A2G2Mk2

脱線過多ですが在庫についてとか、アンテナに引っ掛かるガラクタまで、と言いつつ、柴犬となめこの話が多いかも(汗)

道路標識のスタンダード 自由研究の続き 5

2011-08-25 22:10:50 | Weblog
さて一連の自由研究ものの最初の頃に

これが「案内表示としてちょっと変」と書いた理由なのですが、
こういう同一方向二か所の距離を表示する場合、
「今いる路線沿線の近めの主要都市と、路線の終点(に近いかそれに準ずる)
  の都市名を表示するのが一般的」だと思われるからです。
(このルールは絶対ではありませんが、このタイプの場合多くが
 そういうルールでの表示をしてある場合が多いと思います)



この案内のある国道151号は、できた当時から
長野県の飯田と愛知県の豊橋を結んでいるので、
一方の豊橋に関しては95kmありますよ、
という表示があるのはそれでも納得が行くのです。
(ただ、こんな村外れで、こちらの方向へ向かってしまうと
 40kmも先までガソリンスタンドの無くなっている場所に
 標識がある点は目をつぶりましょう(笑)
 1kmほど新野(振り仮名が無かったけど「にいの」です)
 にはガソリンスタンドがありますので。 
 けれどもなんでこの登りはじめてからの位置にあるのかは
 やっぱり疑問ですね。100kmも先の地名ですから。
 
 舗装された現在見ても、この風景、道幅、
 そしてシチュエーションにもよりますが、
 結構ショッキングでさえあります。
 いきなり100km先の案内をもらう事自体が。
 例えば新野のガソリンスタンドが開いていない時間に
 ガソリンもあまり余裕が無い状態で
 この場所でこの標識に出逢ってしまったら・・・

 可能性として有るとしたら、この道路が昭和50年代でも
 舗装されていなかった様なので、本当にこんな砂利道で豊橋へ行けるの?
 (表現として大変失礼ですが、今現在でもこの地点が未舗装だったら、
  出来のいい林道と全く区別がつきません) 
 と不安になった所に必要だった、という仮定を建てると、
 まあ納得できる訳ですね。でもなあ(笑))


自分の文章の悪い点として補足に脱線し過ぎる、というのがありますが(汗)
この標識の案内が不自然ではないかという点は、もう一方の浜松100kmの件です。
R151で南下して豊橋にはたどり着いても、
豊橋から浜松へは東海道なりで結構距離があります。確か40kmくらい。
それに最初に書いた基本ルールからするとちょっと想定の範囲外です。
そして表示では100kmと95kmでほとんど差が無い。
あれ???

答えは変なところに隠れていて、(あちこち調べてみました)
実はR151の今いる区間はR152(飯田浜松間)の
重複区間だった時期がある。という事なのでした。
迂回するにしてもずいぶん大きな迂回です。

R152は今でこそ、
浜松から中央構造線沿いに長野県上田に達する
かなり延大かつ広域な路線になっていますが、
(ただし昔から2箇所未開通の峠があり、
 林道で短距離の迂回代替えがいまだに続いています)
元々は浜松から飯田までのルートとして設置された路線です。

そして、設置当初の浜松飯田間は、
今の天竜川に沿った部分がやっぱり道路自体が無かった
という事が、151経由(重複)の理由だそうです。
しかも静岡県内の初期のルートは
現在は県道に格下げされているとの事。
ちなみに天竜川沿いに152号を移したのは
昭和45年の事だそうです。


いきなり挟みますが旧道の典型的な線形がこんな感じ。
同じ日に撮影した阿南町の中心街あたりの旧道の残骸区間です。
幅は・・山肌からガードレールまでで、あっても4m。
これが昭和50年代なかばまで未舗装。想像して見てください(笑)

そのため、新野から浜松まで100kmと言う案内は
豊橋経由では無く、「間道」(幹線道路では無い)を
繋ぎ合わせて暫定的に国道とし、
浜松から飯田まで直接抜ける設定にしていたため、
あの場所で豊橋と浜松を案内したのは当然だった事がわかります。
(この一番上の「ベースが白い案内標識」は
 昭和46年までしか新品が設置されなかったものなので、
 年代は合っています)

この一連の代替えルートの件には、
なぜそんな脆弱な路線を国道指定したのか、
と疑問が浮かぶのですが、
(県道に格下げされた区間は、改良されていない旧151号にそっくりです。
 しかも昔そっくりだったでは無く、この平成も20年を過ぎた今日でも
 昭和30年代の状態から舗装だけした、みたいなレベル!です)
この年代の国道指定は、既に国道として的確な道路があるから、
それを国道指定する、というのでは無く、
決められた二都市間を結ぶ道路をまず一本国道として認めて、
その時点では整備されていないものでも、
それを国道を名乗っても恥ずかしく無い立派な道路に整備しないといけない、
という、いわゆる「言ったからには実行しよう」的な発想が
国道指定の根底に秘められていた、
と見るのが一番スムーズであるという仮定が立ちます。
(そうでないと、現実的では無いルートを
 国道指定する必然性が感じられないからです。
 あくまでも私の勝手な仮定ですが。
 今回の代替えルートの件をいくつか確認して、
 この仮定もあながち間違ったものでは無いな、
 と勝手に思っています)

そうやって考えると40年かかっても2割距離が近くなっている、
新野飯田間もそうですし、自然破壊の側面に目をつぶりながら
移動時間が短縮できている地方の山道も
破壊は最小で、何とかがんばって道路を直して欲しいな、
と思うのでした。

長野県はとっくに夏休みが終わっていますが
しつこくまだ続きます(爆)

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