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シロガネの草子

素晴らしい講談社の絵本 其の2 『曽我の兄弟』』

布施長春(ふせ・ちょうしゅん)『曽我兄弟』

眞子夫人の夫である小室K氏が、ニューヨーク司法試験に又落ちた事が話題になっております。両陛下が久方ぶりに皇居の外へ行幸啓なさったと言うのに、余り話題になりませんでした。インパクトの大きさは相変わらず、眞子夫人方の方なのですね。


高畠華宵

しかし悪いというか、印象が良くないものが多い。7月に又試験を受けるそうですが、夫人の気持ちはいかばかりでしょう。


栗原玉葉 『八百屋お七』

このK氏と一緒になるために、“八百屋お七„以上に炎上させました。全国的にです。その上で夫婦になりニューヨークへ拠点を作ろうとしたというのに、その拠点作りが未だにキチンと出来ていないという、その現実をどう受け止めていらっしゃるのでしょう。


あれだけ反対されてもガンとして押し通された、夫人の道ですから、存分に苦労して改めて己を見つめ直して頂きたいです。


門井掬水 『憂い』

今回ご紹介する、講談社の絵本は、『曽我兄弟』です。現在の大河ドラマで放送している『鎌倉殿と十三人』と同じ、時代で起きた父の敵討ちをした兄弟達の物語です。大河でも取り上げられるかも知れません。

(追記めっちゃ取り上げられました。今は余り知られていない話しですけど、意外な程の反響で、この絵本を紹介して良かったです)


横尾芳月 『曽我兄弟』

有名な話ですので昭和十二年に出版されました。戦後も復刻しました。2000年にも復刻されましたが、どうもオリジナル版の方が、絵の数が多いようです。今回載せましたのは、運良くネットでキレイな状態で購入出来ました、戦前版の方です。

こちらは戦後のゴールド版の講談社絵本『曽我物語』です。時代考証がとても正確です。


米内穂豊(よない・すいほう)画






戦前の子供が読む絵本ですが、絵がとても素晴らしくて、金銀泥が使用されていて画家の力の入れようが伺えます。『曽我兄弟』の絵本で、布施長春の描いたこの絵本が、一番素晴らしいというのが、当時からの評価です。それは間違いないとこの絵本をみますと、多くの方もそう思うでしょう。

『曽我兄弟の、小さい時の名は、兄は一満、弟は箱王と言いました。この日は、お父様の河津三郎佑泰が、山へ、狩りに、出かけるところです。この時、兄は五つ、弟は三つでした。兄弟は、いつもこんなにして、可愛がられていました。』


『狩が済んで、おおせいの人が、山から帰って来るところです。河津三郎は、白い馬に乗って、中でも一番勇ましく見えました。後には、伊東佑親が、続いておりました。佑親は三郎のお父様で、曽我兄弟のお祖父様です。この時、曲者が、山の木の影に隠れていて、三郎を狙って矢を、放ちました。』



『矢は三郎に当たり、体に、深く、つったちました。元気な三郎は、直ぐ、自分の弓矢をつがへ、キッと睨んで、見回しましたが、どんなに強くても、もう、矢に、当たっております。その傷が、大変深いのでたまりません。曲者に、曲者に、狙いを付けることも出来ずに、馬から、落ちてしまいました。』  


『あとから来た伊東佑親が直ぐ、馬から飛び降りて、介抱しましたが、三郎は、傷に弱って目も見えません。

「残念ながら、わたくしは死にます。後に残る、子供のことを、頼みます。わたくしを狙った
曲者は、工藤佑経に頼まれたのです。敵は、佑親です」と言って死にました。』


『死んだ三郎が、運ばれて家に帰ると、一満も箱王も、びっくりして、とりすがって、泣きました。もう、呼んでも、ご返事は してくださらない。頭を撫でて貰うことも、出来ません。兄弟は、父のいない子となってしまったのです。これほど悲しいことがありましょうか。お母様も、召し使いも、皆、泣き悲しみました。』


『お母様は、兄弟を、右左に、抱き寄せて、

「良くお聞きなさい。お父様を、討ったのは、工藤佑経です。佑経が、敵ですよ」

と、言い聞かせました。箱王は、まだ小さいから、良く分かりませんが、一満は五つですから

「わたくしが、今に大きくなって、きっと敵を討ちます」

と、答えました。』


『箱王も、だんだん大きくなると、敵を討ちたいと思うようになりました。敵を討つには、強くならないといけないので、小学校一年生位の、歳になると、兄の一満と一緒に、剣術や、弓矢、馬の稽古を、始めました。早く、強く賢くなって、敵を討ちたいと、思って、兄弟は、一生懸命稽古を励みました。』



『一満が九つ、箱王が7つの時でした。お庭で、十三夜の月を眺めていると、五つ並んだ雁が、空を飛んでいきました。

「あぁ あの雁の先のはお父様、後のはお母様、中の三つは子供であろう。雁には、雁にはお父様、お母様もある、羨ましいなあ」

と、兄弟は手を取り合って、悲しみました。』


『ある日、箱王は、お父様を、思い出して縁側で、涙ぐんでおりました。一満は、それを見て

「どんなに思っても、死んだお父様には、会えないから、お母様とお話をしましょう」

と、言って、奥へ、連れていきました。お父様のことを思うと、兄弟は、早く、敵を討ちたくて、たまりません。』


『工藤佑経は、敵討ちに来られては、困るので、色々と、作り事を、こしらえて

「曽我兄弟を、生かしては、いけません」

と、将軍源頼朝に、進めました。頼朝は、家来の梶原源太に

「兄弟を捕まえ、由比ヶ浜へ連れて行って、首を切ってしまえ」

と、言い付けました。』 


『源太が兄弟を連れに来たので、お母様はびっくりしました。

「可愛い、子供達を殺すなら、わたくしも殺して下さい」

と嘆きました。源太は、気の毒に思ったけれど、将軍の言い付けですから、仕方がありません。兄弟を馬に乗せて、連れて行きました。この時、一満は十一、箱王は九つでした。』


『源太は、兄弟を由比ヶ浜へ連れてきて

「何か言い残す事はないか」

と尋ねました。一満は、

「恐れずに首を切られたと、お母様に言って下さい」

と答えました。箱王は悲しそうでしたが、直ぐ元気になって

「わたくしも、立派に、切られたと言って下さい」

とにっこりと、可愛いらしく、笑いました。』


『いよいよ、源太の家来は、刀を振り上げて、兄弟を斬ろうとしました。その時です。馬に乗った侍が、

「待った、待った」

と、駆け付けて

「私はこの兄弟を、助けに来たのです。畠山重忠が、将軍へお願いして、兄弟を、許してもらうことになったのです」

と、話しました。それは重忠の家来、はん澤六郎でした。』


『重忠のおかげで、危ないところを、助かった兄弟が、馬に乗って、家に帰ると、それを見た、召し使いは、馬にとりすがって、わっと泣きました。あんまり、嬉しかったからです。まして角口へ、駆け出して来た、お母様は、どんなに、嬉しかったでしょう。嬉しくて、口も、聞けませんでした。』


『一満は十三になると、十郎佑成と、名を、改めました。これからは十郎です。その時、箱王は、十一になっていましたが、箱根権現の社にいる、行實という人の弟子に、やられることになりました。お母様のお申し付けですから、仕方なく、兄さんに送られて、箱根の山へ登りました。兄さんと別れる時は、どんなに、寂しかったでしょう。』


『箱王が、行實の弟子になった次の年のお正月に、将軍頼朝が、大勢のお供を連れて、箱根の社へ、お参りに来ました。お供のなかに、祐経がいないかと、箱王が、物陰から、そっと覗くと、その中に敵の祐経がいました。仲間の信丁さんが教えてくれたから、分かったのです。』


『箱王は、祐経を目の前に、見たので、もう、敵を討ちたくて、たまりません。この時と思った箱は、短刀を握って、祐経の側へ、近寄ろうとしました。けれども、大勢の中ですから、なかなか、隙がありません。佑経も、用心しているので、とびかかる事が、出来ません。そのうちに、佑経は、将軍のお供をして、とうとう帰ってしまいました。』

『箱王は、何時までも箱根にいると、坊さんにされるので、十七になると、箱根から、帰って来ました。そして兄さんと相談して、北条時政に頼んで、五郎時宗という名を、付けてもらいました。兄さんは、その前に、十郎と、改めていましたから、これからの兄弟は、曽我十郎、五郎と呼ばれたのです。』


『五郎に名を与えてやった時政は、

「一つ、力試してご覧。あそこに、祐経が植えた松が、ある、あれが抜けるか」

と、庭の松の木を指差しました。仇の植えた松と聞いて、五郎は、うんと力を入れて、引き抜きました。時政は、

「強いぞ五郎、それくらいなら、今に、立派な侍に、なるぞ」

と大層誉めました。』


『ある時、十郎が、大磯の宿屋に、立ち寄ると、名高い侍の、和田義盛が、大勢のものと、酒盛りをしていました。その中の一人が、十郎に喧嘩を仕掛けました。その頃、五郎に知らせるものが、あったので、五郎は、早く兄さんを助けようと、裸馬に、飛び乗って飛ぶように、宿屋へ駆け付けました。』


『五郎が、駆け付けると、朝比奈三郎が

「もう、喧嘩は、済んで、これから、仲直りだから、お入りなさい」

と、鎧の鎖りを掴んで、引っ張りました。五郎は

「嫌だ」

と、踏ん張りました。朝比奈も、強い、五郎も、強い、強い同士が、引っ張り合ったので、丈夫な鎖りも、ぷっつり切れて、朝比奈は、ずでんどんと、転びました。五郎の強いのに、皆、びっくりしました。』



『十郎が二十ニ、五郎が二十になった年、将軍が、富士の裾野で、まき狩りをすることになりました。敵の祐経も、そのお供をすると聞いたので、兄弟はこの時こそと、仇討ちの支度をして、お母様に、お別れをしました。お母様は、兄弟に綺麗な小袖を、一枚づつ下さって、お別れの、酒盛りをしました。』

『酒盛の間に、お母様が、

「五郎は、舞が、上手だそうだから、お別れに、見せて下さい」

と言いました。五郎が舞うと、十郎は、それに合わせて、笛を吹きました。舞いも、笛も、本当に、上手でした。こうして兄弟は、お母様を慰めて、その夜は遅くまで、親子睦まじく、過ごしました。』


『次の朝になると、兄弟は、馬に乗って、門を出ました。二人揃って、勇ましい姿です。けれども、これが本当のお別れで、お母様、会えないと思うと、何べんも、振り返りました。お母様も、兄弟の、見えなくなるまで、見送って

(どうぞ、仇が打てますように)

と、心の中で、祈りました。』


『兄弟は、富士の裾野へ急ぐ途中箱根の権限様へ、お参りをしました。ここは、五郎が、子供時に毎日、祈ったお宮です。今度は、兄弟揃って

「どうぞ、仇が討てますように。私たちは命を捨ててかかります。仇を討ちさえすれば、直ぐ死んでも構いません。どうぞ、討たせて下さいますように」

と、お祈りしました。』



『富士の裾野の巻き狩が、始まりました。ほうぼうの国から集まった、何万の人達が、鹿、猪、狐、狼、いろいろの獣を、狩り立て、おびきだして、討ち取るのです。まるで、戦のようです。兄弟は、その中へ、紛れ込んで、仇を、狙っていました。けれども、大勢の中です。仇の工藤佑経には、なかなか出会いませんでした。』

『三日目の夜です。明日は、狩もおしまいになるので、今夜でないと、佑経を討てません。兄弟は大雨の中で、松明を、照らしながら、

「さぁ、いよいよ、命懸けだぞ。お別れに、顔を良く見ておこう」

と、互いの顔を、じっと、見合せてから、佑経の宿を探し始めました。』



『宿は、沢山あるのでどれが佑経のか、分かりません。兄弟が困っていると、畠山義忠の家来、本田次郎が、通り掛かりました。夜回りをしていたのです。本田次郎は

(これはきっと、仇を、探しているのだ)

と、思ったのでしょう、こっそり

「佑経の宿はあっちだぞ」

と兄弟に、教えてくれました。』


『兄弟は、喜び勇んで、教えられたほうへ、急ぎました。すると、向こうに、灯りの洩れた宿がありました。戸の隙から覗くと、そこが佑経の宿屋でした。皆、寝静まっているので

「それ、今のうちだ」

と、兄弟は、戸を外して、中へ入りました。沢山の部屋を通って、奥へ踏み込むと、そこに祐経が、寝ていました。』

『寝ているものを、討ちとっては、卑怯ですから、十郎は、枕を蹴飛ばして

「佑経起きろ河津三郎が子が、父の仇を討ちに来たぞ」

と、大きな声で名のりました。こうして、佑経が、飛び起きて、刀に手をかけるところを、兄弟が、おどりかかって、切り倒しました。父が殺されてから、十八年目に、めでたく、仇を討ったのです。』


『仇を討てば、死ぬ覚悟ですから、兄弟は、逃げようとはしません。あちらこちらの宿屋から、駆け出してくる、強い侍達と、勇ましく、戦いました。兄弟二人で五十何人も、斬った後で、十郎は、親戚の仁田四朗と戦い、四朗に、手柄をさせてやるつもりでとうとう、討ち死にをしました。』


『五郎は、敵を追いかけて、将軍のお宿に、踏み込みました。これを見た御所五郎丸は、将軍が、危ないと思ったので、女の着物を着て、五郎に近寄り、後ろから、いきなり組着きました。他の侍も、一緒にとびかかりました。五郎は、手当たり次第に、投げ飛ばしているうちに、床板を踏み抜いて、生け捕られました。』



『将軍頼朝は、五郎を助けてやりたいと、思いました。親孝行で強い侍であるから、家来に、したかったのです。けれども、五郎は、はじめから、兄さんと一緒に、死ぬつもりでしたから、自分だけ、自分だけ、生きているのは、嫌でした。そこで、自分から望んで、笑いながら、討たれました。

兄弟のお母様は、仇討ちの様子を聞いて、

「十郎も、五郎も、日本一の孝行ものです。良く、仇を討ってくれました。亡くなったお父様も、さぞ、お喜びなさいましょう」

と、大層、喜びました。

頼朝からは

「兄弟の仇討ちは、まことに、侍の誉である。褒美をやりたいが、二人とも、死んでもしまったから、母に与えるぞ」

と言って、お母様にご褒美を、下さいました。世間の人々も、曽我兄弟は親孝行で、兄弟仲良く、鬼神のように強くて本当に偉いと、誉めました。(終わり)』

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コメント一覧

アール
続き
シロガネさんのお持ちの本、画集は昔の着物の色合い、質感までしっかりと表現されていて、見させていただく私達も本当に豊かな、贅沢な気持ちになります。
いつもありがとう御座います。
暑かったり寒かったりと変動の大きな昨今ですが
どうぞ御自愛下さい。
アール
美しい絵本ですね。よくこのような良い状態が保たれていたと思います。
今年の大河ドラマ、楽しく観ていますが、盛り沢山で伏線が沢山あります。
「まさか、嘘でしょう」と思いきや、三谷幸喜さんはかなり調べておられているようで、定説も使いますが、最新の説も取り入れていて毎回勉強になります。
曽我兄弟まで詰め込むことが出来るかなぁ。

それにしても、この講談社のシリーズは丁寧な絵で、昔は本物を大切にしていたと思います。
着物も同じく、絵柄だけ大正時代風のペラペラときちんとした染めと仕立ての物とは、やはりぜんぜん違っています。
コロナやウクライナ侵攻の影響で、ますます不景気、着物は贅沢品で着る機会、購入も少ないですが、本物が残っていった欲しいと願っています。
和蘭
シロガネさんこんにちは。
お加減いかがですか。
児童文学の世界は奥が深すぎて、幅が広すぎて、簡単に語れるものではないかもしれませんが、我が子を膝に乗せ、またともに寝そべりながら繰り返し本を読んであげた時間は親にとってもとても平和で心豊かな時間です。美智子様や紀子様が児童文学、幼年文学分野について積極的に取り組んでこられたのは、ご自身の子育て・読み聞かせの経験を強くお持ちだからと思いますし、私もその美智子様、紀子様の発言に影響を受けた一人です。
怯える民衆がいると知りながら攻撃していく国の指導者は親とのこんな温かな時間を持った経験なんかないんじゃないかと感じたりしますし。
これからも日本人の精神性を守るため、皇族方には、若い父親や母親に積極的にアプローチしていただきたいです。
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