不詳/S26/RC/現存せず)
(震災後)
すぐに取り壊されて、1997年にシティホテルが出来ました。
旧内田汽船(震災前)
(設楽建築工務所/T8/RC3/現存せず)
(震災後)
(2018年)
(震災後)
かなりひどく破損しています。その後取り壊されて、2000年に新しい商業ビルが出来ました。
常盤ビル(震災前)
(不詳/T9/RC4/現存せず)
(震災後)
3/20時点で既に無くなっているようです。1998年に同名のビルで復興しました。
明海ビルディング(震災前)
(藤井厚二/T10/RC8/現存せず)
(震災後)
(震災後)
(震災後)
右側の新館は崩壊しましたが、旧館は一見大丈夫なように見えます。しかし全て取り壊され、1998年にガラス張りの同名ビルで復興しました。
(2018年)
旧大阪商船神戸支店(震災前)
(渡辺節/T11/SRC7/文化財指定なし)
(震災後)
(2018年)
(震災前)
(震災後)
外壁に破損が見られますが、建築自体は大丈夫でした。
(2018年)
旧三井物産神戸支店(震災前)
(河合浩蔵/T7/RC4/神戸市景観形成重要建築・近代化産業遺産)
(震災後)
一見大丈夫なように見えますが、構造自体に破損があり1998年に外壁保存の新ビルが竣工しました。
(2018年)
手前:旧三井物産神戸支店(震災前)
(河合浩蔵/T7/RC4/神戸市景観形成重要建築・近代化産業遺産)
奥:旧大阪商船神戸支店(震災前)
(渡辺節/T11/SRC7/文化財指定なし)
(震災後)
(2018年)
(戦前絵葉書)
外壁保存によりこの2つのビルの並んだ景観はどうにか守られました。
旧橋本汽船(震災前)
(竹中工務店/T6/RC3/現存せず)
(震災後)
震災による破損はありませんでしたが、2005年頃までに取り壊されました。
旧神戸住友ビル(震災前)
(住友合資会社工作部/S9/RC3/現存せず)
(震災前)
(震災後)
震災による破損はありませんでした。2002年には銀行としての役割を終え、その後テナントが入っていましたが2014年に解体されました。
(2018年)
駐車場になりましたが、ビルの写真と説明の看板があります。
昭和ビル(震災前)
(不詳/不詳/RC?/文化財指定なし)
外見から見て、昭和戦前だと思います。
おそらくこちらは裏。反対の面には装飾が施されています。
(震災後)
震災による破損はありませんでした。左には次に紹介する隆源ビルがありました。
(2018年)
(2018年)
おそらく、こちらが表。
隆源ビル(震災前)
(不詳/不詳/木骨煉瓦/現存せず)
外観から見て明治末から大正の建築でしょうか。震災前に中に入ったことがありますが、柱は木造でした。
(震災前)
(震災後)
一見大丈夫に見えますが、数年放置された後、取り壊されたように記憶しています。その後は駐車場になり、建築は復興されていません。
(2018年)
旧安田銀行神戸支店(震災前)
(安田銀行営繕課/T15/RC2/現存せず)
震災前に取り壊されてしまいました。
旧山口銀行神戸支店(震災前)
(河合浩蔵/T12/SRC5/現存せず)
(震災後)
(震災前)
(震災後)
既に取り壊しが始まっています。すぐに小さな銀行店舗が建ちましたが、銀行閉店後の2005年にはマンションが竣工しました。新ビル前に入り口アーチ部分がモニュメントとして保存されています。
件数が多いので『震災前の神戸 その3』に続きます。
【関連記事】
『失われた神戸の近代建築~1995年元旦撮影~』
『神戸の近代建築(EBONY SW45 で撮影)』
『震災前の神戸 その1』
『震災前の神戸 その3』
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