帰ってくるなり、
「疲れた…。」
今回はいろいろ気を遣っていたのかな。
お風呂も、
お声がけしましたが見学のみでした、と
報告があった。
シャンプーして貰えばいいのに!
夜、自宅で入浴。
デイで済ませてくればよかったのに!
…やれやれ。
まあ、いつも思うことだが、
「全ては義母の良いように」。
薬を飲み忘れようが、飲み違えようが
食事の量が少なかろうが、偏食しようが
(義母に好き嫌いはない)
お風呂に入ろうが、やめようが
この年まで元気で生きたのだから、
いまさらもうどうでもいい、と思う。
コロナワクチン7回目の通知が届いたが、
受けたかったら受ければいいし
めんどくさいならやめてもいい。
ただ,義母の
「生きようとする意思」はものすごく
たとえば今、癌か何かが見つかったとしたら
治療をする、と決断するに違いないと
私は読んでいる。
私なら自然に枯れていく選択をすると思うし
多分、90歳の実母もそうだろう。
悔いがないくらい、十分に生きた。
良い人生だった、と思って死にたい。
座っていればとても93歳には見えない義母だが
歩くと足元がおぼつかない。
それでも
転ばないように、転ばないようにと
一歩一歩が慎重極まりないから
大きな怪我もしないし、無事に過ごしている。
尿取りパッドを使っていないことに
びっくりされた、と嬉しそう。
そういえば、そうね。
義母は本当にすごい。
私がこの歳になったら
とてもこうはいられないと思う。
嫁に迷惑をかけられない、といつも言うし
本人はそうあるつもりだろうが
一緒に暮らしてるだけで
私の自由度は何割減?
この体験をしたからこそ、
自分が歳を取ったら
「そこも含めて、迷惑をかけない」生き方をしたいと思う。
…難しいね。
だけど、全ては神様の采配のもと。
そう思えば、生かされた命を全うするのは
自分の役割なのだ。
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