結論は語るまでも無い。
ただ現実としてどうなるか?には、不透明な部分が多い。
「娼婦は必須な仕事では無い」
これをアメリカが受け入れる?と、結果で「アメリカらしさ」そう言うのが無くなる。セレブ、スラム、テロの脅威、麻薬の蔓延、”そう言うの”が、薄れていく事には成る。結果で、ヒーロー、それらの脅威と戦う戦士ら、そう言うのも、現実的な存在感が失われる。いわゆる映画の中に有った「アメリカ」それは、その時もう、無い。
良くも悪くも、「インターネット」それは、「黄昏の狩人」それを土台にして始まってしまって。結果的には、”ここ”は日本的な感覚?その方が強い。ここにアメリカ式を持ち込むと、どうもバブルに成って弾けるだけ、ではあり。「アメリカは」その奇妙な脅威と戦っていた、と言う?そう言うのが、現状だろうか。
選択は、アメリカ自身のそれに依存する訳だが。
「アメリカが失われる」と言う、それは一つの世界としては、リアリティでもある。
ヒーローを求める時、それに対する脅威、それはセットで発生する。
それらが失われる事をその世界が忌避する時、”それ”を護る事の方に正義がある、そう言う場合が、ある。一応、現実には「魔物」それは居ないがしかし、軍隊の必要性を意識するなら、敵国というか脅威、”それ”が無ければ存続のコストは重すぎる。現実には異常な感覚だ、軍隊を維持する為には脅威が必要なので、”それ”を創らねばならない。
良くも悪くもアメリカは、そう言う理解の中に居る、部分は強くある。
結果、”それを維持する為に”売春婦が求められる、事には成る。
「ヒーローはマンガの中にしか居ない」と言う理解に成らないと、結論的にはアメリカが娼婦を否定する事は出来なく、成る。
幸い、だろうか?最終的にはお金の問題だけだ。或いはインターネットでは、「ヒーローを演じる人」は居ても、ヒーローは居ない、と言うか…それは職業には出来ない、「そこに利益性は無いから」だ。「私は世界を救ったんだ!」と、それが例え事実でも、”そこ”に利益は発生しない。そこは日本的である…日本のヒーローは基本、対価を求めない。日本ではアイアンマンは、基本的には描かれないが、バットマンは富豪であり、或いは”その存在あって”その都市は、何かの悪夢を抱えている。
インターネットの存在は、アメリカの悪夢を吸収しているのか?ではある。
想定する「アメリカと言う女性」アメリカを求める先で切り捨てられる人々、それはインターネットに逃げて、或いは何かの脅威で有り続けるのだろうか?
「古き良きアメリカ」それを維持する為に?
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im7726793
https://publicdomainq.net/vilhelm-hammershoi-0056695/