先週の土曜日に、たまたま時間ができ、お隣の府中市の郷土の森博物館公園に行ってきました。
蓮の花を見たいと思って行ったのですが、もう遅かったです。でも少し咲き残っていた花もあり、盛りの時はさぞかし綺麗だっただろうなと想像していました。
府中の郷土の森公園にはいろいろな種類の蓮があり、詳しい説明の看板も立っていました。
見ごろは七月中旬から八月中旬だそうですので、来年はもっと早く見に来ることにいたしましょう。
暑い日差しの日でしたが、水辺を渡ってくる風は気持ちよく、コロナでずっと蟄居している身にはなによりの風景でした。
蓮池は公園内ではなく、修景池という無料で入れる場所でしたので、早起きして蓮だけを見に来るのもいいでしょう。
郷土の森博物館公園には、自然の草木だけでなくいろいろな施設があります。プラネタリウムやいろいろな建物を移築したところもあり、ぐるりと回ってみるだけでもだいぶかかります。
なかに防人の歌を刻んだ石碑がありました。
「赤駒を 山野に放し 捕りかにて
多摩の横山 徒歩ゆか遺(や)らむ」
万葉集の最後の巻20巻「防人歌 武蔵国」12首の中の一首だそうです。
防人に出かける夫に、せめて馬を持たせてやりたい。しかし大事な赤駒は放し飼い中だし、あまりにも急な招集だから捕まえている間もない。もう二度と会えないかもしれないのに、あの多摩の横山を越えて、難波までの遠い苦労の路を歩いて行かせてしまうのだろうか・・・
8世紀の中頃、東国の21歳から60歳までの男は3年間の徴兵の義務があり、九州や壱岐、対馬の防備にあたらされたとのことです。
大陸から攻められた時の国防のための兵役だったのですが、東国から難波津までは徒歩で行き、そこからは船に乗り九州にわたり、大宰府でどこの場所の防備にあたるか割り振られたとのこと。武蔵の国からはるばると九州まで行き、兵役につかねばならないとは大変な負担だったことでしょう。難波までの旅費や食費は自己負担だったそうで、苦しい旅だったことと思われます。
3年間の兵役が終わっても、そこから自分の武蔵の国まで帰るのは、それぞれの負担や裁量で旅をしたそうで、途中で国に帰り着く前に命をなくす人も少なくなかったとのことです。
送り出す家族はどんなに心配で不安だったことでしょう。この府中の地から遠く九州まで国を守るために旅立つ夫を思う一首でした。
防人の歌碑の裏手には、萩のトンネルがあり、こちらは九月初めではまだまだ早く、少し咲き始めているだけでした。
このトンネルが萩の花で彩られるときに、また来たいと思いました。
この季節に咲き誇っているのは、百日紅(さるすべり)です。
郷土の森公園は、樹木の樹高があり、どの木も堂々としていて、見ているこちらまで気持ちが大きくなります。
自宅から車で10分くらいでこうした楽しみに出会えることができるのは、うれしいかぎりです。
公園内のお茶屋さんで、串団子とアイスクリームを食べ一休みして、お腹も満足して帰りました。
帰路の途中で府中の卸売センターにも寄り、そこで夕飯のお買い物、鮭の半身を購入して、充実した半日でした。ちょっとした大人の遠足でした。
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