今回はフルHD、 アップロードできる最大サイズ(長辺)。
フルHDのモニターだと、 23インチあたりが よくあるところだろう。 実際、使ってるし。
これだと、 A3よりも大きいサイズで表示される。
一方、 プリントで高画質に見えるのは 200dpi 程度がボーダーラインといわれて、 1920pxなら 24cmちょっと位が 限度の目安。
モニターでは A3より大きいのと、 プリントでは A4にでも 長辺両側に 3cm近くの余白を残す 控えめなサイズとでは、 大差。
もちろん、 “プリントを作れる” “印刷できる”という意味では、 拡大する加減に限度はない。
でも、 モニターに 100%サイズで表示して鮮鋭に見えても、 それと同じ大きさのプリントでも鮮鋭に見えるわけではない。
それを解さない思い違いが、 大きくは写し難い撮影テーマでは特に、 ただ写しただけの豆粒写真で
「世の中で称賛されるレベルなんか遥かに凌駕する、 これほど大きく鮮鋭に写すことにまでも すぐに『成功』できた」
と、 幻想の“自身の卓越した才能”に陶酔して 優越感に逝ってしまうのが多々ありがちな要因の1つだろう。
近代のデジタル機材では、 モニターで見る前提のネットに載せるなら トリミングして“それっぽく”見せられる自由度が大きい。
あるいは、 200dpiより遥かに粗いプリントでも、 同類さん同士だけでの集いでなら 鮮鋭な超絶写真だと証明し合っていられる。
そして、 その集いの外にご自慢しても、 殆どには 表面上は体裁良く応接してもらえるのが、 世の中の社交儀礼。
そういう“賛辞”を浴せることと、 フォトコンテストのようなリアル世界で求められる写真観とは、 根本から違う話。

たくさん群れて飛んでいるのが あちこちで見られる種類。
飛んでいるのを無数に見る割には、 個人的な行動する時間帯からの関係か、 とまっているのを見るのは 案外少ない印象もある。
コシアキトンボや ギンヤンマを追っていると、 時々 草や木にとまってお休みタイムに入るのを見る。
ウスバキトンボを追っていたら とまった、というのは あまり見なくて、 明るい間は ずっと飛び続けているイメージが強い。
フルHDのモニターだと、 23インチあたりが よくあるところだろう。 実際、使ってるし。
これだと、 A3よりも大きいサイズで表示される。
一方、 プリントで高画質に見えるのは 200dpi 程度がボーダーラインといわれて、 1920pxなら 24cmちょっと位が 限度の目安。
モニターでは A3より大きいのと、 プリントでは A4にでも 長辺両側に 3cm近くの余白を残す 控えめなサイズとでは、 大差。
もちろん、 “プリントを作れる” “印刷できる”という意味では、 拡大する加減に限度はない。
でも、 モニターに 100%サイズで表示して鮮鋭に見えても、 それと同じ大きさのプリントでも鮮鋭に見えるわけではない。
それを解さない思い違いが、 大きくは写し難い撮影テーマでは特に、 ただ写しただけの豆粒写真で
「世の中で称賛されるレベルなんか遥かに凌駕する、 これほど大きく鮮鋭に写すことにまでも すぐに『成功』できた」
と、 幻想の“自身の卓越した才能”に陶酔して 優越感に逝ってしまうのが多々ありがちな要因の1つだろう。
近代のデジタル機材では、 モニターで見る前提のネットに載せるなら トリミングして“それっぽく”見せられる自由度が大きい。
あるいは、 200dpiより遥かに粗いプリントでも、 同類さん同士だけでの集いでなら 鮮鋭な超絶写真だと証明し合っていられる。
そして、 その集いの外にご自慢しても、 殆どには 表面上は体裁良く応接してもらえるのが、 世の中の社交儀礼。
そういう“賛辞”を浴せることと、 フォトコンテストのようなリアル世界で求められる写真観とは、 根本から違う話。

たくさん群れて飛んでいるのが あちこちで見られる種類。
飛んでいるのを無数に見る割には、 個人的な行動する時間帯からの関係か、 とまっているのを見るのは 案外少ない印象もある。
コシアキトンボや ギンヤンマを追っていると、 時々 草や木にとまってお休みタイムに入るのを見る。
ウスバキトンボを追っていたら とまった、というのは あまり見なくて、 明るい間は ずっと飛び続けているイメージが強い。
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