1月26日・木曜
時間は、流れるのか?よく自分も時が流れる・・とかいうけど、本当はそうではなくて私たちが流れるのだと思う。というのが
今日のテーマ。
時間って何?前CD製作のとき、ジャケットに、収録曲全部の演奏時間を、トータル・タイムとするのかトータル・タイミング
とするかで悩んだことがある。どちらでも誤りではないようなので、あとは好みかと・・
そこで改めて時間とは何?って考えてしまった。時間など存在するのか?しない。人間が時と時の間を測ってるだけだ。宇宙はなぜか規則的に動いてるので測り得るだけだ。そこで、トータル・タイミングとすることにした。
過去・現在・未来ーというけど、、、果たして過去はあるのか?過ぎ去ったものは存在しない。僕らの記憶や写真や映像にあるだけだ。現在ーいまだけは確かだ。在る。
じゃ未来は・・?来てないものは存在しない。未来がきたらそれは存在する。来る瞬間までないのだ、、で、きたときはそれはもう今なわけだから・・常に今しか存在しないことになる。これは屁理屈ではないだろう。
世界は一瞬一瞬創造されてるのだーという哲学が僕は好きだ。時間は流れず、次次に今が現れて・・いまいまいまいまいま!!未来を不安におもったり、焦って前のめりになることもなければ、過去を悔やむ事も懐かしむこともない。
そもそもなんでこんな事を書いてるかというと、今朝起きてからずっと
、5年後の自分をイメージしてたから・・で、取り組む曲やヴァイオリンのテクニックの向上やコンサートのプロジェクトなど、目先のことだけでなく、もう少し長いスパンで考えてみたかったから。
でも未来は来るものでも在るものでもなく、一瞬一瞬たち現れて出た瞬間には今!なのであれば、果たして計画などして思い通りにいくわけではないだろう。
でもいつも無いはずの未来を見据えてきた、、具体的ではなく、、漠然とでも成りたい自分をイメージすればいつかそうなってるのは不思議だ。でも、それに期限をつけたり、結果を求めてはだめだ。マイ・ペースであれば、人間はいつしか想い描く自分のイメージに成ってゆくのだと思う。
自分の内に築いていくなにかしか残らない。
よくコンサートのことをー本番ーというけど、(自分もよく言うけど)、、よく、いよいよですね、とか言うけど、
本番の日ー仮にコンサートやコンクールの日が本番だとして、、本番の日は果たしてくるのだろうか?来るとしてもぎりぎりまで
分からなくて、で、突然そこに在るだけだ。だから前々からその日を意識する必要はない。いまをいつも生きてれば、本番もいつもと同じ今である。いよいよもなにもなく一瞬一瞬に世界はたち現れて、僕たちはつぎからつぎに来る今を流れてるだけだ。
よく、自分のリサイタルの次の日などくるのだろうか?と思ってたときがあるけど、(それほどリサイタルの日を、いよいよとか本番とか思ってた)そんな時でもいつも必ずいつもどおり次の日は来た。。というか今が来た。いまではいつもいまをいまかいまかとたのしんでる。なんちゃって。
過去にとらわれず、未来に不安を抱かず期限をつけることもなく、いつもいましかない。今を流れるのが楽しいのだ。
時間は、流れるのか?よく自分も時が流れる・・とかいうけど、本当はそうではなくて私たちが流れるのだと思う。というのが
今日のテーマ。
時間って何?前CD製作のとき、ジャケットに、収録曲全部の演奏時間を、トータル・タイムとするのかトータル・タイミング
とするかで悩んだことがある。どちらでも誤りではないようなので、あとは好みかと・・
そこで改めて時間とは何?って考えてしまった。時間など存在するのか?しない。人間が時と時の間を測ってるだけだ。宇宙はなぜか規則的に動いてるので測り得るだけだ。そこで、トータル・タイミングとすることにした。
過去・現在・未来ーというけど、、、果たして過去はあるのか?過ぎ去ったものは存在しない。僕らの記憶や写真や映像にあるだけだ。現在ーいまだけは確かだ。在る。
じゃ未来は・・?来てないものは存在しない。未来がきたらそれは存在する。来る瞬間までないのだ、、で、きたときはそれはもう今なわけだから・・常に今しか存在しないことになる。これは屁理屈ではないだろう。
世界は一瞬一瞬創造されてるのだーという哲学が僕は好きだ。時間は流れず、次次に今が現れて・・いまいまいまいまいま!!未来を不安におもったり、焦って前のめりになることもなければ、過去を悔やむ事も懐かしむこともない。
そもそもなんでこんな事を書いてるかというと、今朝起きてからずっと
、5年後の自分をイメージしてたから・・で、取り組む曲やヴァイオリンのテクニックの向上やコンサートのプロジェクトなど、目先のことだけでなく、もう少し長いスパンで考えてみたかったから。
でも未来は来るものでも在るものでもなく、一瞬一瞬たち現れて出た瞬間には今!なのであれば、果たして計画などして思い通りにいくわけではないだろう。
でもいつも無いはずの未来を見据えてきた、、具体的ではなく、、漠然とでも成りたい自分をイメージすればいつかそうなってるのは不思議だ。でも、それに期限をつけたり、結果を求めてはだめだ。マイ・ペースであれば、人間はいつしか想い描く自分のイメージに成ってゆくのだと思う。
自分の内に築いていくなにかしか残らない。
よくコンサートのことをー本番ーというけど、(自分もよく言うけど)、、よく、いよいよですね、とか言うけど、
本番の日ー仮にコンサートやコンクールの日が本番だとして、、本番の日は果たしてくるのだろうか?来るとしてもぎりぎりまで
分からなくて、で、突然そこに在るだけだ。だから前々からその日を意識する必要はない。いまをいつも生きてれば、本番もいつもと同じ今である。いよいよもなにもなく一瞬一瞬に世界はたち現れて、僕たちはつぎからつぎに来る今を流れてるだけだ。
よく、自分のリサイタルの次の日などくるのだろうか?と思ってたときがあるけど、(それほどリサイタルの日を、いよいよとか本番とか思ってた)そんな時でもいつも必ずいつもどおり次の日は来た。。というか今が来た。いまではいつもいまをいまかいまかとたのしんでる。なんちゃって。
過去にとらわれず、未来に不安を抱かず期限をつけることもなく、いつもいましかない。今を流れるのが楽しいのだ。