透明人間たちのひとりごと

ウサギとカメの物語 <3>

 イソップ自身がそのことに気づいていたのかどうかは
別にしても、彼には何か予知能力のようなものがあった
のではないかと思われるのです。

 そのことは機会をあらためて詳しく説明しますが、イソップ
はある奸計により殺されてしまいます。

 しかしながら、

 彼は前もってそのことを察知していたふしがあるのです。

 しかも、殺されることを知りながら抵抗もせずにその運命
に身を委ねるように自ら死を選んだとしか思えないのです。

 そして、その死を目前にして語り始めたのが 「鷲と甲虫
という話で、その話にもウサギが登場します。

 この場合のウサギは、イソップ自身を暗示しているもの
と思われるのですが、ここでは関連性がないのでその内容
については割愛します。

 「イソップ物語」 が単なる寓話ではなく予言物語である
ことを気づかせるために彼は「鷲と甲虫」 の話をあらかじめ
用意していたのではないでしょうかeq
  
exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/238.html(参照)

    (別途 「鷲と甲虫の物語」 として記事にしました)

 さてと、それでは、ここから先は、

 ある意味において「イソップ物語」童話仕立て
予言なのかもしれないという程度の認識と興味を
もってお付き合いください。

 「ウサギとカメ」 の寓話を通して、イソップが伝えたかった
本音と真意を追求する前に、ウサギに関して多くの日本人
が誤解している事柄を正しておきましょう。

 1 ウサギの目は赤い right このことはジャパニーズホワイト
 (アルビノの固体で、固定した白毛の赤い目のカイウサギ)
 のイメージが強烈すぎて、そうした先入観が出来上がって
 いますが、正常なウサギの種類(64種)に赤い目のウサギ
 は存在しません。

 以下、長くなるので端的に結論だけにとどめます。

 2 水を飲むと死ぬ right 死ぬことはありません。
 3 ウサギは鳴かない right 声帯はありませんが鳴きます。
 4 寂しいと死ぬ right 寂しくて死ぬことはありません。

 symbol2 次に、ウサギの寓意についても触れておきましょう。

 ウサギはイヌやネコと同様に人間に身近な動物であり、
擬人化をしやすく、その姿も愛くるしいことなどからアニメ
やマスコットなどのキャラクターとして登場することが多い
ですよね。

 ウサギはオオカミやコヨーテなどの他にタカやミミズクなど
の猛禽類をはじめ捕食動物の種類は幅広くハンティングの
標的となりやすい草食動物です。

 特徴としては、長い耳と跳ねるように走る速い足に加えて
人間以外の哺乳類では珍しいことに発情期のない、つまり
常時発情する動物でもあるのです。

 このためウサギは非常に繁殖率が高く古代より西洋では、
多産、豊穣のシンボルとされていました。

 日本では「因幡の白兎」や「かちかち山」に登場しますが、
鰐(ワニ)を騙(だま)して皮を剥がされたり、悪いタヌキを
何度も騙してはこらしめる役回りとなっています。

 キツネほどではないにせよ、どこかズル賢く狡猾で抜け目
のないイメージが漂います。

 よく言えば、いたずら好きで要領もいいけど、ヘマな一面も
持ち合わせているような感じですね。

 一方、カメの登場する話ですが、「浦島太郎」 のほかには
イソップ物語の 「ウサギとカメ」、「鷲と亀」、「ゼウスと亀
以外では …

 古代ギリシャのゼノンによる 「アキレスと亀」 の設問ぐらい
しか浮かんできません。

 いずれにしても、ノロマで面倒臭がりの出無精者といった
風情で、特筆できる点はいかにも真面目で歩みの遅い愚直
なイメージだけでしょう。

 ところで、そんな足の遅いカメの競争相手ならば、ウサギ
でなくともイヌでもネコでもなんでもよかったのでは …

 という疑問が生まれます。

 ではなぜ、「ウサギとカメ」 でなくてはならなかったのか

 イヌは多産で安産なところはウサギと同格ですが、命令や
任務には忠実で仕事の手を抜く(途中で休み居眠りをする)
イメージはありません。

 ネコは気まぐれで、まともな競争などには興味を持てずに
いるのでレース自体を成立させるのも困難でしょう。

 結局のところ、

 他の動物も 《帯に短し襷(たすき)に長し》 だったのです。

 この話には、

 草食で足は速いけど軽薄なところのあるウサギ
と雑食(主には肉食)で足の遅い真面目なカメという
対比がどうしても必要不可欠だったのです。

 ウサギカメには人類、つまり人間の営みのすべて
を投影させて暗示してもらわなくてはならないからですが …

 ここで、「ゼウスと亀」 の話にも触れておきましょう。

 ゼウスが宴会を催して動物たちを招きましたが、亀だけ
が欠席しました。理由を尋ねると 「家にいる方がいいから」
という亀の返事にゼウスは怒って 「そんなに家が好きなら、
一生、家を担いで歩け」 と亀に家(甲羅)を担いで歩かせる
ことにしたのです。

 甲羅を担いで歩く亀も大変だけど、住宅ローンを背負って
働く日本のお父さんたちも大変ですよね。

 要するにカメは人間でいえば男性にあたり、生徒や弟子、
使用人、サラリーマンといった普通の人々 right 一般大衆の
代表でもあるのです。

 ウサギは女性であり、先生や師匠、雇い主、社長などの
権力者や政治家、為政者などを指しています。

 大雑把に言えば、ごく普通の大抵の人々の代表がカメで、
ウサギはそれ以外の人ということになりますね。

 イソップは生まれてすぐに差別という不公平を知ります。

 世の中が嘘で塗り固められた世界であることも、その嘘で
固められた世界のなかにも時に表白された真実があること
に気づきます。

 そして生きてゆくためには、知恵と勇気と分別と思いやりと
諦めが必要だと悟り、奴隷として働きながらも機知に富んだ
寓話を語り始めたのです。

 イソップの一貫している主張は、おだてられて乗せられて、
いい気になるのは皆さんの勝手だけど、「真実を見抜く目と
耳を持たないと大変なことになりますよ」 と警告をしてくれて
いるのだと思います。

 そもそも、ノストラダムスの4行詩にしても、イソップの語る
たとえ話にしても、解釈は自由です。

 「ウサギとカメ」 も 『エイドクルー フィールドサービス講座』
仕様で解釈すれば、ウサギとカメのそれぞれがもっていた
目標や目的が違っていたということになります。

 exclamation フィールドサービス講座(透明人間たちの指南書です)

 カメの目標ははっきりとゴールを目指すことにありましたが
ウサギの目的は山の頂上に行くことにはなく、カメよりも足が
圧倒的に速いことを証明することでした。

 ですから、ウサギがスタートダッシュで山の麓(ふもと)まで
一気に走ったところで振り返り、カメの姿がまったく見えない
段階で、すでにその目的を果たしてしまっているわけで …、
休むことにも眠ることにも不自然さはないのです。

 もし、ウサギの目的がレースに勝つこと、つまりカメよりも
先にゴールインすることにあったのならば、途中で休んだり
寝てしまったりはしないでしょう。

 山の麓で振り返り、たとえカメの姿が見つけられなかったと
しても、そこから頂上まで駆け上るのに何の躊躇もなかった
はずです。

 ゴールしてからゆっくりと休めばよかったのですから …

 それでは、なぜ、ウサギの目標が山の頂上にはなかった
のでしょうか

 ウサギにとって勝つことはあたりまえで勝負・勝敗に考えは
及んでいません。

 ウサギにあったのはいかにしてカメや傍観者たちに対して
力の差を見せつけるかのパフォーマンスだけだったのです。

 目標とは、本来的に自分の力量よりも何段階か高く設定
されるもので、苦もなく成し遂げられる事柄は目標にはなり
得ません。

 ウサギは足の速いことをカメに自慢してみたかっただけで、
アッという間に姿の見えなくなった自分に恐れをなしてすぐに
でも降参するのだろうとタカを括っていたのでしょう。

 ところが、

 ふと気がつくとカメはゴールまであと一息というところにまで
到達している。 焦ったウサギは必死になって追い駆けます。

 ゴールすることに関心がなくても、カメごときに負けるわけ
にはいかないからです。 プライドに賭けて突っ走り、いま、
まさに、カメを捕らえようとしたところがゴールだったのです。

 (って、ちょっとだけドラマチックに脚色してみましたが…)

 カメも山の頂上へ行くことなど、最初は考えてもみなかった
ことなのです。 それが偶然にもウサギと出会い、普段から
気にしていた歩みの遅さをからかわれて、ついカッangerとなって
「山てっぺんまで競争しよう」 などと心にもないことを言って
しまったのです。

 「ウサギに勝てるわけもないけど、このまま引き下がったら
ますますコンプレックスが大きくなってしまう。 負けるのは
覚悟しているけど必ずゴールだけはしよう」 そう思いながら
一歩、一歩と山の頂上を目指したのに違いないのです。

 その意味からは、カメもウサギと同様に勝負や勝敗には
拘(こだわ)りがありません。

 カメの目にはゴールしか映っておらず途中で眠っている
ウサギには目もくれなかったのです。

 つまり、まったく眼中にはなかったわけですから、ウサギを
起こさなかったカメの行為をスポーツマンシップに欠けるなど
と揶揄したり卑怯者呼ばわりするのは的外れなのです。 

 … と、まぁ、

 こんな程度に解釈するのが私たちには精一杯であって
「真実を見抜く目と耳を持て」 というイソップ
本音や寓話を通じて訴えかけている予告予言
中身にはなかなか気づくことが出来ないでいるのです。

 つまり、凡俗なる私たちには耳の痛いところなのですが、
「ウサギとカメの物語 <2>」 でも紹介した下記の円グラフの
ような解釈に終始するのがせいぜいなのです。

<script language="JavaScript" type="text/javascript" charset="utf-8" src="http://p.aboutme.jp/p/qjs/34/89334.js"></script>

 さて、謎解きも

 ようやくのことに佳境の域に差し掛かかって参りましたので
ここからは一気呵成に核心に迫り劇的なるフィナーレで幕を
飾りたいと思っているのですが残り紙面が尽きてきました。

 と言うか、すでに オーバーフロー の状態ですので
次回 「ウサギとカメの物語 <4>」 で、またお会いしましょう

 って、なんだか唐突に終わるのですね。

 1号の正体みたり枯れ尾花(彼OVERな)って感じです。

 それって、幽霊(ゴースト)でしょ 

 そんな オ~バ~(尾花)なんてネッ

 ぶるる うっ、寒(さぶ)~ やっぱり、ゴーストだ
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ひとりごと」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事