今日の一言詩
『よし、よし。よくやった。』
新しい環境でうまくいかないこともあるかもしれません。
でも、その時思う最善のことをしたんです。
否定しないで褒めてあげてくださいね。
自分がうまくいかないとき、上司や部下がうまくいかないこともあるでしょう。
自分も他人もそんなに怒らないであげてください。
よくやった、とその時尽くした最善の努力を認めてあげてくださいね。
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~雑談コーナー~
なんとなく今日の朝、理想の国語の授業について思い浮かべました。
国語のテストは物語などを読んだときに答えを一つに絞られます。
考えを制限されてしまうように感じます。
深読みしてもダメ。浅く読んでもダメ。
著者が何を伝えたいことはさておき、テスト出題者の求めている答えを出さないといけないとされます。
サンジョーの考えですが、読み物を読んで読み取ったことは著者が伝えたいことだろうとなんだろうとそれが正解だと思います。
著者が人に伝える能力が不足していたとしても、正解を書かなければダメなのは誤った回答をした人間ということになります。なんだか考えを制限されてしまうし、ものを読む楽しみがなくなってしまいそうです。
そこで、こんな授業とテストをしてみたらどうだろうか?
国語の授業で求められるもの。それはコミュニケーション能力だったり、人を思いやる心ではないかと勝手に仮説を立ててみました。あくまで仮説です(笑)文章読解力があるということは人の気持ちを読み取る力がある、人の伝えたいことを読み取る力があるというこだと思ったので。
授業はただ会話するだけ。
自分が嫌いな人、苦手な人となるべく会話する。
そうすることで、自分と考えの合わない人の考えを取り入れることができる。何度も話すことで互いに理解しあえるかもしれない。コミュニケーション能力もつくのではないかな~友達も増えそうだし。
テストは文章を書く。
何かテーマを決めてそれについて思ったことを書いてもらう。
普段授業で会話をして自分の気持ちを伝える術を学ぶ。そしてそれを書くだけ。そんなに難しいことではないと思います。
採点基準は内容ではなくて言いたいことが伝わるか伝わらないか。書いた内容に対しての点数ではなくて、伝わりやすいかどうかを採点する。
そして、最後に教師からのコメント。
サンジョーの過去の記憶ですが、ノート提出などをしてコメントが最後に2行でも書いてあると嬉しかったものです。こうしたコメントってちょっと教師との距離が近くなったようで楽しみだったのを覚えています。
コメントを楽しみにテストができるなら、テストを嫌がることがなくなる。授業も話すだけだから楽しいかもしれない。教師との距離も縮まって親しみを感じる。
こうしたらいいかな~
なんて朝ふと思いました。
そうそう簡単にいくものではないと思いますが、朝思いついたいち詩人の戯言です。そんな考えもあるんだな~と思っていただければ嬉しいです。
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