文章を書くことについて、幼い頃から一定の評価を得てきたように思う。いや、この際、評価など、どうでもいい。私は文章を書くのを好んでいる。
これは、遺伝も大きく関わっているように思う。私の祖父はロシア文学・演劇の評論家であった。著書・訳著をたくさん世に送り出した。そして母も文章を書くのが好きだ。しかし、母がまだ若かりし頃、父である私の祖父に、作家になりたい、と言ったことがあったそうだ。そうすると、祖父はものすごい剣幕で怒り、作家というのはそんな甘っちょろいことじゃない、大変なことなんだ、と言ったという。
今となっては私にも、祖父が言ったことの意味が分かるような気がする。何かを生み出すことは身を削るようなことなんだと。
そして、私は最近、そういう類いの、身を削るような想いで文章を書いている。それは、あまりにも赤裸裸すぎると、自分でも分かっている。しかし、書かずにはいられないのだ。私には清算することが多い。それは、私の頼みの綱である、文章を書くことによってできるのではないかと、微かな、非常に微かな願いを持っている。だからといって、ちょっとした数の人が訪れるこのブログに書くことはないではないかとも思う。でも、個人的に文章を書いたなら、それはただの自己満足で終わってしまうのではないかと恐れているのだ。
誤解を招きたくないが、私は、文章の内容から伺えるような、真面目な人間、というのだろうか、物事の奥底をストイックに考えすぎる人間ではないかもしれない。よくわからないが、自分では非常に楽観的な人間で、本気で自分のことを運がいいと信じ込んでいるような人間である。ただ、その分、文章を書くことによって清算したいと思うことも増えることになるのだ。
今書きたいのだから、楽しんで書いて下さい。
重くならないように、書くことを楽しんで。
なんだかちょっと一区切りしたような感じで、書きたいことが溢れ出てくることがあるんですよね。
はい、楽しんで書きたい時に書きたいように書きます。