なじみ深い童話の主人公にして、永遠の理想像的存在の
ひとりではないでしょうか。
かくいう 私に、ものごころがついて、最初にあこがれた
ヒーロー、それは、桃太郎でした。
ヨロイ姿に、日本一と書き入れた旗を差し、日の丸を
模した桃のマークのハチマキからのぞく 三日月形 の
左右に分かれた二筋の前髪 …
私があこがれて真似をしたのは、この前髪だったのです。
小学校1年生の運動会、白組の私は、徒競走の出番を
待つ間に何度も何度もトイレに立ち、ハチマキからのぞく
前髪を桃太郎ばりにセットしなおしたものでした。
でも、風が吹くと髪は舞い上がり、私の思い描く髪型は
一瞬にして鳥の巣のようになってしまうのです。
そして、また鏡のあるトイレへと私は駆け込むのでした。
母は、私が緊張してトイレが近いのだと思っていたようで
「この子は、早や生まれで小さいから心配なのよ」 などと、
近所のおばさんたちに話しかけている。
終日、髪型に神経を尖らせ、異性の目を意識はじめた
我が子の成長には、親は案外と気づかないものなのかも
しれませんネ。
こうして秋の運動会は終わり、学芸会がやってきた。
私の班の演目は、「桃太郎の鬼退治」 当然、私は自分が
主役の桃太郎をやるつもりでいます。
「桃太郎の役をやりたい人」 と言う先生の問い掛けに
「ハーイ」 と、真っ先に手をあげましたが …
なんだか重たい空気が流れます。
「ほかに誰かいませんか」 先生はクラス中を見回して
から、ちょっと困ったような顔をして …
「1号 くんもいいけど、あなたにはもっとピッタリの役が
あるの。 先生は〇〇くんがいいと思うけど、どうですか」
「いいで~す」 先生の鶴の一声で、主役は〇〇くんに
決まってしまいました。
人生最初の挫折です。
当時、私はクラスで一番、二番を争っていました。
と言っても成績ではありません。 争っていたのは背の低さ
、私はクラスで一、二を争うチビだったのです。
結局、私の役はキジに決まりました。
バック・コーラス ♪ が流れてきます。
「も~もたろさん、ももたろさん お腰につけたキビダンゴ
ひとつわたしにくださいな」
歌声に合わせて舞台のそでから、「ケーン、ケーン」 と
桃太郎に近づき、私は家来 にしてもらいました。
チョッピリくやしいけど、チビの桃太郎じゃ、サマにならない
し、仕方ないか と思える出来事でした。
★☆ 「エイドクルー フィールドサービス 講座」 ☆★
No.15 『桃太郎と家来たち』 の冒頭文より抜粋 …
さて、
最近では、この桃太郎をはじめ、昔話や童話の世界にも、
地球温暖化のような異変があるようなのです。
異変というよりも、改変、改悪、改竄(かいざん)でしょう!
『桃太郎』 で言えば、お供をするイヌ、サル、キジたちは、
“お供”や“家来”では差別が生まれるので、“仲間”だと
いう扱いになるのだそうです。
なんでも子供たちに上下関係を意識させてはいけないと
いう配慮なのだそうですが、ストーリー的には仲間が協力を
して一緒に鬼を退治するというシチュエーション作りが肝要
で、あくまでも、公平に平等に、そして穏便に済ます処置が
講じられるのです。
現在放送中のダイハツ タントのテレビCM「ももたろう」篇
でのひとこま。
愛する息子が主役を務めるお遊戯会での話です。
ユースケパパも栄子ママも、気合十分というか、はっきり
言って張り切りすぎ … (まァ、仕方ないか、息子が主役じゃ…)
コテコテの描き眉毛にギンギラのメイクで、いざ本番。
幕が開くと全員が同じメイクに同じ格好の子供が舞台上に
ズラリと勢ぞろい … のオチ。
「えっ! 全員主役 !?」 と絶句するというヤツですネ。
つまり、モンスター・ペアレントに対応する立場や誤った
平等主義に固執する輩が、こうしたナンセンス極まりない
事態にもかかわらず何の疑問も抱かずにいるわけです。
まァ、そのことを逆手にとって皮肉ってみたのが タントの
CMなわけですネ。
そして、さらに、限りなく全員が対等な立場で物語が
進行するようにと、他にもいろいろな工夫が施されるそう
なのです。
たとえば、仲間になるから、あるいは、仲間になって
あげるから 「腰につけたキビダンゴ、ひとつ頂戴!」 と
でも言うようなセリフになるのでしょうか
鬼ヶ島での攻防戦では、鬼の目を突くキジの勇姿や
活躍はカットされる。
子供たちが真似をしたら危ないからという理由らしい?
咬みつくイヌ や引っかくサル は、どうやって戦えば
いいのでしょう。
相手は、金棒を振りまわす赤鬼や青鬼たちです!
目を突くキジの嘴(くちばし)よりも、桃太郎の刀の方が
ずっと危険だし、どうやって決着をつけるのでしょう。
ジャンケンやゲームで勝敗を決めるのでしょうか
それとも、円卓を囲んでの話し合いのなかで双方の友好
を約束し条約を締結する。
そして、その土産として金銀財宝を手にするのでしょうか。
なんでも、聞くところによると、手にした財宝は、鬼たちが
奪い取った先の元々の持ち主に返還してまわって、最後の
最後に、お殿様からご褒美をいただいて、めでたしめでたし
で終わるのだそうです。
桃太郎たちが、鬼から回収した財宝を仲間うちで山分け
したら、彼らも盗賊と同じになるとの判断なのでしょうか?
いずれにしても、あまりに過保護で過干渉なうえに無神経
で 「木を見て森を見ない」 どころか、木についた虫を駆除
しようとして、木そのものを腐らせているようだと言わざるを
得ません。
運動会の徒競走では、お手々つないで、みんないっしょに
揃ってのゴールイン。 おちこぼれを出さないための簡素化
したゆとりのカリキュラムも、改竄される昔話と同じです。
子供への影響を過剰に懸念するあまりに、語り継がれた
物語の内容をメチャクチャにするだけでなく、本来的な主旨
や本質をないがしろにする行為です。
クマを投げ飛ばす金太郎も、カメを助けたあとに竜宮城で
遊び呆ける浦島太郎も、無理難題を吹っかけるかぐや姫も、
魔法のような打ち出の小槌の一寸法師も、純粋に言ったら
問題だらけの悪影響丸出しの内容を含んでいます。
金太郎は乱暴者で、浦島太郎は放蕩者だし、かぐや姫は
嘘つきの詐欺師だし、一寸法師もズルイ奴です。
だけど、悪の栄えるためしはなく、結局は、善行によって
のみハッピーエンドを迎えるという勧善懲悪のベタベタ物語
が基本なのです。
登場人物たちの俗っぽさや毒っぽさや欲望の塊のような
姿のなかに生きることの本質と深い諌めや戒めが隠されて
いるのです。
勧善懲悪でもなく、かと言って道徳教育とも言い難いような
中途半端で、足の1本欠けたイスのような、なんとも座り心地
の悪い昨今の昔話とは大違いだと思うのです。
もしも …
遠いむかしの学芸会の演目が、『桃太郎の鬼退治』 では
なく、『一寸法師とお姫様』 だったら、いくらチビの私でも
ひょっとしたら、主役を張っていたかもしれないと思うのです。
そして、お姫様は、きっと、あの娘 だと …
こころ は、今や、過去の世界を浮遊中 …
タイム・トラベル です!
おっと、間違えて10年後にスリップする
― 10年後 ―
小学校に上がったばかりの孫の学芸会の幕が開く …
… えっ! 全員主役 !?
お碗に乗った一寸法師 と お姫様 が
舞台 にズラ~ッ と ならんでる !!
コメント一覧
消えた一寸法師
てんしちゃん
バカボンのパパのパパ
眠れる森のビショビショ
透明人間1号
白雪姫
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