大正2年生まれは覚えているが生まれ月日は覚えていない。
昭和に入って19年6月に
農家の三男坊に私が生まれたのだから
親父33才 五つ違いのお袋28才
戦地に赴いては、農業者については満州から引き揚げ農業をして居たのだろう。
戦地と農業の今で言う兼業農家?
で、ないと私はこの世に居ないはず。
その親父が41才の時(恐らく数え年)田舎特有の厄払い神事が行われた事は8歳くらいだった頃の私の脳裏に焼き付いている。
集落十数件の人達が三日三晩 我が家で盛大に飲み食いしていたこと,,,
5反百姓も 1町作の農家も一くくりに 厄年の家々の家長の厄払いに参加していた。
それが出来なければ、当然村八分として無視される,,,(幸か不幸かそれを目にしたことはない)が、それもしきたりだった,,,
ーつづくー
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