秋田さきがけ 2021年(令和3年)5月4日火曜日
声の十字路
思い出深い浜ナシ山踏切
岩澤 毅 60歳(秋田市土崎港、歯科技工士)
3月末、秋田臨海鉄道が鉄道事業を終え、街の景色から列車が消えた。少し前まで列車が走っていた秋田市土崎港の「浜ナシ山踏切」は、長年利用しており、特に思い出深い。
秋田臨海鉄道の営業開始は1971年なので、おそらく50年ほど前のこと。浜ナシ山踏切には、踏切警手の小屋があった。そこには初老のおじさんが詰めており、私たちの安全を見守ってくれていた。小屋は広さ1畳もないもので、雨風をしのぐ武骨な作りだったように記憶している。
ある大吹雪の日の帰り道、あまりの寒さに、私は小屋のだるまストーブで一休みさせてもらった。ストーブの炎は力強く、顔のこわばりが緩み、冷え切った体に生気がよみがえってくるようだった。さらに「砂糖湯っこ」をいただき、暖まったのを思い出す。
いつの頃かこの小屋はなくなり、踏切の遮断機や警報機も何度か更新された。歩道を設ける拡張工事により、利用者が通行しやすいよう改良されるなど、踏切は変化を遂げてきた。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、クルーズ船の秋田港寄港が中止となり、秋田港駅を利用した臨時のクルーズ列車の運行もなくなった。感染が収束し、港の鉄路を列車が走り、踏切が再び機能する日を待っている。
https://www.sakigake.jp/
思い出深い浜ナシ山踏切
岩澤 毅 60歳(秋田市土崎港、歯科技工士)
3月末、秋田臨海鉄道が鉄道事業を終え、街の景色から列車が消えた。少し前まで列車が走っていた秋田市土崎港の「浜ナシ山踏切」は、長年利用しており、特に思い出深い。
秋田臨海鉄道の営業開始は1971年なので、おそらく50年ほど前のこと。浜ナシ山踏切には、踏切警手の小屋があった。そこには初老のおじさんが詰めており、私たちの安全を見守ってくれていた。小屋は広さ1畳もないもので、雨風をしのぐ武骨な作りだったように記憶している。
ある大吹雪の日の帰り道、あまりの寒さに、私は小屋のだるまストーブで一休みさせてもらった。ストーブの炎は力強く、顔のこわばりが緩み、冷え切った体に生気がよみがえってくるようだった。さらに「砂糖湯っこ」をいただき、暖まったのを思い出す。
いつの頃かこの小屋はなくなり、踏切の遮断機や警報機も何度か更新された。歩道を設ける拡張工事により、利用者が通行しやすいよう改良されるなど、踏切は変化を遂げてきた。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、クルーズ船の秋田港寄港が中止となり、秋田港駅を利用した臨時のクルーズ列車の運行もなくなった。感染が収束し、港の鉄路を列車が走り、踏切が再び機能する日を待っている。
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