私はオットと出会って、「愛」というものにくるまれているような、そんな気分になることが多くなった。
オットは口数も多い方ではないし、いささかロマンチシズムに欠けるところがあるから、滅多に「愛してる」なんて言わない。つき合っている時からそうだった。それでも、私はいつも、オットの愛をひしひしと感じるのだ。
私はあの晩、アルコール度96%のウォッカを3瓶と大量の薬を飲んだ。
5日目に気づいた時には病院のICUのベッドにいた。オットが私の命を救ったのが分かった。私は母と妹、それにオットに心底申し訳なくなって泣いた。オットが面会に来た時、私はまだ意識がなかったはずなのに、泣きながら何度も謝ったという。母が来た時は、(その時も意識がなかったはずだが)母が幼い私に歌ってくれていた子守唄を歌うと私は顔をくちゃっとさせて泣いたという。妹は私が意識を取り戻した時に、誰にも語ったことのない心の奥底の哀しみを私に語った。
退院した後、私はウォッカを飲んだあたりから記憶がないので、オットにいろいろと聞いた。そしてその中でオットは、「そんなに辛かったんだ、それならこのまま死なせてあげた方がいいのではないかと思った」とポツリと言った。
オットに以前、「私のどこが好きなの?」と聞いたことがある。こんなにいい人が何で私なんかと暮らしているのだろう、と不思議に思ったからだ。オットは30秒ほど考えていた。彼はこういう時に適当に愛の言葉を並べるような人ではないのだ。そしてゆっくりと口を開いた。「愛乃の存在自体かなぁ」それは私にとってこれ以上にない愛の言葉だった。
「愛とは」などと定義するつもりもないしそんな権利も私にはない。ただ、神様が本当にいるのかどうか全然分からないけれど、私は愛を信じようと思っている。それはエゴイズムのはびこった愛ではない。言葉にするのはとても難しいが、それは赦すということに近いのではないかと思う。人を憎み憎み、そして悩み悩み、そういうところで愛があれば赦すことができるのではないかと思う。私の名前は「愛乃」という。父が遺してくれたものの中で一番大切なものだ。そして私が愛乃という名前であることに今の私は少し必然性を感じてしまう。
愛の・・・そこに続きはあるのだろうか。
愛乃さん・・ゆっくり元気になってくださいね^^*
素敵なご主人ですね! 見習いたいです^^;
素敵な写真ですね!
去年の夏のことですから、あれから大分大人になりましたよ(笑)
オットのことも写真もありがとうございます。
とても大切な写真です。