私の父は、56歳、肺がんで亡くなった。昨日はなんとなく父のもとに行きたくて、お墓参りをしてきた。
純粋な人だった。子供だった頃よく遊んでくれたのを覚えている。そうやって、自分も遊んでいたのだろう。純粋な人だった。
なかでも、一番の想い出は、ボーイスカウトのキャンプに連れて行ってくれたことだった。あのキャンプは子供も大人もなかった。晩ご飯のあとは、飽きることなく、みんなで歌を歌った。父がそんな私を微笑ましく見守っていてくれたこと、今では涙が出るくらいに思い出される。
また、父とデートもたくさんした。思春期なんてなんのその、手を繋いで、洋服を買ってもらったり、時にはパトロンと間違えられるほどだった。
そんな純粋だった父が弁護士をやっていたのは、私にはちょっと不思議だ。もちろん非凡な人で頭の回転がものすごく早かったし、非常に忍耐強く、クライアントもたくさんいた。がんセンターから事務所に出ると、行列ができた。ただ、父が亡くなった後、私は残務処理のため事務所に住んでいたのだが、嫌な感じの電話がたくさん鳴った。この垢まみれの世界の中で、父はその純粋さと傍から見えない忍耐強さで、自分の命を少しずつ失っていたのではなかっただろうか、と思えてならない。それでも父は病床で言った。弁護士になれて良かった、と。
父は、その純粋さと頭の回転の早さとの間で随分と生き急いだように思う。それ故、父が最期に私に言った言葉は「まぁ、ゆっくり生きなよ」だった。
まぁ、ゆっくり生きなよ
なかなかムズカシイ
【略歴】
東京都麻布で生を受ける
慶應義塾大学中等部・高等学校を経て慶應義塾大学経済学部卒 法学部学士入学で卒
都庁の就職試験にて同窓のよしみで母と出会い結婚
都庁で働きながら勉強し、国家公務員I種、続いて司法試験に合格
著書に「頭のよい契約利用法」など
司法修習で長女である私ができ、続いて妹が産まれる