つづきです
兄貴が 社会人になった頃
玄米60kg(俵一俵)4000円だった
勿論 品質 銘柄によって多少は価格差はあった 米は5月になると苗代を作りそのそばにはお供え物が手向けられていた。
田の神様への祈願だったのだろう。
焼き籾殻と苗代の土と練って そこに種籾を蒔いた。
そう言えば 荒縄に白い紙が,,,
切って来たばかりの青笹にくくられていた記憶がある。
10月の収穫まで5ヶ月間の 害虫、病気 或いは洪水 長雨 干ばつ 台風などの被害がないように どこの家でも 一粒一万倍を夢見て 暦を見て一斉に籾蒔きをする。
麦飯の話のついでに
小麦は 木麦粉の元になり
裸麦は 味噌 醤油の原料であり どこの家庭でも自家製のものが当たり前にように作られていた。
その裸麦を 押し潰すことで食料となる。白さは白米ほどではない そこに持ってきて 何故か縦に茶色い線が入っている。
これが 際立って目立つのだ。
隠して飯食う意味が解っていただければ幸いですが,,,
この麦の値段が一俵2000円で政府が買い上げていた。
この時代に 兄貴のの初任給が
13800円であった。
https://mojim.com/twy112917x6x4.htm
と記憶しているが、時代が前後しているかも,,,
そんな中で
親父の マジな話が始まった,,,
続きます
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