あげちうのブロマガ

水滴の蒸発を説明する数万行の何か

テロリズムと、レジスタンス活動の境目、ではある。

現状が問題を抱えて停滞している、それは一つの現実ではある訳だが。

 

「自由意思は護らねば成らない」は、何処までか?と言うのは考える話。極論すれば他者を害する事が出来ない、様に人間の行動を制限してしまう、事が出来ない訳じゃない。ただその具体例として「動物の発情期」と言うのは有って、その時期が来ないと、その動物は交尾をする意識に成らない、訳だが”そう言う感じ”に、人間も「安全な状態」を保つ様に”余計”な部分を切るかするべきか?では、ある。

そこに良いイメージは、無さすぎるくらいに、無い。

最近、自分は「王の権威では無くなった」感はある。太平洋戦争後、アインシュタインも王の権威を喪失し、それは昭和天皇へ移っている。状況の変化、「現実の変化」で、それは別の個性へ移っていく、というのは発生する訳で、そう言う事が最近、何らかの原因で起こった、というのは思う。結果?敵対する「個性」を抑止する?事が出来なくなっている、感覚は少し重い。抑止する、というか、否定、「それは間違っている」私の考えと違う、それを強硬出来なくなった、というか。明確かに「差異」が不透明に、要するに「普通の人」になった訳だ、「私の言う事は絶対に正しい!」は、不意にもう言えない。

ただ、今までにしろ否定してた”だけ”で、相手の反発が消えた訳じゃない。結果、存在し続ける問題を前に最終的には「大賀さん」紛争解決機構そこに、判断を依存する様になる訳だがこの結果、「誰でも王の権威に成れる」大賀さん、紛争解決機構に逆らわないなら?という状態が、実は不意に発生していた、訳だけども。

この変化はその後、「中華思想の皇帝」を「王の権威」にする、という変化を起こした、のかもしれない。

今まで「王の権威」という存在がある事で、発生していた問題だ。遠距離では「現人神が居る」事で、末端の現状に理不尽が発生し、その結果で「中華思想の皇帝」と呼ぶ、王の権威に対抗する存在、”それ”が発生し、利益の発生を破壊していた、という経緯がある。この存在が最終的には社会悪としてのラスボスだった、訳だがしかし、それは「王の権威」が、その権利を捨てないと相手を否定できない、という状況はあって。「大賀さん」その存在はその状態を創る事になった、訳だがでも。遠距離の悪は、無理解のそれでもある、今まで出来た事は、今も出来ると、同じ事を繰り返す感覚はありそして、「大賀さん」そのネーミングセンスの問題もあってか、紛争解決機構の決定を、「誰か個人の意向」そう言う感覚でしか”これ”は見れていない。

この状態では、「反発する理由」それは残り続けてしまう訳だ。

いずれは、みたいな悠長さを、ちょっと耐え難い感覚はある、今のウクライナ危機は何時まで続くのか?だ。「王の権威」それへ対抗する!という意識は、想像以上に重厚に残る訳で、事態は可及的速やかに対処が求められている、それは言える話。この時実は、禁断の選択、それが一つある、と言えば有るのでは。

人間の自由意思に、制限を設けてしまったらどうか。

意味としては違う、かもしれない。ともかく確かに絵を想像すると否定し難い。「王の権威」それは大賀さんに逆らわない結果、存在が消えている。現状、人類の敵、自由を喪失する物、それは「大賀さん」ではある、それで勝てないと通らない。”それ”に対して対抗する!意識が「中華思想の皇帝」だとする時、しかし?確か今、「大賀さんに逆らわないなら誰でも王の権威と言って不足は無い」という話だった、筈で。もちろん?「中華思想の皇帝」は”それ”に逆らうからこそ脅威となるのだが。”これ”はもう、特例として「非人道的な処理」それを肯定しちゃった方が良いのでは有るまいか。

具体的に言うと、要するに「洗脳」というそれではある。

内容はちょっと特異、だ。「貴方は王の権威という”特別”だ」もちろんその先にある「それでも大賀さんには逆らえない」という現実を前に、それを認めるというか、或いは「それに相応しい様にその意識を改造する」訳で。「中華思想の皇帝」だった存在は、その結果、「王の権威」となり、状況を理解する事が出来る様になる?ただその判断は、少し前の自分に近い、そんな様ではある訳だが。

ともかくその状態なら、「目の前にいる家族を殴っても何の解決にも成らない」それは、理解出来る。

「何か問題が?」ではある。要するに今までなら、「何をするか解らない」真実味を伴う雰囲気に何だか威圧されていた、”そう言うの”が消える、訳だ。ただそれは何故か?というと「頭の中を書き換えられたから」という、そんな微妙な事態の結果な訳だが。ともかくそう変化してしまうと?以前に”それ”をコントロールして私腹を肥やそうとしてた「朝鮮王朝の末裔」そう言うのもパワーを失ってしまう。彼らは「王の権威」に従う事は出来ない、”それ”から排斥されたからこその反社会性である。”それ”を王として傅く事が出来ない時、彼らは存在する根拠を失ってしまう。

「犯罪者でさえある存在の、頭の中を書き換えた」というそれ以外は、主観ではほぼ問題が無くなる事には?

タブーの先にある、一つの解決ではある、のかもしれない。「大賀さん」に勝てれば通る、そこに対して「王の権威」が台頭し、しかし或いは、何処かの反発する人々によって負けていく。シンプルな絵ではある、相手が言うそれは間違っては居ないが、ともかく多数決か今の現実には不適当だと、いつかは否定される、王の権威のそれであっても、だ。その時「王の権威」それは同時に「中華思想の皇帝」にもなるが、それはあの「アイドル」の歌の様に、自分で自分を殺しに行く選択に成ってしまう事に、最後は気づく訳だが。

「中華思想の皇帝は最後、”神”に罪人として改造され、王の権威となる」

確かに、王の権威はそれまでにしろ、社会から排斥され続けたのだ、そして”それ”を改善する為に、その才覚を武器にするようになるわけだが。中華思想の皇帝が求めていたのも”それ”だったとしたら、それはそれとして一つの願いの具現ではある、問題は、無い。

無い?

それはもう、解らない。

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