かつての旅館にアトリエを構え、地域活性に張り切る森田さん=壱岐市勝本町
壱岐市の市立一支国(いきこく)博物館の設計に携わった大手企業の社員が、昔ながらの町並みが残る島の景色に心を奪われ、そのまま居着いた。1級建築士の森田健太郎さん(38)。「この魅力を生かしまちおこしができないか」。住民とともに動き始めた。
市北端の勝本町。600隻もの漁船が係留された港を囲むように、民家や店が隙間なく軒を連ねる。その一角にある築82年の木造3階建て(別棟は鉄筋)の「つたや旅館」が自宅兼オフィスだ。
博多との定期航路があったころはにぎわい、結婚式にも使われる集落のシンボル的存在だったが、廃業し10年以上空き家だった。昭和初期のレトロな外観が気に入った。延べ約600平方メートルもあるため、朽ちた畳をはがし、ほこりや散乱した家財道具を少しずつ片付けている。
東京出身。黒川紀章建築都市設計事務所の担当として2008年4月から2年間、博物館の建設現場管理のため駐在した。学生時代にはスペインの田舎で建築物を調査するなど、もともと都会にないものに興味があった。
ただ、博物館の意義や観光に生かせる可能性が十分伝わっていないのが歯がゆかった。「東京にいるよりもっと役に立てるのでは」。そう考え、島に残り個人設計事務所を開いた。
目指すのは地元資源を生かした企画で客を受け入れる"着地型観光"。造り酒屋の若旦那や果物店の主人、漁師ら二十数人と「勝本浦ば語ろう会」をつくり、先進地視察を重ねた。話し合いでは住民から意見が出るのを待ち、自分の考えを押し付けない。「それが長続きするこつだと思う」
3月には隣の土蔵でイタリアの町並み再生やスローフードに詳しい専門家を招いたシンポジウムを開き、市民60人が集まった。食材豊富な壱岐でも取り入れられると感じた。次は町歩きや農漁業体験のツアーを計画している。
「かつてのにぎわいを取り戻せたら」。肩に力を入れず、人との出会いや触れ合いを楽しんでいる。
離島はいま 新天地を生きる 森田健太郎さん(38)=壱岐市勝本町(東京都出身)
4月19日長崎新聞掲載記事
壱岐市の市立一支国(いきこく)博物館の設計に携わった大手企業の社員が、昔ながらの町並みが残る島の景色に心を奪われ、そのまま居着いた。1級建築士の森田健太郎さん(38)。「この魅力を生かしまちおこしができないか」。住民とともに動き始めた。
市北端の勝本町。600隻もの漁船が係留された港を囲むように、民家や店が隙間なく軒を連ねる。その一角にある築82年の木造3階建て(別棟は鉄筋)の「つたや旅館」が自宅兼オフィスだ。
博多との定期航路があったころはにぎわい、結婚式にも使われる集落のシンボル的存在だったが、廃業し10年以上空き家だった。昭和初期のレトロな外観が気に入った。延べ約600平方メートルもあるため、朽ちた畳をはがし、ほこりや散乱した家財道具を少しずつ片付けている。
東京出身。黒川紀章建築都市設計事務所の担当として2008年4月から2年間、博物館の建設現場管理のため駐在した。学生時代にはスペインの田舎で建築物を調査するなど、もともと都会にないものに興味があった。
ただ、博物館の意義や観光に生かせる可能性が十分伝わっていないのが歯がゆかった。「東京にいるよりもっと役に立てるのでは」。そう考え、島に残り個人設計事務所を開いた。
目指すのは地元資源を生かした企画で客を受け入れる"着地型観光"。造り酒屋の若旦那や果物店の主人、漁師ら二十数人と「勝本浦ば語ろう会」をつくり、先進地視察を重ねた。話し合いでは住民から意見が出るのを待ち、自分の考えを押し付けない。「それが長続きするこつだと思う」
3月には隣の土蔵でイタリアの町並み再生やスローフードに詳しい専門家を招いたシンポジウムを開き、市民60人が集まった。食材豊富な壱岐でも取り入れられると感じた。次は町歩きや農漁業体験のツアーを計画している。
「かつてのにぎわいを取り戻せたら」。肩に力を入れず、人との出会いや触れ合いを楽しんでいる。
離島はいま 新天地を生きる 森田健太郎さん(38)=壱岐市勝本町(東京都出身)
4月19日長崎新聞掲載記事