東京の田舎に住んでいる我が家の周りには、格好の癒しスポットがあります。
徒歩1分の地に源泉かけ流しの温泉施設「季の彩(ときのいろどり)」があり、そこにレストランも整体も理髪店もあり、さらに岩盤浴のコーナーの脇には、無料で使える広いお休み処があり、読み切れないほどのコミック本が積んであります。リクライニング・シートに寝ころびながら、何時間でも好きなコミックを読みふけることができます。
我が家の家族はコミック・ファン、ラムパパは昔「ガロ」(ご存知ですか?漫画雑誌の金字塔のような雑誌です)をその時点までの全巻揃えていて、当時住んでいた笹塚の2DKの部屋の壁面いっぱいを本棚にして、その本棚の上にずらりとガロ誌を並べていました。
私は掃除がしにくくて、しかもどちらかというとまだ日本漫画の素晴らしさに気づいていなかったせいか、偏見があったのか、活字文化圏の人間として、自分の蔵書の上に「ガロ」があるという風景に違和感があり、邪魔物扱いしていました。
ハードカバーの箱入り書籍の背表紙の並ぶ本棚の上に「ガロ」の派手な背表紙がズラッと並んでいる風景にどうしてもなじめなかったのです。いわば、単行本文化と雑誌文化の小さな闘いですね。
「ガロ」ファンの皆様、ごめんなさい。私も私なりに「ガロ」を読んでいて、つげ義春の「ねじ式」などには魅力を感じていたのですが、やはり学術書出版社育ち、箱入り本の美しさから見ると、雑誌は・・・という偏見がありました。その後の雑誌文化の繚乱期を迎えたときには、きちんと認識を改めていたのですが、こと我が家の美的観点からは、あの邪魔な「ガロ」をなんとかしたいという気持ちに負けてしまいました。
ダンナは泣く泣く「ガロ」を手放し、その後、「ガロ」を集めることは諦めてしまいました。
手放す一番のきっかけは、長女の誕生でした。当時住んでいたのは12階建ての最上階、本棚の上に載っているたくさんの雑誌が、地震がもし起きて寝ている赤ちゃんの上に落ちてきたらどうするの?という殺し文句でした。
ごめんなさい、親代々のコレクター魂に生きているダンナさん、たぶんこの点に関しては一生私を許してはくれないことと覚悟しています。
時々、思い出したように「ガロが全巻揃っていたんだよな」とつぶやいています。
先日、ニュースで手塚治虫や石ノ森章太郎が暮らしていたトキワ荘の事が取り上げられていました。豊島区立トキワ荘マンガミュージアムという施設が7月7日(土)に開館するにあたり、どなたか篤志の方から昭和22年から30年にかけて刊行されていた「漫画少年」という雑誌が寄贈されたということです。手塚治虫の「ジャングル大帝」が連載されていた大変貴重な雑誌だとのことでした。いろいろな漫画家がかつて暮らしていた部屋などが再現され、その一角にそうした貴重な雑誌の展示コーナーも併設されるそうです。
今、もしあの時の「ガロ」を持っていたら、きっと何かの役に立ったのでしょうね。本当にもったいないことをしてしまいました。
ラムパパには、せめて温泉にでもゆっくりつかって、リクライニング・チェアでコミック本でも読みながら昼寝をしてもらい、私への恨みつらみを水にながしてもらいたいと思ってます。
コミック本好きな我が家の今の本棚です。「なにがあっても、これらのコミック本だけは捨てないで!」という家族のたっての希望で、断捨離を免れて今も残っているコミック本たちです。
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