それは、少しだけある理想だ。
普通の会社に勤め、或いは普通の家庭を持っていて。趣味はゲーム製作である。即売会に向け、余暇を利用し、”それ”をちまちまと創る日々。会場に持っていって、その熱気の中で200本前後が売れて?帰りにはその利益?で、少し豪勢な夕飯をする。それを英気にして、また、次を目指して。
「何が悪いの?」
少なくとも「美鶴さんの長い妄想」それは、そこには届かなかった。
今の自分の状況で言えば、「立場を考えなさい」だと、そこに至るには、ちょっと時間とか、色々なモノが必要だった現実はある。当時の、見えない枷の中では、自分の状況と言うのは「そこが精々」の、そんな環境でしか無かったし、それならそれで問題はあまり無かった。もちろん当時にしろ、違和感は感じていた?訳だ、「美鶴さんの長い妄想」それは、本来の企画「破魔師 ~美鶴の初仕事~」の、”同人的なそれ”として創ったモノで、そのオリジナルは何処?は、Readmeの中にもあるが、自分も聞きたい状況それは今も、だ。30年前に、「虹色宝珠」が入選してからこっち、一部から「王の権威」だと言う事で隠蔽し、排斥されていたそれは、その後10年かしないと、自覚は出来ない事ではある。
事が何処までも深刻になっていくのは、今もまだ「ショートサーキット出張版」が続いてる現実の様に、何だか理不尽と道理が同居した、そんな環境の中故ではあるのだった。
自覚?か、薄ら考えていた事ではある、「アメリカは問題ある状況である」それは今か、自身のそれに関わって、かなり深刻に陰惨に、理不尽にか、面倒を抱えている訳だが。
「アメリカは何処?」に関して、ちょっと考える事はある。ともかく自分は保護されていたとみるべきか、不当に隠蔽されていたと言うべきか、それは今も、微妙さのある現状ではあり。ともかく、元凶と言うべきか、或いは。「ユダヤ教の王」と想定する人物はもう、居なくなった。そして、その権利?が、今”ここ”に来ている、感じはある。その結果、創作への査定を「アートスケール」そこに委ねる事が出来る、結果で。理不尽さのある創作、それへの無意味な投資を否定する、それが出来る様には成ってきた。その辺は安定している、しかし同時に現代アート、その正体も、結局は表れてしまった、かもしれない。
ある種の”自由”それはまた一つ、消えた訳だが。
結局は、誰か何かを生贄にしなければ、その自由とは得られないのだ。
「美鶴さんの長い妄想」に関しては更に面倒、と言うか、矛盾もある。「商店街が総じて流行ってる光景が理想」と言う時、一つだけが飛びぬけて利益を得る、と言う事は許されないし、基本的な査定は客のそれである時?客も「反論出来なければ支払わねばならない」が。人類の誰も否定出来ないなら?「その額が結論で天文学的に成っていく」感覚が、少しある。結局、この作品と結果を土台にして「”雅”市場」その辺が構築された、現実も有って、その時、最初の例、それは何とも、認められない。
遊んでる場合か。
ともかく個人で市販品に匹敵するモノを創られると、その分市場というか、雇用可能な人数が減る。そう言う事は、しない方が良い。
結果、現状は妥当前後の曖昧さで、微妙な安定に陥っている訳だが。
ともかく、「美鶴さんの長い妄想」そこに込めた願いそれは、神様に否定されている。
それもまた、一つの現実として。
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