透明人間たちのひとりごと

有る時代と無い時代

 ときどき思うことなのですが、ある物がアル時代とナイ時代
とでは生活の段取りや様式がガラッと違ってきます。

 その物が劇的に世の中を変えてしまうような発明品の場合
には、なおさらの如くに顕著な相違が見られます。

 
 ハァ、テレビもねえ、ラジオもねえ、オラこんな村いやだァ♪
東京さ、出る~だァsymbol7runsymbol5  吉幾三じゃないけれど、

 そんな 子供時代 だった。
 (ラジオはあったけど、テレビも電話もなかった)


 “なかった”というのは正確ではない。 テレビは高級品で
あって、一般家庭には普及していなかっただけのことです。

 家庭にテレビがある時代となかった時代 …、 大宅壮一を
して、「一億総白痴化」と言わしめた張本人がテレビだった。

 かつて、喧(かまびす)しく言われたテレビの影響力や功罪
についての論議も、最近、とんと耳にしないのは、パソコンや
インターネット、TVゲームに携帯電話、カー・ナビゲーション
などの新たなテクノロジー進歩スピードに、人と時代が
追いつくのに懸命 で、その扱いに関する法律や使い方に
係わる規制も、随分と立ち遅れたものになっているようです。

 特に広告媒体としてのテレビの地位は、インターネット
首位の座を抜かれて以来、その影響力にも翳(かげ)り
が見え始めているようで、栄光もすでに過去のものとの思い
とともに、隔世の感を禁じえません。

 もっとも、最近では、活字離れ やカタカナ語の氾濫、
TVゲームの悪影響に、ネット社会の問題や携帯のマナー
違反などに、その矛先が向かっているようですが … 。
 
 いつの時代でも、過去の時代になかった便利な道具には、
何かと文句をつけてみたくなるのが、人情というものなので
しょうかquestion2

 やたらと問題点を見つけてはヤリ玉に挙げるようです。

 携帯電話は、いつでもどこでも連絡がとれて便利だけど、
出物、腫れ物と一緒で、ところ構わずに鳴り出す着信音は
迷惑千万だ。 とか、 カーナビは、便利に違いないが道を
覚える努力をしなくなる。 とか…

 言い換えれば、便利 とは、楽をする、手を抜く、横着を
決め込む、などの行為と同義であって、それまでの準備
段取りを省略しても目的が達せられるということです。

 つまり、そういう手順ノウハウを失うかわりに便利さや
手軽さを手に入れるわけで バーター 的な関係にある
のです。

 呼び出し電話の時代
 
 え~、呼び出し電話って何 eq そう言われそうですが、

 電話が、まだ、会社や商売屋さんや金持ちでなければ
持てなかったころ、緊急時の連絡先になってもらっていた
時代がありました。

 以前に、「台風一過」の記事にも書いたように、我家では
父親が、市の役人で緊急時には、市役所に急行する関係
から、金持ちではなかったけど、電話は入っていたのです。

 むかしの生徒名簿を見ると、(呼) 〇〇〇〇番 となって
いる家庭が、ほとんど(8~9割)で、呼び出し電話 が鳴る
たびに、近所まで、走って知らせてまわるのです。

 いちいち外に出て知らせてまわるのは、さぞや大変だった
のだろうと思われがちですが、さほど面倒なこととは感じて
いなかったように記憶しています。

 あたりまえだったのですね。
 (まだ、まだ、助け合いの時代だったのです)
 

 そんな時代から10年もすると、大抵の家には電話が入る
ようになりますが、単身で学生生活を送る身分となった段階
では、さすがに電話は持てませんでした。

 そんなひとり暮らしをしている頃のオリジナルです。


     夢のなかまでつき合えないョ
     1977年9月26日   作詞・作曲 透明人間1号  
 

 朝、 早く 起こされて     電話口 まで 出てみれば 
 君は なんだか あれている

 夢でキッスを せがんだら  舌ベロ 出して笑ってたって   
 そんなの俺のせいじゃない  いいかげんに してくれョ

 急用ですって 大家さん  わざわざ 呼びに来たんだぜ

 夢の中までつき合えないョ もちろん 愛しているけどネ
 夢の中までつき合えないョ モシモシそれじゃ切るからネ 


 朝、 早く ドアの音     寝ぼけまなこで出てみれば
 君は なんだか 泣いている

 夢で浮気を したらしく  口紅 つけて にやけてたって
 そんなの俺のせいじゃない  いいかげんに してくれョ

 眠い眼こすってあくびして それでも 君が  かわいくて

 夢の中までつき合えないョ もちろん 愛しているけどネ
 夢の中までつき合えないョ コーヒー沸かしてくるからネ


 夢の中までつき合えないョ もちろん 愛しているけどネ


 symbol2 作曲をしたのは、1977年ですが、詩のモチーフ は、
冬季オリンピックのあった1972年ごろの札幌での出来事
(学生時代)です。


 いまなら、携帯メールで済んじゃう話ですが…、

 当時は、待ち合わせひとつにしても大変だったのです。

 渋谷ハチ公の前だとか、八重洲口銀の鈴
だとか、定番の場所もありましたが、広くて大きな喫茶店
1階2階などにフロアーが分かれている店などでは、
約束した時間通りに行ったとしても、確実に会えるという
保証は何もなかったのです。

 左右の端っこの席や奥まった席などに座ってしまうと、
同じ店内にいるのに、いつまでも2人は会えないままに、
何度も時計を見ながら待ちつづける破目になるのです。

 そこで、そんな時 のために、2人 だけにわかる
符丁をつくりました。

 彼女が痺れを切らした時には、「加山雄三さま、さま
からお電話が入っておりますので電話口までお越し下さい」
などと 店内放送をしてもらいます。

 反対に彼女を探す場合には、「星由里子さま、加山さま
よりお電話が … 」 という風になります。

 そうして

 そしらぬ顔して、レジカウンターのあたりで、ウインク
相成るのです。(映画 若大将シリーズのヒーローとヒロインです)

 今と比べれば、なんとも不自由で、まどろっこしいかぎりの
出来事ですが、携帯やメールでの確実な逢瀬よりも、ロマン
があるし、ドラマチックだと思いませんかeq

 本日の 「身近にあるちょっとした幸せ」 は、

 そんな小さな想い出をつくることの出来た時代に生まれて
きたことへの感謝と、便利な道具のある時代となかった時代
の両方の時代を味わえる幸せを挙げたいと思います。

 
 ちょっぴりと思い出に浸ってしまいましたが、すれ違い
あたりまえの時代で会える保証がないだけに、会えたときの
嬉しさは格別だったのです。 

 恋愛にしろ、人との付き合いに方しろ、今よりも 濃密
もっともっと深かったように感じています。

 そういう意味でも端境期(はざかいき)を知ることは大きい
と考えます。

 世の中が便利になって、快適になった分だけ、便利さ
に依存して生きています。

 同時に、忘れてしまったり、失くしてしまったものや事柄の
なかには大切なものがたくさんあったような気がします。


 現在ならボタンひとつで済んでしまうような…

 彼女への電話にしても、一大決心気合が必要で
、いまよりも、ず~っと 勇気のいる行為だったし、
ひとつの大きな壁 を突破するという困難をともなう
重大事でもあったのです。

 次回は、そのあたりの話をしたいと考えています。

 
 お父さん!

 そこんとこ、なにぶん、ヨロシクお願いしますnose4ase2

コメント一覧

孤独な前期高齢者
便利になればなるほど一部の者たちに生殺与奪の力を握られ、自由から遠ざけられていくように感じる。

オール電化とやらで、電気に依存してると、いざ停電ともなると何もできないし、車も自動化が進んで、故障となるともう手も足も出ない。

その昔、昭和の時代に、「明治は遠くなりにけり」とよく言っていたが、平成から令和となって、嗚呼、あの「輝いていた昭和はますます遠くなりにけり」である。
大昔の夢見る乙女
ある出来事を思い出して胸がキューンとしてきました。
透明人間1号
モノでも情報でも、なんでも素早く簡単に手に入る時代をいい時代とみるか否か!

自分自身でも自覚することですが、ひとつだけ確かなことは、我慢がきかなくなっているということです。

おいら氏はどうでしょうか?

随分と以前の記事へのレスポンスに感激も一入ですが、こういうのは、GOOD ですね!
おいら
約束の場所で待ってても彼女は来ない、場所を間違えたか時間を間違えたか、不安に成りながら探し回っているとオイラを探していた彼女とバッタリ!そのときの喜びは一入だったわ。

現代っ子はそんな喜びを味わうことが出来ないと思うとちーと気の毒ですな。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ひとりごと」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事