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スペインサラマンカ・あるばの日々

スペイン語留学の街、サラマンカより、地元情報とスペイン文化、歴史に関する笑えてためになるコラムをお届けしています。

スペイン・アイスキャンディー近代史

2018-11-15 23:29:30 | スペインがお題のコラム

今年の夏も暑かった。

…そして、アイスを食べ過ぎた。

大人買いというのはまあわかるが、大人喰いというのはどうよ…

お陰で何度かええトシしてお腹を壊し、反省した日々…
このアイス好きはどうも血筋なのか、祖父母をはじめ、家族親戚らが暑い夏の午後、
また季節を問わず、風呂上りなどにうっとりとアイスを食べていた姿を思い出す。

…田舎での夏休み、昼寝から置きだしたおばあちゃんが、古い小銭入れを取り出して
“みっちゃん、下の店でキャンデー買うてきて!”と言った声も思い出す。
それが未だに耳に残っているのか、今でもふらりと小銭を握って暑い日ざしの中をでかけたりする。
なんか←こんなのを買ってたような気がする…

スペインはその気候からヨーロッパの中でもアイスの消費が多い国。
近年には様々なグルメアイス、またキャンディーのお店も話題に
なっていて、大人気だ。

そこらへんについては、そういうオサレ情報発信Webにお任せして…

実は前に「近代スペインアイスキャンディー開発に熱く身を捧げた、
とあるおっさんへのインタビュー」
という現地新聞記事に目が止まり、
読んで心を動かされてしまったのだw

未だに日本にてソーダアイス、ホームランバーなどをみると
おっ!となる自分だ。だからか(爆)?
(2017年7月のエル・パイス紙の付録誌“ベルネ”より転載)

というわけで、今回は上記記事を元とした、
ここの駄菓子屋、キオスク、コンビニで売ってるいわゆる
「大衆向けアイスキャンデー」のお話となるのでご了承を。

● 地味なアイス界の改革は70年代半ばから

その昔、この国で大衆アイスといえば2つ。

“コルテ”と呼ばれる、レンガ状のアイスクリームを切って
2つのウェハースに挟んだもの。


コーンの他にも、街頭売りはこの形状が多かったらしい。
味のバリエーションはせいぜい2-3種類か。
未だにおばあちゃんの家にお呼ばれすると、「じゃあデザートを…」
といって冷蔵庫から巨大羊羹状のアイスを引き出し、切り分けて渡してくれる。

(実は私は“スペインのアイスモナカ”と呼んで、今でも
愛しております…)

もうひとつは“ポロ”と呼ばれる安価なアイスキャンディー。
一番安いのは主に“フラッシュ”などと呼ばれる、日本で言う「チューチューアイス」。

レトロ物になりつつも、これも未だにスーパーなどでみかける。
暑い夏、子供らがバラ銭で買える小さな避暑。

「ただね、私の父親が買ってくれるアイスといえばコルテ。アイスキャンディー
の方は何かしぶって買ってくれませんでしたな…」
と語るのは前出記事の主人公なる、ホアン・ビニャロンガ氏。恐らく
当時衛生面を気にして買い渋る親が結構いたということか。

●ドラキュラアイス登場で改革開始

1975年11月20日、フランコ総統死去。
36年にもわたる独裁政権の決定的終焉。

-いやそれを待たなくとも、すでに社会は民主化に向け、
怒涛のように目まぐるしく変わっていた。

75年11月20日フランコ死去を伝える報道各誌。

「ガチガチのキリスト教徒の古臭い制服を脱ぎ捨て、新しい文化を…」
「内外の壁を破り、旧体制から自由社会へ!」

との強い流れは、その後90年代初頭に至るまで留まることなし。

その流れを受けて…
このビニャロンガ氏が就職したバルセロナの大手アイスメーカー
FRIGO(フリゴ)も、73年に同社は世界的大企業ユニリーバ社に買収され、
外資資本をバックにスペインアイス界の革命を!と力みだしたらしい。

品質管理課に配属されたのに、なぜか“みんなで新製品開発!”
となり、いよいよ力作の試作品完成。

「あの日はよく覚えてますよ。マホガニーの立派な扉の入り口の重役室に通されてね、
お偉いさん方々に発表した新作が…“ストロベリーバニラとコーラ味のミックス、舐める
と舌が真っ赤に染まるアイスキャンデー
なんなんだ。このアイスは。

個人的には「処女作にしては勇気ありすぎな挑戦アイスとしか思えん。
しかしご本人も証言するように「国際的企業がバックにあり、
これからの観光業の上向き度を見越しての挑戦」であったのだろう。

…当時の重役方のたまげた姿をよそに、幸い理解深き上司の努力もあり、
その名も「ドラキュラ」とつけられたこのアイス、絶好調の売り出し。
なんとその後40年近く続く大ヒットとなった

●80年代の爆ヒット、「足アイス」「指アイス」ww

その後もアイス改新は続く。
キャンディー製作における型の開発が進み、もっと自由な形の
アイスを作れるようになったのだ。

自由な形といわれて、じゃあ何アイス?とかなりの試行錯誤最中、
あるスタッフが「指の形とかどう?」といいだし、生まれたのがこの作品↓。
そのヒットに気をよくして、足の形のアイスも追って誕生。大ヒットを飛ばした。
指は80年、足は83年生まれ…

…でたよこの足形アイス。
私はスペイン渡航初年、これをみてつくづく文化の差を感じたな。
製作側も当初随分もめたらしいが、結局商品化、ってのがとても当時のスペインですな。

この指やら足のアイスを含み、謎の「変アイス」の誕生は80年代に集中し、
まさに黄金時代?を迎える。毎夏でては消える変アイスに子供らはわくわくしたとの話。

見てて飽きないね~


↑上記3品はとっくに絶版。ソーダ味のジョーズ、フルーツ串団子ってww

そう、80年代はアバンギャルド!
結構何やってもOK!売れればね!の勢いでどんどん開発~だったんだろう。
「もうね、当時は自分の作ってるアイスの売れ行きが心配で、街のゴミ箱をあさって
空き袋を数えてた位ですよ…自分の子供には言えんけど(苦笑)」とビニャロンガ氏。

大ヒットのカリッポ、偶然の産物ツイスター

そしてついに84年、メガヒットが登場、それがアイスキャンディー「カリッポ」。

この時代になると、缶ビール、ジュースの消費が急増し、アイス消費が
押される形となる。もっと手軽に食べられる容器-と考え開発されたのがこの形とのこと。

「棒のついてないアイスキャンディー」の意味がわからず、最初容器を剥いてしまう人が
多かったため、TVコマーシャル↓発動。これで大ヒットに火をつけた。

あまりにも売れすぎて、販売店が直接工場に押しかけて列をつくったという。

(ただこの記事では、カリッポがFrigo社の開発品という説明だが…大いに疑問が残る。
同名商品が82年に日本ではグリコから発売されていたからだ。ネットで調べた感じでは恐らく
アメリカにその起源があるらしいけど…→榊原郁恵のCMを覚えてる私は昭和の人w)

もう一つ、この時期出た商品「ツィスター」というキャンディーはロングセラー。
86年生まれのツィスター。
ビニャロンガ氏は語る。
「いやこれはね、偶然の産物。一度英国にあるユニリーバ社の研究所に行かされてね、
そこで3色のアイスを交錯させて1つにする素晴らしい機械を見学したんです。
ただ見学中、英語がわかんないもんだから、全部の会話にイエスって応えてたんですな。
そしたら数ヶ月後その機械がうちの工場に届いちゃって…w」
しかしながら運よく上司のお叱りもなく、かえって大ヒットに繋がったとのこと。運良いな。

●90年本物志向へ-チョコアイス「マグナム」誕生

92年、バルセロナ・オリンピック開催。
ちゃんと公式キャラクター、コビー君のアイスも発売!
舐めてるうちに顔がホラーになったとの話…

しかしながら、アイス業界の需要と供給はある程度落ち着き、
怒涛のアバンギャルドな文化の流れも落緩み始め、
「お子様向け一辺倒」だった商品ラインは方向転換を求められていた。

89年には、ふとこんな地味アイスを出してた、ビジャロンガ氏ことFRIGO社。

89年発売のチョコアイス、FRAC。(写真はイメージ)

スペインで学校の夏休みが終わる「魔の9月15日」。これは
アイス販売量がわかりやすく激減しだす日。これを超えるために
“大人向けのアイス”の開発が求められていたのだと語る。

当時もすでにチョコアイスは発売されていたものの、
雑味の多い劣質のチョコレートのもので、改良には大変な苦労を重ねたと語る。

最終的に同時期、同じユニリーバ社傘下にあるベルギーのアイス会社が、
チョコレートアイスの決定打的な商品を完成。それが「マグナム」

 

これは時間をかけてヒットした。
スペインで最初の「お店で買える、手軽だけどリッチなアイス」。
夏でもないのにアイス!大人のアイス!というコンセプト。

リッチなのよ!CMもリッチ!値段もだけど!


2018年度版


米国フォーブス紙
によると、このマグナムは全世界でのアイスクリーム売り上げナンバーワンとか
(ちなみに2位はハーゲンダッツ)

改めて表紙に出した今夏のアイス看板写真をみてみる。



看板の3分の2がマグナム、コルネットというユニリーバ社展開商品。
(世界で人気売り上げのアイス5位の内、4種がユニリーバ…恐ろし…)

かつて人気だった子供向けのカラフルなアイスキャンディーは
下方に表示。その中で純スペイン産の“足アイス”が頑張ってるのはなんともいじらしい!

そして本年、このFRIGO PIE~足アイスの誕生35周年を記念し、
マドリッドのとあるショッピングセンターにて、
「1日だけの、アイス靴屋さん」がオープンしたとか。


“あなたのサイズの足アイスを”との提案に、かっての子供達が沸き返る。
楽しい光景。

美味しくて、
楽しくて、
夢中になったり、うっとりできるもの。

いつの時代も、国を超えて、変わらない幸せ感の象徴だったんだね、アイスは。
そう考えると、白黒の時代から抜け出して、カラフルなアイスの開発に
情熱をかけたビニャロンガ氏の気持ちもわかる。(氏は引退後も相談役として各アイス会社
にて活躍されている)

…久しぶりに食べたくなったな~足アイスw
(優しいストロベリー味なんです)

 

 


研ぎ屋さんの笛の音-この国の音と匂い(1)

2018-08-24 00:49:21 | スペインがお題のコラム

朝の慌しい雰囲気も一段落し、
洗濯物が各ベランダではためき出し、
午前のまろやかな陽の光を気持ちよく感じる頃、



突然、街頭でつんざくような笛の音が聞こえ始める。

ぴぃろろろ~~~~~っ!!

????なんだなんだ?

しばらく間を置くと、再び

ぴぃろろろ~~~~~っ!!

…どうした?と少々不安になって窓下を覗く。

そこにはきっと、青いつなぎを着たおっさんが、
ちょっと変わった自転車を押しているの見るだろう。

そう、これが研ぎ屋さん。
小刀から肉包丁、はさみとなんでもあれ、その場で
さくっと研いでくれる、便利屋さんなのだ。

 

パンフルートという、随分古臭い笛を吹き鳴らし
(南米ではサンポーニャという名で民族楽器として親しまれる)
ゆるり、ゆるりとまんべんなく街中を廻る様子。
管楽器の原型。古代ギリシャ時代より親しまれる。

頼まれると引いてきた自転車やバイクの車輪の回転を利用し、
刃物の刃先を削ってその場で研いでくれる。
単純明快なる、素朴なお商売なのである。

● 古い商売、消え行く商売


言うまでもなく…この研ぎ屋は絶滅危機にある職種の一つ。
そもそも露天商というもの自体が禁止されるようになった。

もちろん商店とのトラブル、食品衛生法、消費者保護法
違法だとかの話がつきないからだろうが、尽きるところ
税金うんぬんの話になるんだろな。

観光名物ともなっているラストロ(蚤の市)なんぞ、昨今
「各自が個人事業主としての届出が必至」としたところ、一挙に
店舗数が半減したという話。

… なんとなくあいまい、うやむやなコトはすべて暴かれ、
切り捨てられる今の時代なんだ。(そのくせお役人、政治家の
けしからんうやむや話は放置されるのが常でしてw)

↓この動画にて、残り少ない研ぎ屋さんの活躍の様子を見れる。

Vea en acción a uno de los últimos afiladores de cuchillos de España BBC MUNDO


● ガリシア地方から飛び出した勇者たち

元来、この移動式の研ぎ屋商売はガリシア出身者の生業
とされていた。

イベリア半島北西、ポルトガルの上あたりの地方。

今でこそ「サンティアゴ巡礼道」が世界的に有名になり、
この地出身の洋服やさん「ZARA」も日本で人気、
近年の発展振りは注目されるところ。

しかしここ、実は長年に渡ってヨーロッパの中でも
最も貧しい地域の一つであったのだ。

地勢が険しく、気候の厳しい痩せたこの地に縛られて
細々と生き残る宿命を蹴りちらし、自ら体力だけを頼りに
飛び出した彼らは、まさに冒険者だったことだろう。

↓この研ぎ屋さんらへのオメナージュとして作られたドキュメンタリー
映画あり。アイトール・レイ監督脚本による2013年作品。
(以下予告編。英文字幕あり)

農工具を中心として肉屋魚屋の刃物類、彼らの需要は確実にあった。
スペイン国内に限らず、国外主に中南米へと渡航する者も多く、
遠いかの国々にて、まったく同じ研ぎ屋の笛の音が聞こえるのはそのせい…

● おっさん、おばさんを遠い目にさせる笛の音…

 

 

そして時は現代。農工具はすべて機械化され、
研磨機の導入によってこの研ぎ屋の需要はなくなり、
高齢化した研ぎ屋の諸氏も一人一人と姿を消していった。

冒頭に書いた「研ぎ屋の笛の音」というのも、
実は自分自身最後に聞いたのはいつか…思い出せない。

という話をすると、必ずや盛り上がるのが大体40代後半
以降の、「最近やたら昔話をする機会が増えた世代」w。

「うわーっ懐かしい!!」
「子供の頃を想いだすわ…」などとけたたましくなり、
やがて遠い目であの頃-まだペセタ通貨の時代で、
道に沢山子供がいて、暗くなるまで遊んでたのどかな時代-
と長く語ってくれるのだ。

…そしてついついこの国の滞在が長くなってしまった私にも、
このどこか物悲しいような笛の音が、心に染み入るようになってしまった。

いつかどこかで、ここスペインの思い出を語る時、
ふと耳の奥で小さく聞こえるんだろうと思う。
また懐かしいと感じるものが増えたのは、年齢を重ねた
証拠なんだけどw。


夏休みのしゅくだい

2018-07-03 23:36:48 | スペインがお題のコラム

今年は珍しく雨模様の日がだらだらと続き、
気がついたらいきなり鼻先に…という感じで夏が来た。

街にやたら子供の歓声が遅くまで響くな~と思ったら、
そう、学校は夏休みに入ったのだ。
6月後半から9月中旬まで(地方による)、約2ヶ月半

スペインの子供らの長ーーい夏休みが始まる。


↑これを読んで「ひゃ~お父さんお母さんが大変や!」と
思わずつぶやいた方は、恐らく小さいお子さんをお持ちの方かと。

「夫婦で交互に休みを取るの必至→一緒に休みはとれない」
「預けることができる実家がある人は、羨望のまなざしを浴びる」
「林間学校、キャンプ合宿等に放り込む→それはそれで金がかかる」

それに加え、「そんな長期間勉強しなかったらアホになる」
という不安感もあり。特に前期の成績が芳しくなかった子供の親は焦る。

そこで「夏休みのしゅくだい」。
親御さんの不安をなだめるかのごとく、多くの学校では「必読図書リスト」
だの、おさらいプリント、“夏休みの友”的なテキストなどを生徒に渡す。



“子供がイヤイヤやるものなど身にならない”、“いや、1日中TVの前で呆けてるよりまし”
など、これが本当に子供にとって良いのか、「夏休みのしゅくだい賛否議論」が
毎年初夏に行われるのは、日本でも同じことなのか。

● 紙も鉛筆もいらない、「マノロ先生のしゅくだい41項目」

そして今年も夏休みがスタートしたこの時期、
とある小学校で出された宿題がネット上で話題になった。


「紙も鉛筆もいらない41の宿題-
“マノロ先生”による独自な夏休みの宿題が、Facebook上で話題に」(エル・ムンド紙)

とある小学校にて(場所不定)、生徒らはマノロ先生に
ちょっと変わった宿題を書いたリストが渡された。

41項目という、びっくりする多さ。
おまけに「最低でも半分はやり遂げること!」との注意書き。
…しかしながらこれを受け取り、読んだ母親は、

“子供が学校に行き始めて以来、初めて夏休みの宿題を大いに楽しんで、
すべてに花マルをもらうことでしょう!”と両手を挙げて大歓迎、このプリントを
自身のFacebookに掲載したところ、1週間程で1万9000人の“いいね”が押され、
現時点で4万5000以上のシェアがあったとのこと。

…その気になる内容とは?
以下に書き出してみる。(ちょこっと意訳あり)
長いよ!

三年C組の夏休みのしゅくだい

  1. Ver amanecer / 日の出を見る
  2. Aprender a jugar a un juego de mesa o de cartas que desconocías
    知らなかったテーブルゲームや、カードゲームに挑戦してみる
  3. Llamar o mandarle un mensaje a 3 compañeros/as de clase
    クラスメート3人に電話してみる、もしくはメッセージを送ってみる
  4. Ver una película en familia 家族で映画を観る
  5. Hacer limonada casera y tomarla bien fresquita
    冷たい自家製レモネードを作って飲んでみる
  6. Mirar las estrellas un buen rato 星空をゆーったり眺めてみる
  7. Hacer helados o polos caseros 自家製アイスもしくはアイスキャンディーの製作
  8. Cuidar una planta 植物を育ててみる
  9. Comer una fruta o verdura recién cogida もぎたての果物、野菜を食べてみる
  10. Acostarte una noche muy tarde 夜更かししてみる
  11. Tirarte a la piscina y salpicar todo lo que puedas 大いに水しぶきを上げてプールに飛び込む
  12. Hacer un picnic en la playa o en el campo 浜辺や草原でピクニック 
  13. Hacer un collar o una pulsera para ti 自分のためのネックレスもしくはブレスレット製作 
  14. Ver fuegos artificiales 花火を観る
  15. Visitar un museo o una exposición 美術館や展覧会に行ってみる
  16. Diviértete con globos de agua 水風船で遊ぶ
  17. Visitar una ciudad o un pueblo que no conozcas 知らない街や村を訪れてみる
  18. Mirar las nubes y ponerles forma 雲を眺めてその形であれこれ想像する
  19. Disfruta de tus amigos/as y familiares 友だちや家族と楽しく過ごす
  20. Haz deporte, canta, baila y juega スポーツをする、歌う、踊る、遊ぶ
  21. Quiérete, cree en ti y cuídate 自分のことを愛し、信じて大切にする
  22. Disfrázate 仮装してみる
  23. Caminar un buen rato sin zapatos. 裸足でずっと過ごしてみる
  24. Construir un castillo de arena legendario 砂で伝説の城を製作 
  25. Hacer una ruta en bici o patinando 自転車もしくはローラースケートでぐるっとひとっ走り
  26. Escribir y mandar una postal. 絵葉書を書いて送る
  27. Recoger conchas en la playa. 浜辺で貝殻を拾う
  28. No tirar nunca nada de basura al suelo, en la playa o en el campo
    浜辺や野原でゴミを捨てない
  29. Leer dos libros y algunos cómics 本2冊、あとマンガとかも読む
  30. Aprender a cocinar algún plato, con algún adulto
    大人と一緒に何か一つできる料理を学ぶ
  31. Lanzarte por un tobogán en el que nunca habías estado
    挑戦したことない滑り台に挑戦してみる
  32. Aprender a hacer algo nuevo 何か新しいことを学んでみる
  33. Comer brochetas de fruta フルーツ串なるものを食べてみる
  34. Reírte hasta que duelan las mejillas 頬っぺたが痛くなるまで笑いこける
  35. Dar todos los días al menos tres abrazos 毎日最低3回は誰かにハグ
  36. Pintar y decorar piedras 石に彩色してデコレーションしてみる
  37. Visitar una biblioteca 図書館にいく
  38. Decir te quiero mirando a los ojos. 「愛してる」と相手の目をみて言う
  39. Vuela una cometa 凧を揚げてみる
  40. Ocuparse de al menos dos tareas del hogar 家事の最低2つは自分担当にしてみる
  41. Hacer dos amigos/as nuevos 新しい友達を2人作る
…どうですか?
あなたはこの41項目を読んでみてどう感じたでしょうかね?

これらのすべては、対象とした年齢8-9歳位の子供らが無理なくできることだ。
もちろん紙も鉛筆もいらない。
それどころか、“やりたい!やりたい!”と歓声を上げて飛びつくことも多い。

そして私たちはどうだろう?

読み進んでいくうちに、何か心の澱んだ部分を打つものがないだろうか?
もう何年星空をゆっくり眺めてないことだろう?
いつから頬っぺたが痛くなるほど笑ってないんだろう?
誰かから目を見て愛してると言われ、“自分を信じて大切に”といつ、言われたことか?

41項目になる“マノロ先生の宿題”はその生徒に限らず、彼らの親の心に響く。
そして自分らの子供時代ー日が暮れるの惜しんでキャッチボール、
おばあちゃんが作ってくれた甘いカルピス、おそうめん、
どきどきするほど綺麗だった花火や夏の夕餉のなごやかさを思い出す。
そしてそれぞれの、形は違うこそすれ、「愛された記憶」。

…そんなことを思い巡らすこの「マノロ先生の宿題」。
久しぶりに自分の子供時代の夏休みを想い出し、なんともいえぬトロンとした
気分に浸ることができました。

限界バルを訪れる~スペインバル雑感(2)

2017-10-11 20:28:13 | スペインがお題のコラム

いつも代わり映えしない…と嘆きつつも、時々のご近所散策は楽しい。

あそこにあった店がいつの間に…とか、
あれ?こんな店あったっけ?

(街角アートの多い地区近くに住んでます)
お、この木はこんな立派な花が咲くんだ…
なんだこのラクガキ的なもんは…とか。

(お気に入りでしょうがない、元保育所の入り口のイラスト)

見飽きたと思っていた通りにふと見つけるもの、意外と多いのだ。

で。

ある日もいつものごとく、ご近所散策。

そして眺める見慣れた店の並び…花屋さん、靴屋さん、肉屋さん…その間に、なぜか見てしまった。
何百回も通ってる通りに、見たことない古ぼけたバルを。

…いや…バルを見たというより、「無人バルのカウンター内に独りボーっと立ったお婆ちゃん図」、が
サブリミナル効果的に瞬間目に飛び込んだのだ

…え?…こんなとこにバルあったっけ?

再び引き返し、通ってみる。あった。

 バル、その名は「El Panadero/パン屋」(爆)。

まあこんな風に、昔やってた商売を屋号にするバルは割と多い。

外観が薄暗く、築50年以上の建物によくある地味な黒鉄扉。

ガラス越しからは、さっきのお婆が同じ姿勢でいてるのが見えるのみ。
(ご本人には大変失礼だが、霊とかじゃなくてよかった…)

…勇気を出して…入ってみました!

● めくるめく昭和ワールド

 

割と広い。
そして何も無い。タベモノの匂いもしない。音楽なし。
カウンター角にノボーッと立つ、ムームードレスみたいのを着た婆。

話しかけようとすると、突然奥からその娘らしき小婆がいそいそと出てきてくれた。

「いらっしゃいませ?」

…そう、客が極端に少ない店においては、訪問者が客なのか、
いやどこかと間違えて入ってきた者、もしくはセールスの者なのか判断がつかず、
最初の挨拶に疑問符「?」がついてしまう…これは日本の場末の店でも同じだ。

更にこちらはどうみてもガイジン顔。
“言葉わかんなかったらどうしよう?”の小婆のひるみも感じる。

ふとみると、大婆はさっきは見えてなかったハンチング帽の爺客に、赤ワインを注いでいる。
じゃあ私も…と言いかけたが、そのスクリューキャップのボトルワインが、自分が学生時代
“目潰しワイン”と呼んでた、二日酔い必至の激安ワインだ。

「コーヒーお願いします。」
「あ、はいはい、コーヒーね、はいはいただ今!」
ほっとした小婆は今まで掃除に使ってたらしいモップを置くと、よたよたと
カウンター内で準備を始めた。



扇風機、椅子、カウンターどれも高級なものは一つもないが、“一つも捨ててない”調度品の数々…
時間が止まった、まさに昭和ワールドを作り上げていた。

この地区はサラマンカが建築ブームになっていた頃、建設関係の労働者が多く住んでいたらしい。
恐らく彼らのための昼定食を供して賑わっていたのか…やたら広い台所、そこから皿を出す
小窓が残っている。 当時はお腹を空かせた客らでわいわい賑やかだったことだろう。

安い合板のテーブル。…拭き過ぎて木目調デザインが消えまくり。
ミルクコーヒー(とあえて呼びたい)を供すカップと皿は60年代デザイン。

コーヒーの味は…意外にもふつーだった。
店内はシンとしており、台所の水音がチョロチョロと響くのみ。
なんか小婆に話しかけづらく、お代1ユーロを払って早々に出てきてしまった。

まさに閉店間近、最後の日々を送る昭和バルは、
私にはあまりにもノスタルジー色が濃すぎて、沈黙が重すぎたのかもしれない。

● いやそこで終わらないオチが

と、中途半端な“限界バル訪問”になってしまい、
いやこれではいかん、せめて小婆に昔話でも聴いて置かねば…と思いつつ
野暮用で日々は過ぎていく。

とある夕方、思い立ってこのバルに向かう。
すでに日は暮れはじめ、街灯がつき始める中。
“もうすでに閉店してるのでは…”というこちらの思惑を裏切り、
店内は意外にも煌々と電気が…

なんとそこには「小婆を囲むように、結構な人数の爺がビールを片手に朗らかに談笑」の図が!
(あくまでもイメージ図ですw)

常連らしき爺らは軽くカウンターに肘、片足ステップ掛けの「小粋なちょいワルポーズ」
でビール小瓶片手。

小婆の位置はまさに「お姫様状態」。誰かが言った冗談を受けて、艶色の笑顔で
弾けるように笑っている。昼間のモップ姿とは雲泥の差。

(上記描写は店前3回通って確認。すごい身内パーテー感にひるんでどうしても入れなかったw)

そう、ここは単に鄙びた、閉店を待つだけの寂しい限界バルではなく、実は
「シルバー世代の憩いの場」として立派に現役活躍していたのだ。
ノスタルジー~とか独り酔ってた自分がアホらしくなった。

●密かに、根強く、結構あるこれ系の場所

これらの“限界バル”がひっそりと、しぶとく生き延びる理由はあれこれある。

まずは「物件が自分名義」。
儲けは少ないが、家賃かからず、最低の経費でやってける。
そして「年金支給開始がすぐそこ」。
それまでは物件貸出せず、のんびりラストまでやっていく方針らしい。

割安のお値段で飲食提供するとあって、これらの場所が、シルバー系地元民の集会場所
になってるところは多い。

今年初夏で閉店した、私の自宅裏のバル「バレンシア」もそうだった。
やはり地味な店構え、古ぼけた店内で、客入るのか?と他人事ながら心配してたのに…

(古ぼけた装飾品は替えた形跡なし…)

実はここが「週末は熟年世代の歌って踊れるプライベート・スナックに変身」するのだと
連れて行ってくれたのは年配の友人Mさんだった。

金曜日のもう深夜。道に人影はほぼなしの住宅街。
バル「バレンシア」のシャッターは7割程下ろされ、そこから光が漏れている。
外から合図をするとガラガラと上げてくれるのは、秘密倶楽部のごときスタイル。

中には10人程の中年~老年世代の皆さん。皆さんウィスキーだの、ジンを片手に談笑中。
店奥のTV画面には選曲ページ表示で、“懐かしの70年代スペインポップ”リストを
結構真剣に吟味している。
(選曲姿は真剣そのもの)

やがて音楽がスタートすると、ごきげんの皆さんは“イェーイ!”という感じで
合唱しだし、踊りだす。

おそらく普段は自分の息子娘、あるいは孫らには見せないだろう、
寛ぎ切ったいたずらっ子のような表情…

いやはやこの“限界バル”がこんなホットな場所だったとは、予想もしなかった!
(その後、ほぼパンダ扱いされた新参者の自分。先に帰るな~の声を背に店を出たのは午前3時…
なんなのあの体力!)



経済危機以降、経営困難のバルが相次ぎ、閉店に追い込まれたバルはスペイン全国で3万件以上。
しかし閉店数も2015年あたりに頭打ちとなり、若干快復の兆しありとのこと。

人口比のバル軒数が世界一を誇るらしいこの国。
若者のバル離れ、個人経営店舗の経営難など問題はあるものの、
それでもしぶとく、世界最後の日になっても、恐らく絶対無くならないだろうこのバル文化。

その底力をまざまざと見せてくれた“限界バルたち”の報告が以上でした~


アバニコ。スペイン扇子のすすめ

2017-07-01 21:16:57 | スペインがお題のコラム

今年の猛暑はいきなり6月から始まった。

連日40度近くをウロウロする街の温度計。

息をするのも苦しいような熱風に吹き付けられ、
焼きつけるような石畳からの照り返しで、視界は真っ白。
昼過ぎからずっと街に人気なし。

やっと暑さも緩みはじめた7時過ぎ頃、テラスや公園の木陰などで扇子を使う女性を見かける。

 
スペインのイメージといえば、「サッカー、闘牛、そしてフラメンコ」。
その中のフラメンコのイメージといえば、↓こんな感じでフラメンコダンサーが派手扇子を掲げて
艶美に微笑む…なんてのが固定されているためか、
(確かうちの実家にも似たのがあるはずだ…)

「あぁ…やっぱフラメンコの国だからみんな扇子持ってるんだ…」
といわれて、いやちょっと!て言うか、全然ちがうのぉおお~!と口を動かさないで言ってしまう自分だ。
(…わからない方は、“フラメンコ”の所に“芸者”と入れてみなされ)

●上流婦人の間で大流行の贅沢オサレポイントだった

そもそも扇子の原型自体、その発祥は日本だった!という説が有力。

ウチワは古くから、世界の至る所で生まれていた。
中国では南北朝時代あたりから、豪華、贅を尽くした芸術品ウチワが多産。
これが日本に持ち込まれるや、“折畳み式ウチワ”が発明され、中国に逆輸入の形で渡って広まったとのこと。

“折畳んでみる”という発想がいかにも日本っぽいんだけど、
中国では意外と(?)うけなくて、せいぜい妓女の小道具位に使われる程度で、普及に時間がかかる。
これが後にヨーロッパに伝わるのは、ポルトガル商人らが中国との交易をもつ15世紀頃。

その後17世紀になると、ヨーロッパ各国の社交界において爆発的流行がくる。
スペインでも数々の扇職人が生まれ、またその絵付に著名な画家が筆を揮った。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/La_dama_del_abanico%2C_por_Diego_Vel%C3%A1zquez.jpg/300px-La_dama_del_abanico%2C_por_Diego_Vel%C3%A1zquez.jpg(「扇子を持つ婦人」ディエゴ・ベラスケス 1635年)
フランスやイタリアに大きく遅れをとり、スペインの扇子産業が大きく動き始めたのは18世紀後半。
その頃にはバレンシアに王立扇子製造所も造られ、マドリッドの中心には多くの製造所が軒を並べたという。

何世紀にも渡り、ヨーロッパの貴婦人に愛された扇子。
その素材にもいくらでも凝れる。(骨部分は象牙、香木等、扇面は絹や刺繍等)
また小さなキャンパスとして、著名画家に絵を描かせたり…ご婦人らが「密かに自分アイデンティティ表現」
できる、格好の小道具だったと思われ。

「密かな自分表現」といえば、扇子の動きでそっと自分の気持ちを殿方に伝えるという、
「お扇子言葉」も大流行した。
←全部一通りやってみたけど(笑)めんどくさい…
これが、特にスペインにおいて大流行となり、「お扇子言葉辞典」まで出ていたとは…

その後この扇子が庶民に広がったのは19世紀頃、フラメンコの踊りに取り入れられる
ようになったのもこの頃では…と思われる。

著名画家によって描かれた、扇子を小道具にした婦人画は実に多い。

どっちもピカソね。

一つ「扇子と婦人画コレクション」の動画を見つけたので貼っときます↓
よくこんだけ集めたな~!と感心。



●現代のお扇子
 
他国に遅れをとって始まった扇子産業が、最終的には現代まで引き継がれることになったこと、
この国の、特に南部の暑さをしのぐ実用品であったこと、
フラメンコでの扇子使いがスペインのイメージとして定着したこと、
…いろんな理由から、アバニコ-スペイン扇子は国を代表するグッズの1つとなっている。

アバニコ各種を売る老舗専門店もある。
http://blog.hotelmurillo.com/wp-content/uploads/2013/07/abanicos-sevillanos.jpg

お値段は安いのは国産で2ユーロ位から、上は天井知らず。今まで見た最高価格は800ユーロ。
*ネットショップでチェックしてみてね→伝統衣装専門店ホアン・フォロンダ

種類はサイズ様々。一番大ぶりの「ペリコン」と呼ばれる扇子は主にダンス用。


花嫁必携のの白レース刺繍のアバニコは、贅を尽くしたい一品。
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/46/a9/99/46a9991bff078d076ee819c646080177.jpg
それ以外に…最近スペインのハイソなご婦人方の間で密かに流行ってるらしい
リッチな感じの「アバニコ・ペンダント」。
王室御用達…

有名デザイナーによるアバニコ頒布会シリーズみたいなのもあったな~

あと…ほんとまったく関係ないんですが…こっちの食肉界で、主に豚肉の「アバニコ」というと、
外バラ、アバラ肉の一部をいいます。サシが入ってて美味しい人気部類です…


●お上から来たアバニコのすすめ

こんな感じで庶民生活の実用品として、また装飾品、ダンス用品として馴染んでるアバニコ。

それが今年初夏、全国ニュースで大いに注目されることとなった。
前出の通り、6月に入っていきなりの熱波到来。
全国的に猛暑注意報が出され、40度近い気温が何日も続く。

特に首都マドリッドの被害は大きく、病院の緊急外来は熱中症の症状を訴える
人々で混乱を極めたとの事。その多くは子供とお年寄り。

冷房設備の無い公立小中学校、高等学校において、不調を訴える生徒が続出。
この国での労働環境保護法では、室内労働における最高気温が27度と決められているものの、
これらの学校の教室ではなんと35度を超える。そりゃ具合悪くなるはずだ…

もちろん地元保護者団体からの自治州への抗議が続く中、
マドリッドの厚生局理事長のラファエル・S・マルトス氏が、

「冷房入れればいいってもんじゃない。生徒にアバニコを持たせればいいじゃん?
という由の発言をしてしまい、その日の猛暑で全国民、疲れてたのも手伝って、正に炎上。

“冷房は目にもよくない”、“昔ながらの手作りアバニコを教えるのも、教育”などと付け加えるものの、
-とある小学校では、あまりの猛暑から生徒らを避難させようと、近所の葬儀所に皆駆け込んだ…
などと皮肉な笑話のようなニュースが出る中、正に焚火にガソリン、的な発言だったらしい。

ちなみに彼がいう、昔からのアバニコの作り方はこれとのこと↓
ほんと「おまえがやれよ」的なもんだが…こういう付け焼刃的な政策とかって、日本のお家芸じゃなかったのねw



●私のアバニコのすすめ


これだけアバニコのことを話しておきながら、何なんですが…
自分で使うこともなく、長年ちょっと苦手だったってのがある。

日本人的には大ぶり過ぎて、“周囲の空気を強欲に掻き集める”印象。
色も柄も派手過ぎ。
木製が多く、開くときに「じゃらあああっ!」、振り出すと「しゃかしゃかしゃかあああっ!」 
と、“あんたなんでソロバン持ってんの?”的派手音を放つ。

つまり主張が強すぎるんだ。(日本へのおみやげにしようとして、何度断念したか)

…そうだったのだけれど…

この国に居座ること何十年。
毎年繰り返される暑い夏。
夕涼みのテラスで、またこんな感じの↓即席ご近所おばあちゃん集会にて。

村や郊外にて、おばはんらの夏の夕涼み光景。ノスタルジック…

何度とこのシャカシャカ音を聞き長らえたことか、わからない。

遅い時間にやっと日が沈み、ゆるゆると生暖かい風が出始め、
街の喧騒も落ち着き、お互いの顔が見づらくなるまで、
このシャカシャカ音をバックに、延々と続く噂話や昔話…

やがて、「蚊取り線香の匂い→日本の夏」、みたいな感じで、どうやら
「アバニコのシャカシャカ音→スペインの夏」と自分の肌に刷り込まれてしまったらしい。
音と香りは、記憶をつなぎ止める良きアイテムだな。

あれほど派手だ、うるさいと感じていたアバニコが、自分にしっくり馴染むまで
随分の時間が経ってしまったわけで。

 


スペインを代表する歌はどれなんだ?

2017-03-09 20:46:59 | スペインがお題のコラム

「日本の代表的な歌を唄ってくれ!」
とリクエストされたことはないですか?(それもアカペラで)

いろんな国、地方の方々が集まっている場にて。

国際交流パーティーの盛り上がり最中とか、
留学先の語学学校のグループ会話レッスンの時とか。

(←こんな感じのプレッシャーの中ww)

“お酒の席で必ず皆で唄う歌”だの、
その国産まれの世界的ヒット曲など、
それぞれの国の方がノリノリで唄って盛り上がる中、

きっとあなたは
「…何歌えばいいのぉぉぉ~!(涙)」と途方にくれる。

なぜか。

日本の代表曲→短調、スローテンポ、しみじみ曲が多いから。
「花」、「上を向いて歩こう」、「さくらさくら」…日本情緒タップリの歌ほどしみじみ感が多く
“このノリノリの雰囲気をクールダウンさせてしまう予感充分”なのだ。



カラオケ発祥の国から出てきてこの有様。
“何でもいいから~国歌でもいいし!”と言われ、ならばと君が代を斉唱して
場を黙祷状態に凍らしてしまった経験もあり

だから意外と難しいのだ…ご当地ソング歌唱は!

では…スペインを代表する歌といえば?


●世界的ヒットだったフラメンコ・ポップの「マカレナ」と「アセレヘ」

まず最初にでてくるのは90年代に大ヒット、カンナムスタイル並に
そのダンスが世界中で踊りまくられたロス・デルリオの「マカレナ」。

そしてやっぱりダンス付で02年大ヒット、ザ・ケチャップの「アセレヘ」

世界ヒットなどなかなか生産しないこの国では、かなりの衝撃的だった。
日本でも流行ったので、聞いたことあるはず。
年々古くなりつつありつつも、未だにスペイン代表曲と思われているふしあり。

ただし、「こんなの代表曲とか思わんでくれ」的なことをよく言われる。
確かに前者はアンダルシア色の濃い歌、後者はほぼ意味なし歌詞の、夏のアホ歌。
国外ヒットしちゃったから、スペイン代表になっちゃいました~感が高し。

●スペイン代表歌=パソドブレとコプラ(フラメンコじゃないんだ)

 一方でスペインと言えば、イメージ曲としてこの曲が必ずでてくる。
「エスパーニャ・カニ」


この“オイチ、ニ!オイチ、ニ!”の元気なツーステップリズムがパソドブレ
もともとは軍隊での歩兵行進の時に使われていたマーチ、これが闘牛の際の士気高揚の
音楽ともなり、簡単なステップで村祭などで皆が踊れるダンスとしてポピュラーになった。
(ビデオは社交ダンスの華麗なステップ。ラテンダンスの一種として昇華したもの)

この元気なマーチ風音楽は人気が高く、1920年代付近に量産されたらしい。
「パキート・エル・チョコラテロ」
パーティーでは必ずやかかるパソドブレ。これに合わせてグループで、ジェンカみたいに踊り狂うのが定番。


いっぽうコプラという、スペイン心の歌ジャンル。言ってみれば“スペイン演歌”が
40年代位から爆発的に広まる。情緒的な歌詞を独自のこぶし、歌唱法で歌い上げるコプラ
の人気は根強く、今日に至る。

このコプラ界の重鎮、マノロ・エスコバル氏がパソドブレのリズム歌った73年のヒット曲、
「イ・ビバ・エスパーニャ」をほぼスペイン第二の国歌という人は多い。


我が祖国、エスパーニャ賛歌そのもの。ヒット当時はヨーロッパ他国に
出稼ぎに出たスペイン人が多く、この曲を聴いて自らを励まし、時には
望郷の念にかられてむせび泣いた…という話をご老人から聞いた。

今でもサビの“ビーバーエスパーニャー!”の部分は、若い世代でさえ
サッカー応援などの際にがなりたてる。

やっぱりこの曲がスペイン代表歌かな~

●多彩なご当地ソング、多すぎ

各地のご当地ソングを調べてみると、やはり先程のパソドブレの
古臭い曲が圧倒的に多い。これは60年代後半以降、政府の奨励もあって
次々に生まれたものとおぼしいが、全部同じに聞こえるw

ちなみにここサラマンカのご当地ソングは地元出身ラファエル・ファリーナ氏の歌う
名曲「我がサラマンカ」。ご本人銅像も市内にそびえる。


それでも次世代、別ジャンルのご当地ソングも多い。
バルセロナの場合、ペレ氏の「バルセロナ・エチセラ」がご当地ソング。
“カタルーニャ風ルンバ”というスパニッシュルンバの軽さがいい。


マドリッドは地元の生んだスペイン版ボブ・ディラン、ホアキン・サビーナ氏のフォークソング。

北のアストゥリアス地方は伝統の、のどかな“国歌”がある。

南に行ってマラガのはなんとラップ!ゴルド・マスターの「マラガシティ」

…もっとあるけどページが重くなりすぎたからやめますw

地元愛、自分の村一番!意識が強く、まとまりのつかない国、スペイン。
それだけに、実は“スペインを代表する歌”を限定するのが難しい。
ていうか、すごく揉めるお題。(さっきのビバエスパーニャだって嫌う人も多い)

でもいいんじゃないかね。自然で。
全国統一!国民皆同じ!みたいなキナくさい考えより。


 

 

 




 

 

 


スペインの女正月…やがて悲しき聖女アガタの夜

2017-02-03 14:27:06 | スペインがお題のコラム

クリスマス、年末年始のお祭り騒ぎがようやく過ぎ、
なにかぼーっとした気分↑で向かえてしまう2月。

…朝起きても夜。寒い。すぐ日が暮れる。1日曇り空。
なーんにもしなくても自分がどんどんウツ気分に落ちていくのがわかる…

この時期にあるカーニバルという、“ひたすらバカ騒ぎ”というか、“踊らにゃそんそん”的
伝統的な行事というのは、「皆でこのウツウツ気分を晴らそうじゃないか?!」という
気持ちが動いてできたものと思われる。

このカーニバルの前哨戦というか、またバレンタインデーよりも早く、
聖女アガタ(サンタ・アゲダ)祭というのが2月5日~7日まで毎年この国の各地で祝われる。

一言で言えば、スペインの女正月である。
(*地方によって違いがあります)

年末年始、料理や接待に多忙を極めた主婦らを労い、慎ましく祝う
女正月…と聞いてこんな↓場面を想像したあなた、違います

1.スペインでの女正月とは?

まず役所にて市町村長より、厳かに官杖の譲渡式が行われ、
その日1日の街の権威を女性らが占めることが宣言される。



その後女性の団体は歌い踊って街を練り歩き、運悪く(?)通りかかった
男性らに“お布施”を要求。これを軍資金にして、その日のパーティーが開催されるというわけ。



この日が近くなるとあちこちのレストランやメソンで見る、
「聖女アガタ祭特別ランチ、ディナー団体予約受けます!」の広告。なぜか「ショー付」が多い





この日は「既婚未婚を問わず、女同士でわいわい騒いでOK!無礼講の日」
それを見込んでボーイズストリップショー付ディナーというのも近年流行ったわけで。

2. そもそもこの祭の主人公、聖女アガタ(スペイン名はアゲダ)とは?



3世紀。シチリア島のカタニアの貴族の娘として生まれる。
美しく、教養豊かなアガタは、島の知事からの求婚
を断ったことから恨みを買い、
キリスト教徒であった彼女は法廷に引き出された。ローマ皇帝による厳しいキリスト教弾圧下、

信仰を捨てさせるためアガタは乳房を切り取られる(ひぃぃぃっ!)という拷問を受けた。

衰弱しきってもなお祈り続ける彼女のところに聖ペトロが現われ、その奇跡によって治癒される。
決して信仰を捨てない彼女は、ついに炭火と焼けつく石の上を引きずられ、牢獄の中で息を引き取った。

よって聖女アガタは“女性性の守護神”である…とのこと。

3.女正月、やがて悲しきの理由

この祭、ここサラマンカを含むカスティージャ・レオン州に多く見られる。

街角でおばさん集団に囲まれて、泣く泣く財布を空にしてるおっさんも見たし、
夜にはハデハデスーツに身を固めた女性陣がディスコで沸き返っている様子も見た。

とにかくそのテンションの高さが引くほど。

(写真は聖女アガタにちなんだおっぱいパン)

が…この祭、年々流行らなくなってる気配あり。
参加者はおばあちゃんの年齢域の方々のみになっている。
そりゃそうだ、女性が好きな時に出かけられる自由な時代が来て久しいのだから。

農村出身の年配の男性が、はっきりと「消えて欲しい因習だな」と語る。

「ちょっと前までは、女性が遊びに出かけるなんて本当にこの日しかなかった」
「出かけたのはいいが、帰りが遅いだなんだと旦那に散々叱られ」
「聖女アゲタの日の“おしおき”なる傷跡、やけど跡をかかえた女性を何人みたことか」

…はっきり言おう。この国のマチズモの風潮は未だ根強い。
この話だけでいくらでも書けるが、そもそも“女~”なる伝統がある事自体がそれを語る。

昨年の2016年だけで、パートナーからの暴力で40名の女性が命を落としている。
彼女らが聖女アガタのご加護の元にあらんことを…

http://www.hinojosadelduque.es/sites/default/files/mano_violencia_genero_0.jpg

4.そしておっぱい

女性性の象徴である乳房を切り取られた、聖女アガタは絵画の題材としてしばし登場。



切り取られたおっぱいをにこやかに抱える姿がちょっと怖いが(涙)
このおっぱい型から、昔はパン職人、鐘職人の守護神であったそう。

近代においては乳がん患者の守護聖人となっている。

奇しくも先月23日、この国で有名なアーティスト、世界的なモデルとしても活躍していた
ビンバ・ボセ氏が41歳の若さで亡くなった。乳がんだった。

2014年に手術。その後肝臓や脳への転移が見つかり、闘病生活を
公開し、活動を続けていた。

マニッシュな雰囲気の素敵なモデルで、叔父の歌手ミゲル・ボセとの共演など
なかなかおもしろい活動をしてた人。

…彼女の死後、ツィッターでまさに死者を踏み躙るような嘲笑コメントが散見され、
(訳すのさえ気分が悪くなるような無記名コメント)警察も動いたスキャンダル
となっている。

セクシュアリティをネタに、他人の人生をほじくり返す魔女狩り行為-
おっぱい切られた聖女アガタの3世紀の時代と、なんの変わりがあるのかね?怒

まだまだ遠い春の訪れをじっと…いつまで待つんだろう?
おっぱいパンを齧りながら、ため息一つもでるってもんです…

 


年末になると出てくるあの人は誰だ?

2016-11-04 21:55:25 | スペインがお題のコラム

ハロウィン騒ぎにごまかされてたけど、もう年末はすぐそこ。
クリスマスグッズや菓子なんぞはとっくの昔に販売開始。

そして…来年用のシステム手帳や、カレンダー。
スマホの普及で随分少なくなったというけど、意外と根強く人気だそうで。

近所の古い文房具屋がさっそく売り始めた模様。

ジジババの多い、保守系の街らしく「イエスの言葉日めくりカレンダー」
「ローマ法王御姿カレンダー」などが定番で売ってる。
そして毎年みかける、このオレンジの暦本らしきもの…



これ。
表題 「サラゴサノ・カレンダー/天文暦/スペイン全土カバー2017年版」

http://www.discimadevilla.com/imagenes/9788493/978849387498.JPG

この時期になると本屋やキオスクでちらほら見かけるんだけど…誰だ?このおっさん?
更に違うバージョンまで出てる。↓ 壁掛け用

http://www.calendadistribuciones.com/images/upload/calendario_zaragozano_pared.jpg

↓生活暦+天文暦セットでお得(微妙に何がお得なのか知らんが…)

http://www.discimadevilla.com/imagenes/9788493/978849387497.JPG

まいっ年毎年、この古本屋から出てきたようなデザインの小冊子を見かける年末。
現地人に聞いても意外に“へ?”って感じで知らない人が多い。

で、結局何かというと、
この方↑はマリアノ・カスティージョ・オクシエロ氏というサラゴサのとある村出身の方。

http://www.calendariozaragozano.net/upload/mariano_castillo_ocsiero.jpg

すでに19の齢から気象学を学び、独自の研究、調査により、天気予報システムを開発。
これで一儲けできるかも?と1840年(天保11年)にこの予想を含めた天文暦の発売してみた。

それがなんと初版から農村間で爆発的に売れた

日本でいえば江戸後期。気象衛星もアメダスも、お天気お姉さん何もない時代。
その年の植付、収穫時期の決定に、農村の人々は頼るもの一切なし。せいぜい“村の古老の記憶”ぐらい。
そこに現れたこの小冊子。大変な信頼を受けたらしい。

“スペインのコペルニクス”なる、立派な紳士による天気予想。
日々の天文暦…日の入没の時間、星座、月の満ち欠けなど。
そして教会暦。日々の聖人名。(←どっぷりカトリックなこの国では重要)
スペイン全土における守護聖人聖女の日暦。
また全国で開かれる農作、畜産市のカレンダー。
ちょっとした諺や格言。

http://3.bp.blogspot.com/_-XmwcaRvP9c/TFnnaop5fTI/AAAAAAAABzs/HDUjUkCFl9g/s1600/ago10.jpg

まさに実用一筋、ためになる小冊子!
農村各家庭には、恐らく聖書の横に必ずや見かけられたものと思われる。
(以前も書いた通り、スペインの文盲率は1900年で45%だったのだが…)

…それが初版から170年以上経ち、
表紙のデザインはちっとも変わらず、
天気予想のシステムも変わらず(著者の子孫が受け継いでいる模様)、
なんと未だ年間発売部数16万部越え!! 日本のヘタなトレンド情報誌より売れてるし!
信仰に近い信用を得てるのか?この暦本。

なんか日本で年末年始にみかける高島暦を思い出すな…↓

http://suzuran-kigyo.co.jp/miyawaki/wp/wp-content/uploads/2012/09/IMG_0533.jpg

ま、それはおいといて。

現在では、このサラゴサノ・カレンダーなるもの、もちろん出版社のHPもあり、
詳しくのその歴史等を語っている。そして読者の方々とのエピソードも。

“ピレネー山脈にある小村より、毎年家族で街に買いに行きました…(90才の女性より)”

“ソリアの村々では毎年盲目のおこもさんが売りに来ており、道迷いをせぬようにとロバを貸したものでした(95才男性より)”

“自分の生まれ年の冊子を購入されたいというご希望を、多く承っております…”

などとなんとも牧歌的なしみじみな話を紹介している。
長年、スペインの農村の風景の中に溶け込んできた小冊子。ほぼ博物館行きながら未だ健在。

筆者、マリアノ氏はその生涯にてしっかりと成功を収め、若い婦人と三度も結婚し、54才にて逝去。
病床にあった最後の日に残した、大きな被害与える雹が降る…という遺言はしっかり当たったらしい。


古本と遊ぶ、小さな楽しみ

2016-10-19 19:39:44 | スペインがお題のコラム

毎晩のことなのだけど。

数冊の本を抱えてベッドに潜り込み、
“あーたたた”などとひとりごちながら冷たいシーツを足で掻き分けて定位置をつくり、
よ~し、みたいな感じでページをめくる時の小幸感は、何事にも代えがたい。

まあ最近は本がスマホに代わる晩が多くて、けしからん!と自分でも思ってる。
…本もスマホも目に良くないのはわかってるんだけど。

私のクセであれこれ何冊も持ち込んで、こっちをちょっと読み、あっちを眺め、
してるうちにまぶたが落ちてきて本日終了、となる。彼ら(本)は翌朝枕の下で発見される。

で、ここ数週間、私が「超絶の寝落ち本」と呼んでる本がある↓


「スペイン料理を巡る旅」(勝手に意訳)
1969年(昭和44年)出版 著者 ルイス・アントニオ・デ・ベガ

著者は明治33年のスペイン北部、バスク地方のビルバオ生まれ。
当時アラブ言語文化研究家として著名な方で、また美食家、ワイン通としても
知られていたらしい。

古い料理本、グルメ本が好きな自分が題名で飛びついた安い古本。
…それがなぜ超絶の寝落ち本と化したか?

まずはスペイン語である上に、少々古い表現多し。
活字がフォント8で極小、活版印刷の古い字体で異常に読みにくく、怒り出すレベル。
古い時代の岩波文庫を思い出す。

そして内容が…まだ半分も読んでないのに偉そうに言えないけど、
「ジジイの美食想い出話、独り語り」だというのはわかった。(出版時、著者は69歳)

http://tussabores.com/blog/wp-content/uploads/2014/09/Breve-historia-de-la-cocina-espa%C3%B1ola.jpg

文芸春秋に出てるどっかの社長のミニエッセーとか、
高級グルメ雑誌「四季の味」に出てる、引退された財界大物の食歳時記とかを彷彿とさせる。

「…先の戦争が起こる前(スペイン市民戦争1936-39年)には○○通りあたりにはxxという食堂持つ倶楽部があり…」だの、
「○○君(←誰?知らん)にそんな食べ方は邪道だと失笑された」
という感じの白黒トーンの語り、それに数々のレシピざっくり紹介があり、という感じ。

しかしながらまあ、イベリア半島を実にくまなく歩き回り、方々の小さな村々まで辿り着き、
あれだこれだと食べ尽くしたもんだと感心する。無論裕福なお家の出であったことには違いない。
1900年のスペイン文盲率45%、後に10%を切るまで70年かかった…そんな時代に、食道楽の旅。大変なゼイタクであったと察する。
http://2.bp.blogspot.com/_oY8HzU9dm60/TRS-pTtSUjI/AAAAAAAABRA/Ds94pKZKubk/s1600/segadores1950.jpg
1頁読んでは撃沈、また1頁…
とやっていくうち、「おや?」と鎌首をもたげるように起き上がってしまうような耳新しい、興味を引く話にあたり、
これは…と神妙にスマホで検索開始→どんどんハマる→気がついたら朝の4時(涙)!ってことを何回かやってしまった。

最後に夜更かししてしまったのはバスク/ナバラ地方の話において。
http://kimmy2209.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_802/kimmy2209/photo10.gif?c=a0
本人バスク人とあり、さすがに地元の話となると調子よく、筆が滑り気味の章内にて。
以下3つの新しい言葉に出会ったので、備忘記兼ねてちょっとご紹介。

●Hamarretakoアマレタコ/Hamaiketakoアマイケタコ( 10時もしくは11時にとる、昼食前の軽食。バスク語)

この国の1日の食事のメインは昼食にあり、午後2時~4時に摂る。
でも朝はふっつーに早いため、その中継ぎの食事がこれ。他地方ではOnce(オンセ、11時の意)と呼ぶ。
まあ軽くタパス、ミニサンド等をつまむ程度か。
http://www.elcorreo.com/vizcaya/ocio/noticias/201310/23/Media/hamaiketako-ninos--300x180.jpg
しかし、この本によると、この小昼食の典型的メニューは「目玉焼き2ツ、たっぷり厚切りハム、ワイン半リットル」
であると言い張っており、数時間後の大昼食前に↓こんなものを食すのだ、とのこと。
https://mjtabar.files.wordpress.com/2015/08/img-20140706-wa0019.jpg
激しい肉体労働に従事する農村のものである…と思いたい。

●Tripasaiトリパサイ(大食いのこと)

スペイン北、バスク地方の大食い伝説を物語る言葉。
この地には伝統として会員制のグルメ倶楽部(自分らで調理)が多く存在するが、
なんでもこのトリパサイなる大食いモノを集めた倶楽部が存在したらしい。



一番古い記録は19世紀前半であり、60年代の記録によると、「300キロの骨付き肉、
13キロのイワシを食べた父子3人」だの、「夜食に目玉焼き24にチーズの鶏1羽」だの、
胸焼けする話なので控える。ようは前回のアストゥリアス地方も含め、大食をよしと称える風潮があった、あるのは確か。

実はこの本の著者も相当の健啖家であったらしく、古いインタビュー記事に
「カフェーで談笑しながらボカディージョを3つも平らげた後、そんなに食欲ないなどといいながら、
夕食に羊肉ローストを丸まる平らげて…」などと書かれており、この方にして、この本、って感じだ。

●Agoteアゴテ (フランス西部、スペイン北部に在住した被差別民/Cagotカゴ)

これだけグルメと違う話なんだけど。
その起源は1000年と古く、20世紀になるまでの長い迫害の歴史を追う民族が
ピレネー山脈付近に居たという話。

大工や縄職人など決められた職業にしか就けず、教会の入り口、埋葬地も別、
特殊な服を着せられ、徹底した差別をうけていた民族ながら、独自文化の継承は薄く、独自言語ももたず、ようは
「全く原因が謎のまま、長い間差別を受けていた被差別民族」が存在したとのこと。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Agotes_Navarre_espagnole.jpg/220px-Agotes_Navarre_espagnole.jpg
その起源が「西ゴート族」「ここまで攻めてきたムーア人兵士」「ハンセン氏病患者」「カタリ派の末裔」
「大工ギルドの凋落の末」とかあれこれあって何一つ決定打がない。
(↑ご本人らには気の毒なんだが、ここら辺が推理小説みたいで非常に面白い)


彼らの差別からの開放への道は長く、フランス革命以降といわれる。
現在ではすでに消滅した差別、過去の重い遺産として語られるのみとなった。

…なんてことを知ったのがこの本の著者が当時、ナバーラ地方のとある渓谷に
残った最後のアゴテの居住地にて、たらふくメシを食った…というとこからきたわけで。

こういう豆知識発見が楽しくてやめられないよな、古本遊び。



老舗系食料品店のレトロ感に浸る。

2016-09-27 18:11:26 | スペインがお題のコラム



「まずはこの辺のコンビニはどこにあります?」
…というのが、到着したばかりの留学生からの最初の質問だったりする。
それだけ日本の暮らしには根付いているのだな、コンビニ。便利だもんな。

でも私が今話したいのは、コンビニでも、スーパーでもない。

むかーしからこの国にある、老舗系の食料雑貨店のことなのだ。

英語でグロサリーとかいうだろうけど、スペイン語では
マンテケリアMantequería(乳製品を扱うことから由来)
ウルトラマリーノUltramarino(中南米から入ってくる食品の販売してたことから由来)
コルマードColmado(溢れんばかりの商品イメージから)

などと呼ばれ、スーパーやコンビニなどが普及する前には
主に保存食品(缶詰、ハムソーセージ、乾物)や飲料、調味料、嗜好品など
お台所の常備品を扱う、街には欠かせない存在だったのだ。

http://pre02.deviantart.net/c5d1/th/pre/i/2010/277/9/d/tienda_de_ultramarinos_by_elsilencio-d16cfts.jpg

もうこの↑写真に私の大好きな雰囲気がでてるけどw

何段もある高い棚に並んだ大量の瓶缶詰の賑やかさ。
ひんやりした大理石のしっかりしたカウンター。
バックミュージックなぞなし。じっくりした人相の店員による、丁寧な個別接客。

この系の店の三種の神器は↑写真内にある古いタイプの秤。↓手廻しコーヒーミル。そして塩鱈切り大ナイフ。
http://3.bp.blogspot.com/--Pqmk6T5l3A/VKBs94qbY0I/AAAAAAAADyQ/CchjfOiMZ2w/s1600/3.JPGhttp://www.lanuevacronica.com/imagenes/articulos/benavides-la-robla.jpg

マドリッドにある“アンドレス”という店の紹介ビデオに、
このての商店の雰囲気がよ~く出てるのでぜひ観ていただきたい。


創業146年。親子三代に渡って商売は引き継がれ、今も元気ハツラツ経営なのが伺える。
店主いわく、老舗といいながらも常に商品の流行、お客のニーズに敏感であらなければならない、とのこと。
安売りスーパーにはない質、品揃え、それに加えて丁寧な接客で固定客を離さないんだろうな。、

しかしながら、数多くのこのマンテケリアなる商売は全国的に消滅の危機に。
やっぱりスーパーチェーンの手軽さ、気楽さ、そして安さには押されてしまい、
ここサラマンカで唯一頑張っていた“マンテケリア・パコ”も今年一杯で閉店となる…

(ショーウィンドウに閉店のお知らせ…)

以前紹介した老舗書店の閉店に続き、やはり時代の変化と共に消えていく運命なんだな…
もちろん形を変えて新しく生まれ変わる店舗も多々ある。

例えば店舗のデザインをそのままに、ワインバー、カフェなどに生まれ変わった例は多し。
https://laguiadelsibarita.files.wordpress.com/2013/05/dsc_0006.jpghttps://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/08/97/ca/f2/mantequerias-pirenaicas.jpg
あの壁ぎっしりの大棚はやっぱり魅力のポイントなんだね。(マドリッド、バルセロナのお店の例)

またCasa Ruiz みたいに原点に戻り、商売スタイルを変えて流行っている所もある。
(乾物一般、香辛料を揃える、計り売りスタイルのお店)

絶滅品種の商売、その最期を見届けるだけ…と思ってただけに、こういう
リニューアルは嬉しかったりする。

…自分が遙か昔、マンテケリアに行く理由は醤油を買うためだった。
日本食ブーム以前の時代、醤油なんぞ存在さえマイナーで、でもここには
売ってたんだ。店のおやじが得意気に奥から出してきてた。(えらい高かった…涙)

大抵この系の店の店内は薄暗い。
壁際に溢れかえる商品に光も音も吸収されてしまうのか、何か独自の
空気感があり、そこに様々なタベモノの匂いが入り混じった、どこか懐かしい匂いがあった。

町外れの小さい店などにいくと、裏が自宅なのか、お昼に用意してる
らしい豆の煮込みのいい匂いがふんわりしてたりした。

なんかちょっとした「角打ち」システムの店もあったように思う。
小さな使い古したコップに安い地ワインを注いでくれ、生ハム1枚切ってひょいと
出してくれたりした。やはり店内は何かシンとしたものがあって、裏手のパティオ
で時々猫が小さく鳴いてるだけだった。

あの店内の空気感。薄暗さ。匂い。

お疲れの時、ふとここから抜け出してノスタルジックな世界に
浸りたい気分になるんだけど、その入り口がここにあるのかも、とこっそり
想像してみたりするのは楽しいんだ。