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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 美意識

 心の動揺や喜怒哀楽などの感情の変化を
敏感に表すものと言えば顔の表情や身体の
動き(主に手の仕草)でしょう。

 ダ・ヴィンチの素描のなかで目立って多い
のがこの両者で、特に目を引くのは「顔」
の造作の数々を研究するかのように集めた
フェイス・コレクションです。


    顔の素描(コレクションの一部)

 美しい顔はもちろん、男性や女性に大人
や子どもなど性別長幼の区別なく、歪んだ
顔に、しゃくれたアゴ、長く伸びた天狗鼻に
異常に折れ曲がった鉤鼻や急角度に下を
向くワシ鼻など多種多様な収集ぶりです。


    『五つのグロテスクな頭部』

 美醜の点で言えば、むしろ醜いとされる
カテゴリーに分類されるようなユニークな
顔立ちに随分とご執心のようで、


     グロテスクな顔の素描

 今で言うところの変顔フェチというか、
 
  

 とにかくマニアックなわけですnose4ase2
 


 街や人混みに出る際には、常にスケッチ
用具を持ち歩いていたようで ・・・



 気に入ったを見つけると、どこまでも
追いかけて行っては、素描モデル
を頼んだようで、その執着ぶりが、当時
から街のになっていたようです

 もちろん、

 そのすべてが快諾してくれたわけでは
なく、むしろ断られるケースの方が圧倒的
に多いのは当然で、そんな時は頭の中で
そのイメージを膨らませながら急いで筆を
走らせたようで、
 


 このように特徴をことさら大袈裟に誇張
した素描の裏にはそうした事情の一端が
垣間見られるようです。

   

 ダ・ヴィンチの嗜好を知るうえで重要
ポイントでもありますので、見たくない
と思われる方もいらっしゃるかもしれません
が、「変顔コレクション」一部
を是非にもご覧ください。

  

 

  

 確かに、こういう相貌をした人物もいる
だろうとは思われますが ・・・

 





 これ以上はになるというリアリティ
イメージの境界ギリギリのところまで、

 

   

 

 つまり、

 「演劇的」演出効果を狙っての
デフォルメだと推察しますが、



  



 宮崎駿のアニメにたびたび登場する魔女
の風貌をしたごっつい感じの婆さんや

 

 手塚治虫の漫画などに出て来るような
ちょい悪オヤジ風のペテン師まがいの男、

  



 あるいは、映画「スターウォーズ」
でみたような多種多様な宇宙人たちは、


  ダ・ヴィンチによる架空の生き物の素描


 ダヴィンチの描いたユニークな素描
いずれかにインスパイアされたものである
ことは疑う余地もないほどですnose7


  『スター・ウォーズ』のチューバッカ

 「顔のコレクション」はまだまだ
ほんの序の口ですが、キリがないので、
もうこれくらいにしておきましょう


 暫(しば)しのご辛抱とお付き合いのほど
痛み入るとともに感謝申し上げます。


 さて

 これだけを見ると、

 ダ・ヴィンチの美的センスはいったい
どうなっているのだろうかとか、

 彼の「美意識」とはどういうものだろう
という疑問と興味が湧いてきます。

 たとえば、

 ダ・ヴィンチは「美は善ではない」
という意味の言葉を残しています。

 「美と醜とが並ぶと、互いに、
     より力強く見える」
とも

 「美しいものと醜いものはともに
あると、互いに引き立て合う」
とも

 そして、

 「顔には人間の性格、人間の癖
 や性質を部分的に示す特徴が
 見られるというのは事実である」


 として次のような素描を残しています。

   
     『ひげを剃った男の頭部』

 この『ひげを剃った男の頭部』
題されたデッサンには、どこかライオン的な
特徴が感じられます。

   

 口をへの字に結んで威嚇するかのように
鋭い視線でこちらを見つめていますが、

  

 右下にそれとなくライオンのラフ・スケッチ
が添えられていて、ダ・ヴィンチの言いたい
(ライオンの如き激しい気性の人物である)
ことが伝わってくる素描ですase2

 思うに、ダ・ヴィンチが変顔フェチになった
わけは、趣味趣向などの嗜好的傾向という
よりも純粋に芸術的志向から来るもので、

 ユニークな「顔のコレクション」



 「カンブリア大爆発」的な多種
多様な生物の出現に匹敵する人物描写
のための実験的かつ実用的な顔面上の
パーツ(部品)の収集がその主たる目的
だったのでしょうpeace

 そこで、もしも、

 「想像の異星人を実際に存在するよう
に見せたければ、たとえばドラコニアン
やレプティリアンを取り上げてみると ・・・


   ドラコニアン 出典:2seesaa.net

 頭はマスチフかセッター、目はネコ、耳は
ヤマアラシ、鼻はグレーハウンド、ライオン
の眉毛に、老いた雄鳥の額、ミズガメの首
を使うとよい」


  レプティリアン 出典:jcnews.tokyo

 『想像上の生き物を、
 本物のように作るために』


 というダ・ヴィンチの「短いレクチャー本」
の一節を今風にアレンジしても、そのまま
使えそうでビックリしてしまいますが ・・・

 exclamation マスチフやセッターなどについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 脱真実』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/497.html

 を参照してください。

  俗に、

 「美人は三日で飽きるが、
 醜女
(ブス)は三日で慣れる」

 とも言いますが、

 個人的には美人に飽きがくることはなく、
醜女(ブス)はいつまでたっても慣れること
はないように思えるのですが ・・・

 おそらくは、

 ダ・ヴィンチにとってもユニークな変顔
は慣れるどころか、毎回、毎回が常に新鮮
でとびっきりに「美味しい」ご馳走
に見えて仕方なかったのでしょうね

  

 ところで、

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

 という成句(ことわざ)があります。 

 「美しさ」「醜さ」などについても
それは当てはまるのでしょうか

 「美人過ぎる〇〇」というと
「超」以上に「〇〇にしては」
の意味合いの方がより強いようですが、

 果たしてどうなのでしょう

 「美しさ」を別の判断基準で言えば、

 ありきたりではない、際立っているという
希少性にこそ、その本来の価値がある
のかもしれませんが、

 「美」とはそもそも何でしょう

 一般に人は何を美しいと思うかと言えば
、形の整った容姿や容貌であったり、自然
が造り出す景観や楽器の音色や詩(うた)
の調べ、絵画や彫刻などの芸術、数学者
には公式や方程式が美しいそうですが・・・

 簡単に分類すると、

 自然美 自然の景観や草花の色かたち
 芸術美 絵画、彫刻、音楽、詩歌など
 造形美 建築構造物(寺院や宮殿など)
 機能美 陶磁器、ガラス細工、彫金など
 哲学美 精神的かつ内面的な美学 ・・・

 こんな感じでしょうか

 この中では「哲学美」だけがちょっと
異質ですが、

 ダ・ヴィンチは自然界のフラクタルがもつ
幾何学的な設計図に「美」を見い出す



 タイプで、理想的「美」は自然
の中にしかないと考えていました。

 そして、もうひとつには ・・・

 人間が内面に秘めている精神的
崇高なる「美」です。

 「美しい」または「美しいこと」
「醜い」または「醜いこと」との間に
大きな隔たりがあることは明々白々で、

 「美・醜」とはあくまでも視覚的なもの
であって、「善」「真」なるものとは
自ずと違うものです。

 「美しいこと」「醜いこと」は、
内面から生じるものとそれが増幅されて
伝播し、形成されるものとがありますが、

 前者は無形にして精神的かつ倫理的で
哲学的領域に属し、後者はそれを
有形化(実体化)した事象として捉え
られる出来事や事柄です。

 従って、

 「美」とは、「善」とも「真」とも
無関係に知覚される一形態に過ぎず
有形有象にして、実に曖昧であやふやな
存在なのです。

 理想「美」は自然界にしかない
としたダ・ヴィンチですが、



 彼にとってのあやふやで曖昧な「美」
とは、中庸とは違う「曖昧さ」のなか
に見い出せる「 美しさ」の極致である
妖しげな中性的「美」なのです。

 

 詳しくは、

 『ダ・ヴィンチの罠 中性美』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/490.html

 を参照してください。

 おそらくは、

 そこに「美しい」と言える状態
があると信じていたものと思われますが、

 それが、

 『最後の晩餐』での中性的な風貌
をした使徒ヨハネであり、

 

 『聖アンナと聖母子』の聖アンナ

    

 と『モナ・リザ』微笑みであり、

    

 ダ・ヴィンチの最後作品となった

    

 『洗礼者聖ヨハネ』の妖しげな
微笑みなのです。

 もう、お気づきですね。

 壁画『最後の晩餐』の謎の人物
とダ・ヴィンチが最期まで手もとに置いて
いた3枚油彩画のなかで演出
される謎めいた「微笑み」 ・・・


 ダ・ヴィンチが手放さなかった3枚の油彩画

 さて、そんなこんなで、



 ダ・ヴィンチの「美意識」について、
そこそこ理解をしてもらったところで、

  

 それでは、いよいよ、



 次回より壁画時空劇:『最後の晩餐』
の観劇と参りましょう。

  

 symbol2 RENAISSANCE STORY symbol2

       【L'Ultima Cene】
   脚本・演出・助演 レオナルド・ダ・ヴィンチ



        NHKの復元CG画像


 「おっ、何じゃこりゃ !!

 観客のひとりかぁ ・・・


 『醜女の肖像』 クエンティン・マサイス画(1513年頃)

 それにしても、

 「『醜女の肖像』とはよくもまあ
     名付けたものよ」


   

  「わしゃ三日も持たん降参じゃ」

  「でも、この顔と変な髪型、
     どっかで見たような」


 … to be continue !!

 じゃ~ん、アタシだよぉ(志村けんの婆さん風に)


  『醜い頭部』Grotesque.Head の素描
    レオナルド・ダ・ヴィンチ



 クエンティン・マサイスが先か



 レオナルド・ダ・ヴィンチが先か



 That is the question

 タマゴとニワトリ並みの難問です。



コメント一覧

小吉
高校生の頃、「なぜ人は花や風景を見て美しいと感じるのか」について考えていて、とりあえず導き出した答えは「自然に帰りたい欲求」なのだということでした。
人間には理性、大脳新皮質があり、動物的なものは抑えられています。
ですがもともと自然界の生き物だったので、自然的なものをみると落ち着く、美しいと感じるようになったのだとわたしは思います。
漫画史の中の「美女」の移り変わりも少しおもしろいです。
蚤仙人
確かに、志村けんの婆さんじゃあ!
ウルトラZ
「美しさ」よりも、「正確さ」。

(・∀・)イイネ!! むらさき納言さん。
やぶにらみ
天才とはよう分からん。
なぜ、美形をコレクションせんのだ!!
江戸川ドイル
うおっ、すげえ大年増のブス。

どっちが先って、クエンティン・マサイスでしょうよ!

ダ・ヴィンチの素描をもとに肖像画を完成させるという
意図がわからないし、これだけの完成度の絵を描く意味
も見えて来ない。

従って、クエンティン・マサイスの方がオリジナルで、
その変顔に惚れ込んだダ・ヴィンチがコレクション
(習作)したものと推理します。

むらさき納言
きっと、ダ・ヴィンチは「美しさ」という観点よりも
物理的な「正確さ」の方を優先したのだと思いますが・・・
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