あまり『聖書』に親しみのない、ごく平均的
な日本人が、以下の聖句を読んで、二者択一
してもらったならば、どちらの人物がこの場合
の彼であると思うでしょうか
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
獄中で首を刎ねられた洗礼者ヨハネ
十字架にかけられたナザレのイエス
結果がどうなるのかはわかりませんが
クリスチャン(キリスト教徒)たちは、
イエス・キリストの初臨(洗礼者ヨハネ
の洗礼によって、膏そそがれて以来、三年半
にわたる宣教活動)を経て、十字架の上での
死による贖(あがな)いにおいて、この預言
が成就したと考えるのが一般的ですが、
イエスの洗礼 www.diwanmsr.com
レオナルド・ダ・ヴィンチは違いました。
少なくともイエスには 神の子、あるいは
「神」に匹敵する存在、さらには彼の意志
からは大きく逸脱し変節したもののイエスを
キリストであると教える「キリスト教」という
世界的宗教が残され、その影響力はあまねく
地域で、はかり知れないものとなっています。
一方で、洗礼者ヨハネと言えば「神」
から遣わされたイエス・キリストのための
先導者としての位置づけはされていても、
『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ
ただの露払いの使いとして、イエスから
「あなたがたによく言っておく。およそ女
から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより
偉大な者は現れなかった。しかし天の国
で最も小さい者でも彼よりは偉大である」
(マタイの福音書11:11)
とまでに言われてしまう存在なのです。
今回は、
『ダ・ヴィンチの罠 受膏者』
の続きをお送りしますが、冒頭の聖句の
直前にある言葉は、
「その六十二週の後」です。
その六十二週の後、
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
つまり、メシア(救世主)が断たれるのは、
その六十二週の後ですから、「その」が何を
指すかが重要な問題です。
出典:www.mustardseedosaka.com
それでは、この文脈の基点はどこかという
と、その前の25節の前半部分に
「それゆえ、エルサレムを建て直せと
いう命令が出てから、メシアなるひとり
の君が来るまで、七週と六十二週ある
ことを知り、かつ悟りなさい」
とあるので、
基点は「エルサレムの再建命令」
が出された年であることがわかります。
そして、そこから、七週と六十二週を経て、
メシアとなるひとりの君が現れるわけです
から、「その」は七週と六十二週とに分けて
いるうちの最初の七週の後ということです。
基点となる年から 69週(7週+62週)の後
にメシアなるひとりの君が現れるのですが
わざわざ、7週と62週とに分けている「その」
には何があったというのでしょうか
それには、聖書における年数の表現方法
(数え方)を知らなければなりません。
たとえば、
「あなたがたは、かの地を探った四十日の
日数にしたがい、その一日を、一年として、
四十年のあいだ、自分の罪を負い ・・・・」
『民数記』14:34
出典:peparmintdiary3.biz
あるいは、
「あなたはその期間を終わったなら、また
右わきを下にして寝て、ユダの家の罰を
負わなければならない。
わたしは、一日を一年として、四十日を
あなたのために定める」
『エゼキエル書』4:6
とあるように、
聖書的には、1日を1年に換算して計算
するのが、正しい解釈のようですね
そこで、1週は7日ですから、1週は7年
であり、7週は49年(7×7)、62週は434年
(62×7)ということになります。
出典:rhccjpn.org
次に、基点の特定ですが、エルサレムの
再建命令は都合4回出されています。
1回目は、BC537年で、
ペルシャのキュロス王による命令です。
2回目は、BC520年で、
ペルシャのダレイオス大王の命令です。
3回目は、BC457年で、
ペルシャのクセルクセス王の命令です。
4回目は、BC444年で、
同クセルクセス王による追加命令です。
これら四つのうちのいずれが基点となる
再建命令なのかについて、
『ダ・ヴィンチの罠 受膏者』
の記事の最後に、
「四択問題」として提示しましたが、
基点となり得る年を特定するには、
「エルサレムを建て直せ」の意味
をどこまでのものとするかで違ってきます。
文字通りであれば、上記の四つのうちの
いずれかの選別は困難ですが、常識的に
考えれば、その命令によって もとどおりの
姿に戻された時のものである、とするのが
最も妥当と言えるでしょう。
有名な「バビロン捕囚」で知られる
エルサレムの崩壊は、神殿や城壁が破壊
され、火が放たれて廃墟となり、民は捕囚
となってバビロンへ引かれ、国家としての
主権も何もかもを失いました。
バビロン捕囚
すなわち、
これを受けての「神」からの啓示が
『ダニエル書9章』であり、その25節
にエルサレムの再建があって、失われた
ものをすべて回復した後に、メシアなる
ひとりの君が現れるわけです。
要は、破壊され廃墟となったエルサレム
が再建され復興された時の命令でしょう。
『エズラ記』によれば、
神殿はダレイオス王の時に復建します。
「この宮はダレイオス王の治世の六年、
アダルの月の三日に完成した」
(エズラ記6:15)
エルサレム神殿の再建 blog.livedoor.jp
しかしながら、神殿が再建されただけで、
街路も堀も 完全には整備されているわけ
ではありませんし、国としての主権の回復
も、まだなされてはいません。
それらが一通りの復興・回復をみるのは、
3回目のクセルクセス王の再建命令後で、
「そして、王の七年の五月に、エズラは
エルサレムに来た」 (エズラ記7:8)
に始まり、それ以降、
「・・・・ すなわち、あなたの神の律法を
知っている者たちを ことごとく裁かせよ。
あなたがたはまた、これを知らない者を
教えよ」 (エズラ記7:25)
以下に記述されているように、
「神の律法を知るすべての者を治める」と
いうことで、国としての主権の回復があった
ことが文面により窺えますので、この3回目
の命令(BC457年)を起点として定めるのが
もっとも正しいものと判断します。
4回目は『ネヘミヤ書』2:1以下にある
ようにネヘミヤが、クセルクセス王に申し
出て、懇願の末に追加された命令であって、
実質的再建は すでにエズラたちによって
その主要部は完工されていたわけですが、
『ネヘミヤ記』 www.youtube.com
この後、ネヘミヤを含め、BC408年まで
36年の間、基点からは実に49年にわたって、
再建が継続されていたということです。
要するに、
これが、七週(49年)と六十二週(434年)と
を分けている理由だと思われますが、
端的に言えば、
わざわざ七週と六十二週とに分けたのは、
クセルクセス王による追加分の再建命令が
出されたからであると、ダ・ヴィンチは推理
したわけです
エルサレムが名実ともに完全に復活する
には 基点年から七週(49年)の時間(とき)
が必要であったということですね
城壁を再建するネヘミヤ ippanseisho.nomaki.jp
こうして、
エルサレムの主要な機能が一応、復興した
「その」六十二週(434年)の後にメシアが
来るわけです。
基点年 3回目の再建命令 BC457年
追加令 主要部 再建完了 BC444年
7週後 残存部の再建終了 BC408年
そして、「その」、
62週後 メシアの出現時期 AD 27年
ちょっと待って、
(計算おかしくね)
BC408年の434年後だと、434-408=26
だから、AD 26年になるのでは
と思った貴方、紀元は0年から始まるわけ
ではなく、紀元元年とは、AD1年ですので、
27年でいいのです。
さて、
AD27年、この年がひとつの鍵を握って
いると申し上げてきましたが、この年は、
洗礼者ヨハネやイエスが 30歳の頃
で、イエスの公生涯のスタートの年です。
それ故に、洗礼者ヨハネから洗礼を
受けるこの有名なシーンとともに、
イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp
メシア預言の成就があったとして人々
に記憶されているわけですが、
これこそが「何かおかしくね」
とダ・ヴィンチは思ったわけです。
「洗礼」を授けているのはイエスでは
なくヨハネの方なのですよ
だ・よ・ね
そうした疑問を鑑賞者に投げかけたのが、
『岩窟の聖母』(ルーブル版)
『岩窟の聖母』ルーブル版であって、
『岩窟の聖母』ロンドン版
カトリック教会の意図によって、間違った
まま人々に伝えられ、誤認させられている
虚構の事実がロンドン版なのです。
洗礼者ヨハネとイエスが入れ替えられている
しかし、
洗礼者ヨハネの登場は、ヨルダン川
でのイエスの洗礼よりも、ずっと以前だ
と言うかもしれませんね
そこで、
洗礼者ヨハネの登場を『福音書』
で確認してみることにしましょう。
「皇帝ティベリウスの治世の第15年、
ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟
フィリポが イトラヤとトラコン地方の
領主、リサニアがアビレネの領主」
「アンナスとカイアファとが大祭司で
あったときに、神の言葉が荒れ野で
ザカリヤの子ヨハネに降った」
「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの
地方一帯に行って、罪の赦しを得さ
せるために 悔い改めの洗礼を宣べ
伝えた」 (ルカの福音書3:1-3)
ルカは洗礼者ヨハネの宣教活動が
いつから始まったのかについて、
「皇帝ティベリウスの治世の第15年」で
あるとハッキリ明示しています。
ティベリウス 在位 AD14年9月18日-AD37年3月16日
皇帝ティベリウスは西暦14年9月18日
(グレゴリオ暦)に帝位に就いているので、
15年と言うと西暦29年ということですが、
これでは、前述したAD27年の2年先に
なってしまいますが
これは以下の事情によるのものです。
当時は西暦という紀年方法(暦)はなく、
ローマ建国(BC753年)を紀元とした暦
だったり、皇帝の治世などを基準に各年
を定めていました。
ルカは皇帝の治世を採用したのですが
問題は西暦の定め方にありました。
6世紀にある神学者(ディオニュシウス)
がイエスの誕生を人類史の中心に据え
ようと考えて、誕生したとされる年の翌年
(ローマ建国から754年目)を 西暦元年と
したわけですが、残念なことに、そこには
誤差があったのです。
『マタイの福音書』ではヘロデ大王
の時代にイエスは生まれたことになって
いますが、ヘロデ大王はローマ紀元750年
に亡くなっていることが、ヨセフスが著した
『ユダヤ古代史』に記載されていますので、
遅くてもBC4年までにイエスは誕生して
いたことになります。
しかも、ヘロデ大王は死ぬ前の半年ほど
の間、エルサレムを離れていたと記されて
いますので、東方の博士たちがエルサレム
で謁見した時にヘロデ大王は元気であった
ことに加え、有名な「幼児虐殺」が事実
であったとすると、イエスの誕生はさらに
前のBC5~6年頃であったことになります。
そうなると、今度は、
「イエスが宣教をはじめられたのは、年、
およそ30歳のときであって、人々の考え
によれば、ヨセフの子であった」
(ルカの福音書3:23)
とする記述に無理が生じてきます。
先のヘロデ大王と東方の博士たちの話
に出てくる「幼児虐殺」とは、
『マタイの福音書』2章16節~18節に
あらわれるエピソードで、
『幼児虐殺』ピーテル・パウル・ルーベンス(1638年)
Wikipediaによる概要によると、
占星術博士の星に関するエピソードの中
で、博士たちはユダヤ人の王を訪ねてきた。
(マタイの福音書2:1)
その当時、
ユダヤ人の王であったヘロデは、自分を
脅かしうる者が誰なのかを調べるために
策略を練り、帰りに立ち寄り知らせるよう、
博士たちに頼んだ。 博士たちが他の道を
通って帰ったことを知ると、
「大いに怒った。そして、人を送り、学者
たちに確かめておいた時期にもとづいて、
ベルレヘムとその周辺一帯にいた
二歳以下の男子を一人残らず殺させた」
(マタイの福音書2:16)
この話からして眉唾物ではないかと
ダ・ヴィンチ自身は疑っていたようですし、
互いに齟齬をきたす『福音書』の内容
に 彼が信頼をおいていなかったことは
確かなようですが、
そう言ってしまうと、何も書けなくなるし、
根拠をどこに求めるべきか、分からなく
なりますので、一応、『福音書』の記述
に準拠したかたちで話を進めます。
多くの聖書研究家や学者たちが指摘
するように『福音書』の記述を相互に
読み合わせてみると、ヨハネの宣教の
開始時期(ヨルダン川での洗礼活動)と
「イエスの洗礼」との間に それほど
の時間的な差は見受けられません。
そこで、
ルカが記す皇帝ティベリウスの治世の
第15年(おそらくAD27年)が ヨハネの
洗礼活動の開始の時期であり、同時期
に少し遅れてイエスの宣教が始まった
とするのがダ・ヴィンチの見解ですが、
イエスの宣教 wemmick3.com
ある説によると、
皇帝ティベリウスは、初代皇帝(前帝)
アウグストゥスの治世の晩年、AD12年
から共同統治者として 帝国に君臨して
いたので、その第15年目は AD27年に
あたるということも言えますが、
もし、この年にイエスが宣教を始めた
のなら、その時、彼は31-32歳くらいです
ので、ルカの言う「およそ30歳」であった
という記述とも不都合なく符合します。
また、ポンティオ・ピラトがユダヤ総督
の任にあったのは AD26年から36年の
ことですので、この点も合致しますね。
さらに、
『ヨハネの福音書』2:19-20に
「イエスは彼らに答えて言われた。
『この神殿をこわしてみなさい。
わたしは三日でそれを建てよう』」
(ヨハネの福音書2:19)
「そこで、ユダヤ人たちは言った。
『この神殿は、建てるのに四十六年
かかりました。 あなたは、
それを三日で建てるのですか』」
(ヨハネの福音書2:20)
ヨセフスによれば、このときの神殿の
建設はBC19-20年に着工されたもので、
そこから46年かかって完成したとすれば、
その時期はAD26-27年になるわけです。
イエスの宣教 skk-tokyo.com
それは、
イエスの宣教開始の時期がAD27年
であったことの傍証になりますが ・・・
しかしながら、
同じAD27年には、洗礼者ヨハネも
ヨルダン川での洗礼による宣教を開始した
ことを決して見逃してはならないわけで、
冒頭の
「膏そそがれた者(メシア)は
断たれ、彼には何も残らない」
『ダニエル書』9:26
と、預言されたメシアとは誰なのか
獄中で首を刎ねられた洗礼者ヨハネ
十字架にかけられたナザレのイエス
あなたは、否、クリスチャンの方々にも、
あらためて訊ねますが、
この場合の彼を、上記、、 のうちの
どちらの人物であると思うのでしょうか
ダ・ヴィンチは、
の洗礼者ヨハネがメシアである
として、自身の作品に数々の謎の罠を
仕掛けたものと小生は考えますが ・・・
まあまあ、
そう性急に結論を出すこともあるまいて、
もともと、『ダニエル書』9章は
「あなたの民とあなたの聖なる都について
は、七十週が定められている」
(ダニエル書9:24)
としているわけで、
それを決定づけるものは六十九週の後に
メシアなるひとりの君が現れ、彼には何も
残らないまま無惨にも命を断たれた。
だから、その後の最後の一週(7年)に
重大な意味があるわけじゃな。
その七十週目についての
「解説はいつになるの」
「次回だと思うがのぉ」
・・・ って、おいおい、
「勝手に仕切るな !!」
(んんッ !!)
「裏切者は〇〇〇じゃ」
「えっ !!」
洗礼者ヨハネが、ガリラヤの領主で
あったヘロデ・アンティパスの手中に
嵌まり、「斬首」されることになったのは、
AD28~29年頃のことと思われますが、
(ゲロゲロ ・・・)
… to be continue !!
(… to be continued !!)
ドラゴン・レーダー(プロトタイプ)
『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』
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きくらげ
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