序
すべての労働者は団結せよ!分裂した組合は労働者の自殺行為です。
どんなに弱い労働組合であろうと、職場に労働組合が一つですべての労働者が加入していれば、経営者は強気には出られません。もし強気に出れば、必ず闘いが起こります。経営者と労働者の闘いは資本家と労働者との闘いに発展します。
労働者階級は資本家階級に搾取されています。その弊害は職場に必ず露出します。一つの労働組合に労働者が全員加入していれば、搾取の弊害は闘いを呼び起こします。職場での経営者との闘いにはほとんど勝利できます。
しかし、総資本と労働者の戦いはその国の労働者階級の団結いかんにかかわります。団結が未熟であれば闘いに負けます。その国の労働者階級の団結が強固になれば必ず革命が起きます。
労働者と経営者との闘いが資本家階級と労働者階級との闘いになり、階級闘争に勝利するまでは労働者の闘いに最終的な勝利はありません。
一国での革命は他の資本主義国から攻撃を受けます。貿易などが止められます。戦争をしかけられます。これに対抗するのは他国の労働者階級です。アメリカ合衆国によるベトナムに対する戦争は、ベトナムの人々の戦いを支援する合衆国本土から闘いのみならず、全世界でのベトナム戦争反対の闘いが起こり、合衆国は撤退しました。
他国の労働者階級の支援が受けられなければ革命は失敗に終わります。しかし必ず共闘する労働者が現れます。その炎が全世界に燃え移らなければ労働者国家は危険にさらされます。
一つの国の革命は他の国の革命を呼び起こします。そして全世界で革命が実現すれば、労働者国家を踏みにじる資本家階級は消え去ります。
そして社会主義社会が誕生するのです。社会主義社会では階級闘争はなくなります。労働者が搾取されることはありませんので労働生産物はすべて働く人のもの、つまり社会のものです。
社会主義社会は誕生してもまだ未熟です。世界の貧富の差は解消されていません。同じ地域の個々の労働者間の分配も公平ではありません。しかし、一部の資本家階級が握っていた富は労働者に還元されます。また世界が一つになりますので戦争がなくなり、戦争のための軍備の生産もなくなります。
今までは生産すれど購入するお金がなくて買えなかったため生産が抑えられていましたが、生産すればすべて配給されるため爆発的な生産力が生まれます。これが公平な分配を実現するエネルギーとなるのです。
社会主義社会で問題となるのは、いかに公平に、しかも不平が出ないように分配するのかと、誰がどれだけ、どんな職場で働くのかを決めることです。働く時間の長さと、必要とされる能力が違う個々人の間の不公平は、配給される物資の質と量で調整されます。
それらを決めるのが会議です。これには職場で働く人全員が参加する職場会議と地域の人全員が参加する会議が基本となります。自分の仕事の内容と分配に関する職場での会議は誰でも真剣になります。また、地域に必要な住宅から水道、ガス、電気、配給所に至るまでその地域の生活基盤の配備と家庭への分配は住民の重大関心事です。ですから今まで無関心だっと選挙とは違い、すべての人が関心を持ち真剣に話し合います。そんな会議が重要なのです。
一つ一つの職場や地域の要求はより大きな地域の現在の県などでの会議を経て、日本全体の会議、世界全体の会議を経て、全人類の生産と分配が決定し実行されます。
はじめは地域格差、職場格差が生じますが、生産力が爆発的に向上し、それに応じた生産物も爆発的に増えますので解消されて行きます。
現在問題となっている地球温暖化や地球汚染、薬害などの問題も資本家階級の儲け主義がなくなると同時に人類が生きやすい環境の生産へと舵が切られますので解消されてゆきます。
生産力の発展により格差がなくなり、必要に応じて必要だけ生産するようになれば、労働も必要に応じて必要なだけ働くことになります。ここに共産主義社会が誕生し、人類は新な地平に到達します。
人間は、労働することに喜びを感じる。それも、人間同士協力して働くことに喜びを感じる。働かないことは、悪いことだと感じる。社会のためになる労働に、喜びを感じる。
けれど、搾取される労働はそれをむしばむ。
資本主義社会は、労働者の搾取を前提に成り立っている社会です。この搾取が巧妙に隠されているために勉強しない労働者は、この仕組みを理解していません。
しかし、搾取された労働は、労働の疎外感をもたらし、資本主義生産方式に疑問を感じさせます。労働の疎外は、労働者の人間性を否定し続け、それを強いる資本家階級の人間性をも奪っています。
また、市場経済は好不況を繰り返しますが、不況のたびに労働者の雇用が脅かされ、労働者階級に目覚めなければならないことを強要してきます。
社会の大多数を占める労働者階級が目覚めれば、資本主義社会は崩壊する運命なのです。奴隷制社会、これに続く封建制社会が崩壊したように。
労働者や資本家が人間として生きて行ける社会は、社会主義社会の先にある共産主義社会を創る以外にはありません。
資本家などから全財産を取り上げ、全ての財産を社会で共有し、生産管理をすべての人間の意志によって決める社会にすることです。
共産主義社会には資本家も労働者もいません。その社会では皆が社会のために知恵を絞り、全員が平等に働く社会です。余暇も平等です。現在の資本家みたいに労働者を敵にし、労働組合の懐柔に頭を悩さなくてもよいのです。
そこに行くには、大変な労力を必要とします。
社会主義への入口の国家を作っても「ソ連」のように崩壊します。権力の偏りがあるからです。生活資金にも偏りがあります。人間の知力にも大きな差があります。資本主義社会の悪い資産を残しているからです。
資本家は財産も持っていますが、知力も持っています。よく勉強しています。会社がつぶれないようにし、大きくしようとするからです。今の社会を守るためにも知力を注ぎます。
対する労働者は、一部の人を除いて生涯勉強する人はいません。ゲームやテレビの娯楽番組に時間を費やし、パチンコに溺れ、酒に溺れ、仕事、家事などに追われ、社会を良くする勉強はしません。
民主主義社会の基本である平等な選挙制度があっても、一部の人に先導され騙されて選挙に行きます。自分の頭で考え、自分の意見をもって選挙に行く人は一握りです。
それで選ばれる議員が決める社会には民主主義はないのです。
宗教団体の言うがままに選挙に行くのは、その集団の教祖や幹部に騙されているようなものです。どんなにおとなしそうな集団でも、オーム真理教などと同じオカルト集団なのですから。上からの命令は絶対で、下の意見は反映されないのが普通です。
「共産党」と名乗る政党が世界にありますが、過去はどうであれ「日本共産党」「中国共産党」を含め、現在は共産主義社会を目指す政党ではありません。
平等な社会を作るには、みんなが等しく学べ、自分の意見が議論される社会が必要です。そんな社会を維持するには個々人の努力が不可欠です。知力の偏りが大きい社会では、知力に勝る人に支配されてしまうからです。
共産主義社会と聞けば「ソ連(ソビエト連邦共和国)」を思い出す人は多いと考えます。
しかし「ソビエト連邦共和国」は共産主義社会ではありませんでした。共産主義社会の前の社会である社会主義社会に向かって歩んでいた労働者が支配する国でした。が、途中で挫折してしまいました。スターリンという独裁者の誕生により、多くの虐殺が繰り返され、組合民主主義をはじめとする国民全員が参加して国の運営をする体制をつくる途上で、崩壊したのです。
社会主義社会は、国家対立を止揚することによって成立します。
社会の発展を妨げている国家間の争いを止揚することなしには、新しい社会は築けないのです。
グローバル化を求める資本主義生産と市場、これを後押しする国家権力とこれを阻止しようとする国家権力、その対立が国家間の戦争を引き起こしてしまうのです。
核戦争や地球環境の悪化で人類が滅亡する前に資本主義社会を終わらせ、国家間の対立を止揚しなければなりません。資本主義社会の改革などと言っている場合ではないのです。資本主義社会を終わらせなければ、核爆弾や地球環境の悪化などによっていつか人類が滅びてしまうのです。
国家間の対立を繰り返す資本主義社会に、労働者が支配する国家=「ソ連」が誕生したことは「ソ連」以外の資本主義国の支配者たちを怯えさせたのです。自分の国も労働者の支配する国になってしまうのではと恐れました。
資本家は、労働者が革命に立ち上がるのを防ぐために、労働者の生活の改善に取り組まなければなりませんでした。
曲がりなりにも資本主義国を恐れさせた「ソ連」の崩壊によって、資本主義国の労働者はその権利の多くを失ったのです。
日経ビジネスによれば「1975年に76%あった日本の労働分配率は、2011年に60%まで16ポイントも下落した。」ということです。ソ連の崩壊を含め、日本の労働運動の衰退により、労働者への配分は激減したのです。これでは、労働者からみた景気は良くなるはずがありません。
労働者が人間性を保つには労働組合が必要不可欠です。
労働組合は、労働者に団結の場を保証し、労働者を教育し、組合民主主議を学び、労働者同士の助け合いの場を提供するものであります。
労働組合については、生産過程の中で詳細に述べます。
今の経済学者の多くは、資本主義社会が労働者の搾取を前提に成り立っている社会であることを見ていません。利潤は労働者から搾り取ったものなのに、資本家が生み出したものと考えています。
労働者の搾取を考えずに語る資本主義社会なるものは、架空の社会なのです。そこから見る未来の社会なるものは、実現不可能な想像の社会なのです。 奴隷制を見ないで、奴隷制社会のギリシャを理想国家などと語るのと同じことなのです。
資本主義社会において、労働者を搾取することが当然の事と考えられているように、当時のギリシャでは、奴隷制は社会的に許容された制度でした。しかし、奴隷制度の上に成り立っていたギリシャは崩壊したのです。
私たちは自分の住む社会の仕組みを知らねばなりません。そして、より良い社会を作ってゆかねばなりません。勉強しなければ何が大切で、何が必要なのかわかりません。
個々人が議論を戦わせてこそ、みんなの意見が集約された方針が作られるのです。知識がなく、議論に参加できなければ、自分の意見は反映されないし、望む良い社会はできないのです。
すべての人が難しい経済学などを学ぶ必要はありません。しかし、正しい知識を身に着けた人が多くの知人や仲間に教えてあげねば、社会を変える議論も始まりません。
また、個々人がバラバラでは社会を変える力とはなりません。水蒸気はそのままでは空中に霧散してしまいます。それをボイラーにためピストンを動かす力に変えてあげれば、重い列車さえ動かす力となるのです。
人々の怒りを社会を変える力とするには、人々を組織化して政治力をつくらなければならないのです。そのボイラーとピストンが労働組合なのです。列車の向かう先を決めるのが共産主義者です。労働組合の力を間違った方向に導いてはなりません。
ここでは、いま私たちが生きている社会、資本主義社会の仕組みを勉強します。資本主義社会とは、世界の経済が資本によって支配されている社会です。
私たちが生きている資本主義社会の構造を知らなければ、この社会をどのように良くしてゆくべきかは解りません。資本主義社会を形づくるのは資本です。ですから、この資本の働きから見てゆきます。
資本主義的商品生産とは利潤を追求し続ける生産方式です。
資本主義的商品生産は、市場から生産に必要な商品を調達し、新たな商品を生産することで剰余価値を生産します。
剰余価値を含んだ新たな商品を市場で販売し、貨幣を増やすのです。
市場は競争の場です。ここで生き残るには競争に勝たなくてはなりません。負ければ追い出されます。
資本主義社会である限り、100年前でも今でも、これからも、労働者から剰余価値を搾り取る社会であることは変わりません。
市場経済ゆえに、企業が生き残るには他の企業との競争に勝ち続けねばならないのです。
資本主義経済の要である市場は、人間が制御できないのです。逆に、市場が人間の行動を制御しているのです。
資本主義経済を不況から守ろうとする努力は、一時は実を結ぶかもしれません。しかし、好況期が続けば必ず不況の時が訪れるのです。それが市場主義の恐ろしさです。
好況を維持しようとする政策は、より大きな不況の準備をしているだけなのです。好況の振り子が高くなればなるほど、不況の振り子も高くなるのです。
次の不況が世界大戦を呼び寄せなければいいのですが。
今、パワハラ・セクハラなどハラスメントの被害を受ける労働者が増加しています。
私が若かったころ、私のいた職場ではそんなものはありませんでした。組合員にパワハラ・セクハラをしようにも管理職者は労働組合が怖くてできませんでした。当時の管理職者は労働組合からの脱退を働きかけることに汲々としていたのです。
職場を実質管理していたのは管理職者や組合の役員ではなく古株の職場のボスでいたので、パワハラ・セクハラの兆しがあれば組合員の話し合いの中で解決していたものです。
労働組合の中ではスポーツやピクニックなど家族を伴っての交流が盛んでしたので、組合員同士がいざこざを起こすことはほとんどありませんでした。
附
原始共産制
生産用具が未発達の時代、共同生活をするすべての人間が働かなければ生きてゆけない時代、余剰生産物がない時代。
人間奴隷制
共同体内で余剰生産物があり、一部の人間が働かずに生活できた時代。
蔵に蓄えられた生産物を奪い合う共同体間の戦争が起きた時代。
人間を強制的に奴隷化して、必要なものを生産させ、それを搾取して支配層が文化的生活を始めた時代。
戦争で負けた共同体の人間は奴隷にされた。
農業奴隷制
領主が奴隷に土地を与え、奴隷が生産した物を取り上げて支配層が文化を謳歌した時代。
領主が権力を保持して領主間の領地争いをした時代。
資本奴隷制
現代。
家族に生産手段がなく、賃金奴隷として働くことで生活に必要な貨幣を手にし、生活物資を購入する時代。
賃金奴隷として働く時間と休養する時間以外を自分の楽しみに使える時代。
生産性を上げるために労働者を教育する時代。
国家がその国の資本家を守るために国家権力を保持し、国家間の利害の対立を解決するために国際戦争が起こる時代。
共産制社会
生産性が極度に発達し、生活や娯楽物資が豊富で、共同体で分配の順序を決める時代。
生産手段を共同体が所有し、話し合いで働く時間と場所を決める時代。
資本家も労働者もいなくなり人間という本来の関係に止揚され、国家がなくなるために国境もなくなり、国際戦争がなくなる時代。
現代日本のソビエト
北海道猿払村の漁業組合は、日本にある社会主義経済の一時的地域限定版です。すべての企業をこのような協同組合にした時、社会主義社会が芽生えるのです。
あとがき
「いい人生だった」
私の人生もそう長くはないけれど、振り返ってそう思う。
私は人を裏切りませんでした。そう考えて生きてきました。そして、自分の信念に従って生きてきました。
すでに他界した人を含め、多くの人の心の琴線に触れることもできました。
役職等の上下を問わず、支持政党の党派を問わず、出会った人と付き合ってきました。その中で、私の考えに同調した人が私を助けてくれました。心の触れ合いを感じて感動したことが何度もありました。
一方で、長く組合の役員として一緒に活動したのに、私の真意を解ってもらえずに反発したまま旅立った人もいました。
組合活動の中で人間の暖かい部分に触れながら生きることができました。
苦しいながらも楽しいことも多かった。レク活動のスキー列車は最高の思い出として残っています。組合活動は人間を取り戻す場であったと思っています。
常に希望(夢)を持ち続け、その実現を目指して生きてきました。
若いころは、米ソの核兵器におびえました。先の見えない不安の中で、若くして胃潰瘍で入院しました。
高校生の中ごろまでは貧乏で先が見えない人生だった。
それでも何かを切り開こうと必死に生きた。
マルクス主義に触れ世界が見えるようになった。共産主義社会を実現することが私の目的になりました。
そのために生きることが場所的に共産主義社会をもたらすことを知りました。
私は様々な人に感動をもらいました。石牟礼さん、グレタ・トゥーンベリさん、永山則夫さん。
「無知の涙」は私より貧乏な生活を送った人の人生がどうなるのかを教えてくれました。悲しいじゃないですか、死刑を宣告されてからマルクス主義に触れるなんて。
そして普通に高校へ行けなかったことを恨む前に、両親が育ててくれた事に感謝しました。
私にとって不幸な人とは、共産主義社会を知らない、共産主義社会に夢を託せない人のことです。
共産主義社会だけが今の資本主義社会の全ての矛盾を止揚できるからです。
すべての労働者は団結せよ!分裂した組合は労働者の自殺行為です。
どんなに弱い労働組合であろうと、職場に労働組合が一つですべての労働者が加入していれば、経営者は強気には出られません。もし強気に出れば、必ず闘いが起こります。経営者と労働者の闘いは資本家と労働者との闘いに発展します。
労働者階級は資本家階級に搾取されています。その弊害は職場に必ず露出します。一つの労働組合に労働者が全員加入していれば、搾取の弊害は闘いを呼び起こします。職場での経営者との闘いにはほとんど勝利できます。
しかし、総資本と労働者の戦いはその国の労働者階級の団結いかんにかかわります。団結が未熟であれば闘いに負けます。その国の労働者階級の団結が強固になれば必ず革命が起きます。
労働者と経営者との闘いが資本家階級と労働者階級との闘いになり、階級闘争に勝利するまでは労働者の闘いに最終的な勝利はありません。
一国での革命は他の資本主義国から攻撃を受けます。貿易などが止められます。戦争をしかけられます。これに対抗するのは他国の労働者階級です。アメリカ合衆国によるベトナムに対する戦争は、ベトナムの人々の戦いを支援する合衆国本土から闘いのみならず、全世界でのベトナム戦争反対の闘いが起こり、合衆国は撤退しました。
他国の労働者階級の支援が受けられなければ革命は失敗に終わります。しかし必ず共闘する労働者が現れます。その炎が全世界に燃え移らなければ労働者国家は危険にさらされます。
一つの国の革命は他の国の革命を呼び起こします。そして全世界で革命が実現すれば、労働者国家を踏みにじる資本家階級は消え去ります。
そして社会主義社会が誕生するのです。社会主義社会では階級闘争はなくなります。労働者が搾取されることはありませんので労働生産物はすべて働く人のもの、つまり社会のものです。
社会主義社会は誕生してもまだ未熟です。世界の貧富の差は解消されていません。同じ地域の個々の労働者間の分配も公平ではありません。しかし、一部の資本家階級が握っていた富は労働者に還元されます。また世界が一つになりますので戦争がなくなり、戦争のための軍備の生産もなくなります。
今までは生産すれど購入するお金がなくて買えなかったため生産が抑えられていましたが、生産すればすべて配給されるため爆発的な生産力が生まれます。これが公平な分配を実現するエネルギーとなるのです。
社会主義社会で問題となるのは、いかに公平に、しかも不平が出ないように分配するのかと、誰がどれだけ、どんな職場で働くのかを決めることです。働く時間の長さと、必要とされる能力が違う個々人の間の不公平は、配給される物資の質と量で調整されます。
それらを決めるのが会議です。これには職場で働く人全員が参加する職場会議と地域の人全員が参加する会議が基本となります。自分の仕事の内容と分配に関する職場での会議は誰でも真剣になります。また、地域に必要な住宅から水道、ガス、電気、配給所に至るまでその地域の生活基盤の配備と家庭への分配は住民の重大関心事です。ですから今まで無関心だっと選挙とは違い、すべての人が関心を持ち真剣に話し合います。そんな会議が重要なのです。
一つ一つの職場や地域の要求はより大きな地域の現在の県などでの会議を経て、日本全体の会議、世界全体の会議を経て、全人類の生産と分配が決定し実行されます。
はじめは地域格差、職場格差が生じますが、生産力が爆発的に向上し、それに応じた生産物も爆発的に増えますので解消されて行きます。
現在問題となっている地球温暖化や地球汚染、薬害などの問題も資本家階級の儲け主義がなくなると同時に人類が生きやすい環境の生産へと舵が切られますので解消されてゆきます。
生産力の発展により格差がなくなり、必要に応じて必要だけ生産するようになれば、労働も必要に応じて必要なだけ働くことになります。ここに共産主義社会が誕生し、人類は新な地平に到達します。
人間は、労働することに喜びを感じる。それも、人間同士協力して働くことに喜びを感じる。働かないことは、悪いことだと感じる。社会のためになる労働に、喜びを感じる。
けれど、搾取される労働はそれをむしばむ。
資本主義社会は、労働者の搾取を前提に成り立っている社会です。この搾取が巧妙に隠されているために勉強しない労働者は、この仕組みを理解していません。
しかし、搾取された労働は、労働の疎外感をもたらし、資本主義生産方式に疑問を感じさせます。労働の疎外は、労働者の人間性を否定し続け、それを強いる資本家階級の人間性をも奪っています。
また、市場経済は好不況を繰り返しますが、不況のたびに労働者の雇用が脅かされ、労働者階級に目覚めなければならないことを強要してきます。
社会の大多数を占める労働者階級が目覚めれば、資本主義社会は崩壊する運命なのです。奴隷制社会、これに続く封建制社会が崩壊したように。
労働者や資本家が人間として生きて行ける社会は、社会主義社会の先にある共産主義社会を創る以外にはありません。
資本家などから全財産を取り上げ、全ての財産を社会で共有し、生産管理をすべての人間の意志によって決める社会にすることです。
共産主義社会には資本家も労働者もいません。その社会では皆が社会のために知恵を絞り、全員が平等に働く社会です。余暇も平等です。現在の資本家みたいに労働者を敵にし、労働組合の懐柔に頭を悩さなくてもよいのです。
そこに行くには、大変な労力を必要とします。
社会主義への入口の国家を作っても「ソ連」のように崩壊します。権力の偏りがあるからです。生活資金にも偏りがあります。人間の知力にも大きな差があります。資本主義社会の悪い資産を残しているからです。
資本家は財産も持っていますが、知力も持っています。よく勉強しています。会社がつぶれないようにし、大きくしようとするからです。今の社会を守るためにも知力を注ぎます。
対する労働者は、一部の人を除いて生涯勉強する人はいません。ゲームやテレビの娯楽番組に時間を費やし、パチンコに溺れ、酒に溺れ、仕事、家事などに追われ、社会を良くする勉強はしません。
民主主義社会の基本である平等な選挙制度があっても、一部の人に先導され騙されて選挙に行きます。自分の頭で考え、自分の意見をもって選挙に行く人は一握りです。
それで選ばれる議員が決める社会には民主主義はないのです。
宗教団体の言うがままに選挙に行くのは、その集団の教祖や幹部に騙されているようなものです。どんなにおとなしそうな集団でも、オーム真理教などと同じオカルト集団なのですから。上からの命令は絶対で、下の意見は反映されないのが普通です。
「共産党」と名乗る政党が世界にありますが、過去はどうであれ「日本共産党」「中国共産党」を含め、現在は共産主義社会を目指す政党ではありません。
平等な社会を作るには、みんなが等しく学べ、自分の意見が議論される社会が必要です。そんな社会を維持するには個々人の努力が不可欠です。知力の偏りが大きい社会では、知力に勝る人に支配されてしまうからです。
共産主義社会と聞けば「ソ連(ソビエト連邦共和国)」を思い出す人は多いと考えます。
しかし「ソビエト連邦共和国」は共産主義社会ではありませんでした。共産主義社会の前の社会である社会主義社会に向かって歩んでいた労働者が支配する国でした。が、途中で挫折してしまいました。スターリンという独裁者の誕生により、多くの虐殺が繰り返され、組合民主主義をはじめとする国民全員が参加して国の運営をする体制をつくる途上で、崩壊したのです。
社会主義社会は、国家対立を止揚することによって成立します。
社会の発展を妨げている国家間の争いを止揚することなしには、新しい社会は築けないのです。
グローバル化を求める資本主義生産と市場、これを後押しする国家権力とこれを阻止しようとする国家権力、その対立が国家間の戦争を引き起こしてしまうのです。
核戦争や地球環境の悪化で人類が滅亡する前に資本主義社会を終わらせ、国家間の対立を止揚しなければなりません。資本主義社会の改革などと言っている場合ではないのです。資本主義社会を終わらせなければ、核爆弾や地球環境の悪化などによっていつか人類が滅びてしまうのです。
国家間の対立を繰り返す資本主義社会に、労働者が支配する国家=「ソ連」が誕生したことは「ソ連」以外の資本主義国の支配者たちを怯えさせたのです。自分の国も労働者の支配する国になってしまうのではと恐れました。
資本家は、労働者が革命に立ち上がるのを防ぐために、労働者の生活の改善に取り組まなければなりませんでした。
曲がりなりにも資本主義国を恐れさせた「ソ連」の崩壊によって、資本主義国の労働者はその権利の多くを失ったのです。
日経ビジネスによれば「1975年に76%あった日本の労働分配率は、2011年に60%まで16ポイントも下落した。」ということです。ソ連の崩壊を含め、日本の労働運動の衰退により、労働者への配分は激減したのです。これでは、労働者からみた景気は良くなるはずがありません。
労働者が人間性を保つには労働組合が必要不可欠です。
労働組合は、労働者に団結の場を保証し、労働者を教育し、組合民主主議を学び、労働者同士の助け合いの場を提供するものであります。
労働組合については、生産過程の中で詳細に述べます。
今の経済学者の多くは、資本主義社会が労働者の搾取を前提に成り立っている社会であることを見ていません。利潤は労働者から搾り取ったものなのに、資本家が生み出したものと考えています。
労働者の搾取を考えずに語る資本主義社会なるものは、架空の社会なのです。そこから見る未来の社会なるものは、実現不可能な想像の社会なのです。 奴隷制を見ないで、奴隷制社会のギリシャを理想国家などと語るのと同じことなのです。
資本主義社会において、労働者を搾取することが当然の事と考えられているように、当時のギリシャでは、奴隷制は社会的に許容された制度でした。しかし、奴隷制度の上に成り立っていたギリシャは崩壊したのです。
私たちは自分の住む社会の仕組みを知らねばなりません。そして、より良い社会を作ってゆかねばなりません。勉強しなければ何が大切で、何が必要なのかわかりません。
個々人が議論を戦わせてこそ、みんなの意見が集約された方針が作られるのです。知識がなく、議論に参加できなければ、自分の意見は反映されないし、望む良い社会はできないのです。
すべての人が難しい経済学などを学ぶ必要はありません。しかし、正しい知識を身に着けた人が多くの知人や仲間に教えてあげねば、社会を変える議論も始まりません。
また、個々人がバラバラでは社会を変える力とはなりません。水蒸気はそのままでは空中に霧散してしまいます。それをボイラーにためピストンを動かす力に変えてあげれば、重い列車さえ動かす力となるのです。
人々の怒りを社会を変える力とするには、人々を組織化して政治力をつくらなければならないのです。そのボイラーとピストンが労働組合なのです。列車の向かう先を決めるのが共産主義者です。労働組合の力を間違った方向に導いてはなりません。
ここでは、いま私たちが生きている社会、資本主義社会の仕組みを勉強します。資本主義社会とは、世界の経済が資本によって支配されている社会です。
私たちが生きている資本主義社会の構造を知らなければ、この社会をどのように良くしてゆくべきかは解りません。資本主義社会を形づくるのは資本です。ですから、この資本の働きから見てゆきます。
資本主義的商品生産とは利潤を追求し続ける生産方式です。
資本主義的商品生産は、市場から生産に必要な商品を調達し、新たな商品を生産することで剰余価値を生産します。
剰余価値を含んだ新たな商品を市場で販売し、貨幣を増やすのです。
市場は競争の場です。ここで生き残るには競争に勝たなくてはなりません。負ければ追い出されます。
資本主義社会である限り、100年前でも今でも、これからも、労働者から剰余価値を搾り取る社会であることは変わりません。
市場経済ゆえに、企業が生き残るには他の企業との競争に勝ち続けねばならないのです。
資本主義経済の要である市場は、人間が制御できないのです。逆に、市場が人間の行動を制御しているのです。
資本主義経済を不況から守ろうとする努力は、一時は実を結ぶかもしれません。しかし、好況期が続けば必ず不況の時が訪れるのです。それが市場主義の恐ろしさです。
好況を維持しようとする政策は、より大きな不況の準備をしているだけなのです。好況の振り子が高くなればなるほど、不況の振り子も高くなるのです。
次の不況が世界大戦を呼び寄せなければいいのですが。
今、パワハラ・セクハラなどハラスメントの被害を受ける労働者が増加しています。
私が若かったころ、私のいた職場ではそんなものはありませんでした。組合員にパワハラ・セクハラをしようにも管理職者は労働組合が怖くてできませんでした。当時の管理職者は労働組合からの脱退を働きかけることに汲々としていたのです。
職場を実質管理していたのは管理職者や組合の役員ではなく古株の職場のボスでいたので、パワハラ・セクハラの兆しがあれば組合員の話し合いの中で解決していたものです。
労働組合の中ではスポーツやピクニックなど家族を伴っての交流が盛んでしたので、組合員同士がいざこざを起こすことはほとんどありませんでした。
附
原始共産制
生産用具が未発達の時代、共同生活をするすべての人間が働かなければ生きてゆけない時代、余剰生産物がない時代。
人間奴隷制
共同体内で余剰生産物があり、一部の人間が働かずに生活できた時代。
蔵に蓄えられた生産物を奪い合う共同体間の戦争が起きた時代。
人間を強制的に奴隷化して、必要なものを生産させ、それを搾取して支配層が文化的生活を始めた時代。
戦争で負けた共同体の人間は奴隷にされた。
農業奴隷制
領主が奴隷に土地を与え、奴隷が生産した物を取り上げて支配層が文化を謳歌した時代。
領主が権力を保持して領主間の領地争いをした時代。
資本奴隷制
現代。
家族に生産手段がなく、賃金奴隷として働くことで生活に必要な貨幣を手にし、生活物資を購入する時代。
賃金奴隷として働く時間と休養する時間以外を自分の楽しみに使える時代。
生産性を上げるために労働者を教育する時代。
国家がその国の資本家を守るために国家権力を保持し、国家間の利害の対立を解決するために国際戦争が起こる時代。
共産制社会
生産性が極度に発達し、生活や娯楽物資が豊富で、共同体で分配の順序を決める時代。
生産手段を共同体が所有し、話し合いで働く時間と場所を決める時代。
資本家も労働者もいなくなり人間という本来の関係に止揚され、国家がなくなるために国境もなくなり、国際戦争がなくなる時代。
現代日本のソビエト
北海道猿払村の漁業組合は、日本にある社会主義経済の一時的地域限定版です。すべての企業をこのような協同組合にした時、社会主義社会が芽生えるのです。
あとがき
「いい人生だった」
私の人生もそう長くはないけれど、振り返ってそう思う。
私は人を裏切りませんでした。そう考えて生きてきました。そして、自分の信念に従って生きてきました。
すでに他界した人を含め、多くの人の心の琴線に触れることもできました。
役職等の上下を問わず、支持政党の党派を問わず、出会った人と付き合ってきました。その中で、私の考えに同調した人が私を助けてくれました。心の触れ合いを感じて感動したことが何度もありました。
一方で、長く組合の役員として一緒に活動したのに、私の真意を解ってもらえずに反発したまま旅立った人もいました。
組合活動の中で人間の暖かい部分に触れながら生きることができました。
苦しいながらも楽しいことも多かった。レク活動のスキー列車は最高の思い出として残っています。組合活動は人間を取り戻す場であったと思っています。
常に希望(夢)を持ち続け、その実現を目指して生きてきました。
若いころは、米ソの核兵器におびえました。先の見えない不安の中で、若くして胃潰瘍で入院しました。
高校生の中ごろまでは貧乏で先が見えない人生だった。
それでも何かを切り開こうと必死に生きた。
マルクス主義に触れ世界が見えるようになった。共産主義社会を実現することが私の目的になりました。
そのために生きることが場所的に共産主義社会をもたらすことを知りました。
私は様々な人に感動をもらいました。石牟礼さん、グレタ・トゥーンベリさん、永山則夫さん。
「無知の涙」は私より貧乏な生活を送った人の人生がどうなるのかを教えてくれました。悲しいじゃないですか、死刑を宣告されてからマルクス主義に触れるなんて。
そして普通に高校へ行けなかったことを恨む前に、両親が育ててくれた事に感謝しました。
私にとって不幸な人とは、共産主義社会を知らない、共産主義社会に夢を託せない人のことです。
共産主義社会だけが今の資本主義社会の全ての矛盾を止揚できるからです。
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