本当の自信とは自己の中には無いんじゃないか?だけど、自分を大切にしない人はハッピーでないときは他も大切に出来ないのが常だ〜さもなければ偽善か或いは殉教者だ・・というのは音楽に於いても言える。
日頃スケールやエチュードを進化させ研究し続け、健康に気を使う(必ずしも健康志向ということよりは最高のパフォーマンスへのコンディション造りの為の食事を研究する)のと全く同じ事〜己を無くす事に(誤解されやすい言葉だけど)。。
何が本当に、自己や自分の周りの物(家族も含め)を除いたもっと大きな意味での"Liebe"-愛を表現する〜おこがましいかも・・だけど、(そういう風に自分を卑下してる場合じゃないけど・・)為にミュージシャンとして生きていくか・・ということが大事だし、この不条理な世界に於いて究極に自己が仕合せになれる術(ふさわしい表現が見当たらない)だと思う。自分の曲を書いてみたのは、いかに自分がクラシックのミュージシャンとして楽譜にとらわれてるかということを知るため、またより演奏に於いて自由になりたいからでもあったのだが、それによって、いかにシューベルトやベートーヴェン、モーツァルトが素晴しいかをより深く知るようになってきた(変な言い方だけどより正確に表現したいからおかしくなる・・)。でも自分の曲は改良させつつ度々演奏するだろう〜有る意味自分にとって必要な部分のようだ。世界ー内ー存在、とか言うが50歳にして(まだもう少し49歳)初めてそこからスタートした気がする・・無ーとかあるのかもしれんけどそれは今はどうでもよいな。。
日頃スケールやエチュードを進化させ研究し続け、健康に気を使う(必ずしも健康志向ということよりは最高のパフォーマンスへのコンディション造りの為の食事を研究する)のと全く同じ事〜己を無くす事に(誤解されやすい言葉だけど)。。
何が本当に、自己や自分の周りの物(家族も含め)を除いたもっと大きな意味での"Liebe"-愛を表現する〜おこがましいかも・・だけど、(そういう風に自分を卑下してる場合じゃないけど・・)為にミュージシャンとして生きていくか・・ということが大事だし、この不条理な世界に於いて究極に自己が仕合せになれる術(ふさわしい表現が見当たらない)だと思う。自分の曲を書いてみたのは、いかに自分がクラシックのミュージシャンとして楽譜にとらわれてるかということを知るため、またより演奏に於いて自由になりたいからでもあったのだが、それによって、いかにシューベルトやベートーヴェン、モーツァルトが素晴しいかをより深く知るようになってきた(変な言い方だけどより正確に表現したいからおかしくなる・・)。でも自分の曲は改良させつつ度々演奏するだろう〜有る意味自分にとって必要な部分のようだ。世界ー内ー存在、とか言うが50歳にして(まだもう少し49歳)初めてそこからスタートした気がする・・無ーとかあるのかもしれんけどそれは今はどうでもよいな。。