つづきです
貧乏農家でも、兄が高校受験を迎える頃
中学の先生の薦めもあって県庁所在地の憧れの高校に行った。
3年後 次男坊も同じ高校に,,,
自転車通学ではなく 琴平電鉄(私鉄)を使って,,, 集落では鼻高々だったと思うが、生活は火の車だったはず。
長男である兄貴の弁当は 米の飯(銀シャリ) どうやら朝早く別釜で炊いていたようです。
三男坊の弁当は麦飯 と言っても麦ばかりではなく 白米に価格の安い麦を混ぜて焚き上げたもの。
麦は軽いので炊き上がったときにはほとんど釜の表面付近に固まっている。
お袋は その表面の麦をしゃもじではね除けてアルマイト製の私の弁当箱に入れてくれるが、
明らかに、米だけの飯ではない。
あちこちに点在する麦は まさしく麦飯であった。
学校の昼食時間 顔で 体で 弁当箱を隠すようにして昼飯を食った思い出がある。
それでも 学校では有名だった。
が、泣きはしなかった。
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