多様化が加速する一方にある 精神 や 心 などの
モラル に関する問題に対し、他方で価値観や嗜好が
一元化の方向に突き進む モノ や カネ といった経済
に関する問題があります。
かつての終身雇用制度にあっては、能力のある人間が
バリバリと仕事をこなして、能力のない仲間も義理人情で
抱え込んでいられた護送船団方式が可能な時代でしたが
成果や能力主義の現在ではそんなことは到底できません。
一般的にどのような組織や集団でも 「優秀な人が2割、
普通の人が6割、そして残りの2割は役立たずの人」で
あると言われています。
よく耳にするところの 「2・6・2 の法則」 です。
組織や集団の中に存在する役立たずの人間を除いて
新たにチームを編成しても、また、「2・6・2 の法則」 が
働いて、結局のところ チームや組織に貢献しない2割の
人たちが生まれるというものです。
人間の能力や活動量あるいはモチベーションの高さなど
は、統計的に正規分布しているものと考えられているので
そうした傾向が現れるのかもしれませんが、成果主義的な
指向がこのまま続くとなると、ひょっとしたら、この法則にも
異変が起きてくることも否定できません。
現実の職場では、与えられたことはキチンとやるけれど、
それ以上のことは頑張らない、会社を辞める気もないけど
貢献する意思もないという若い社員が増えているそうです
が、そういう社員を「ぶら下がり社員」と呼ぶのだそうです。
つまり成果主義の落とし子として、役立たずではないが
積極的に貢献するわけでもない 「宙ぶらりん」 の
普通人タイプ若しくは一般タイプ以下の存在の増加です。
以前は、モーレツに働くのが当然の時代で、休日返上、
深夜までの残業、同僚や上司や取引先との付き合いは
仕事の範疇(延長線)であるのはあたりまえのことでした。
今は、そうした価値観が多様化し、仕事に対する考え方
も人によってさまざまです。
社会情勢や経済環境も悪化して、どんなに努力をしても
報われないばかりか、リストラの憂き目に遭ったり、頑張り
すぎて身体を壊したり、精神に障害を起こす人も少なくない
という現実に対する防衛本能なのかもしれません
そうなると、
この社会を形成していた法則が乱れてとんでもない事態
が起こってしまうことになるのかもしれませんが、この法則
には普遍的な継続性がみられますので、別のかたちでの
揺り戻しがあるのかもしれません。
たとえば、人間だけではなく、アリの世界においても同様
で、どのような集団やチームに分けても、働きアリの集団
には常に働かない2割のアリが存在することを北海道大学
大学院の准教授らが証明したそうです。
『働きアリ:2割程度は「働かず」 集団維持の仕組みか』
― 毎日jp(毎日新聞)より ―
人間の場合での優秀な2割に相当する ― よく働く2割の
アリたちの存在はまだ証明されていないとしても、アリたち
にも 「2・6・2 の法則」 が働いているのかもしれません。
それにしても、何故に2割の働かないアリや人間がいる
のかは実に興味深いところですが、同准教授によると …
「働かないアリがいれば、別の仕事が生じた時にすぐに
対応できる。 仕事の効率は下がるが、集団を維持する
巧妙な仕組みではないか」 と推測しており、働かないアリ
が集団維持にどのように貢献しているのかが今後の研究
テーマだといいます。
アリの世界ではそうした緊急の際の備えとしての言わば
イザという時の用心棒的な役割として2割の食客を養って
いるのかもしれませんが、人間の世界

の日本人について言えば …

『ならぬものはならぬ』 という戒めも公序良俗
に照らした道徳的な規範もメリハリも何もかも薄れてしまい
「何でもアリの何にもナシ」 というシックロール
(詐病)のような時代になっている気がします。
適切かどうかは別にしても、ストーカー殺人などの事件を
見ていると自己の心を制御できずにコントロール不能状態
のまま刹那的な行動に走っているようにも見えるからです。
以前は親や世の中からすり込まれた「超自我」という
箍(たが)や歯止めがありましたが、今は超自我なき世代の
シックロール症候群のような精神疾患に苛(さいな)まれる
時代に突入してしまったようなのです。
それでは、なぜに歯止めとなるべきはずの「超自我」
が失われてしまったのか
それにはそれ相応の理由(わけ)があったのです。
かつては「超自我」に対抗して自由でありたいと反発
したり、乗り越えようとして抗うことで心や精神が鍛えられも
したのですが、少し上の先輩たち(昭和47~49年生まれ)で
ある団塊の世代は無謀にも親どころか現実の国家権力に
挑みかかり、無残にも敗れ去り砕け散ってしまったのです。

世の中はガラッと様変わりして、親子関係や国家権力と
国民意識との間の確執がなくなり、表面上 も内面的 にも
仲良くなって、乗り越えるべき「超自我」が無くなって
しまったのです。
そして …
「くじけやすい 『へたれ世代』 が誕生したのだ」と
精神科医である千葉大医学部の野田文隆氏が静岡新聞
夕刊の 『日本再生考』 のなかで語っていましたが、
ここで再びアリの世界に話を移して、
「働かないアリ」 について考えてみたいのですが、
働きアリよりも、働きアリの労働に便乗して、「タダ乗り」を
決め込んだ 「働かないアリ」 の方が生存率が高い
ということを琉球大学農学部の辻和希(本名:辻瑞樹)教授
と日本学術振興会の土畑重人特別研究員の研究チームが
突き止めたそうで、個々が社会の目標よりも自分の利益や
目標を優先してしまうことで社会の維持形成が困難になる
という ― 人間社会でも見られる「公共財ジレンマ」の実例
を、人間と微生物以外で初めて発見したとして、「米国科学
アカデミー紀要(PNAS)」オンライン版に掲載されました。
辻教授は 「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを
理解するうえで役に立つ」 と強調していますが、協力して
社会をつくれば最終的には利益が大きいにもかかわらず、
他者よりも大きな利益を得るために、他者による助け合い
の利益にタダ乗りをするということが起こり、社会をつくる
ことができなくなるということを指していると言うのです。
研究によると、働きアリは 「働かないアリ」 の分
まで巣の外に出て労働するために 「過労死」 をして、
生存率が下がります

「働かないアリ」 は、働きアリよりも多く子どもを
産むが、その子どもは親と同様に働かない遺伝的形質を
持つので 「働かないアリ」 のみの社会では子孫
を維持し継続することができなくなってしまうのです。
自由競争のもとでは相手からの助けに便乗して利益を
得たほうが得であるにもかかわらず、助け合いの社会が
発生することについて辻教授は、自然科学と社会科学の
両分野で重要なテーマであると指摘し、アリ社会において
助け合いがなぜ生じるかを理解することが、人間の社会
での助け合いをより深く理解することにつながると研究の
意義を強調していましたが …
つらつら考えるに、助け合いのメカニズムは車の運転で
いうアクセルやブレーキ操作に当たり 「2・6・2 の法則 」
はハンドルの操作に相当するものなのかもしれません。
そしてハンドルやブレーキペダルに「遊び」があること
でそれらの操作を円滑に行なえるように自然と仕組まれて
いるのかもしれませんね。
なぜなら、組織や集団の構成員が優秀な人間ばかりでも
、モチベーションの高い人たちばかりでも、「船頭多くして船
山に登る」 で統率がとれずにバラバラになってしまいます。
つまるところ、リーダーとフォロワーがいて組織や集団が
うまく機能するというわけなのです
さてと …
くじけやすい 「へたれ世代」 に代表されるような
シックロール的なモチベーションが蔓延する時代において
も働きが良いか悪いかとは別に、環境の変化に対応して
組織が変化し、組織に新たな動きが生まれることで自らの
働き方やポジションに影響が現れることに抵抗する人たち
が必ず出てきます。
そんな時に、普段はパッとしない役立たずのような人間で
あっても、天才的なヒラメキや超人的なアイデアを駆使して
、負の力を神がかり的な能力としてカバーするような人たち
も、時に現れてくるわけで、そのあたりが「2・6・2 の法則」
に限らず人間の組織や集団の持つ不思議な魅力なのかも
しれません

ところで、
「シックロールな時代」 には、それに合致する
ような組織運営の仕方がきっとあるに違いないのですが…
体調不良を理由に2週間もブログの更新をすっぽかした
状況に、イライラ をつのらせている 2号 たちを尻目
に仮病なのか、シックロール(詐病)なのか
いずれにしても、これでは役立たずの2割のカテゴリーの
なかに入ってしまいそうですが …
博識でリーダーシップに長けた2号や臨機応変で如才
のない5号などは間違いなく優秀なる2割のカテゴリーの
なかに入る器です

なんちゃって … ネ ッ!!
こうして持ち上げてさえおけば、きっと
何の文句も出ないことでしょう
