スペインサラマンカ・あるばの日々

スペイン語留学の街、サラマンカより、地元情報とスペイン文化、歴史に関する笑えてためになるコラムをお届けしています。

鉄格子らをいろいろ鑑賞してみる(2)

2019-07-02 10:06:48 | スペインがお題のコラム


前回記事を書く際(そうとうマニアックな記事ですがw)、
この国の“鉄格子・鉄柵史”をちょっとだけ調べてみた。
以下、面白そうな話だけをいくつかピックアップ。

鉄といえば思い浮かべる、「鍛冶屋さんが金床に載せた焼けた鉄棒を
トンカンやってる」イメージ。
古い時代の鍛冶やさんのお仕事場

この古典的な方法で強化された「錬鉄(れんてつ/Hierro Forjado)」
によって作り出された鉄製品は、長年人間にとって欠かせないものだった。

様々な農工具はもちろん、武器などにはじまり、
そのうち扉や鍵など用途はどんどん広がりをみせる。

 

巡礼道からやってきた技術と流行

今や世界的に有名なトレッキング・スポットとして有名な
「サンティアゴ巡礼道」

世界遺産にも指定され、毎年各国より何万もの巡礼者
が訪れる人気スポットだ。

数あるルートの中、主幹となるフランスからの巡礼道。

この巡礼道を辿り、イベリア半島に伝わった文化・技術
は多岐に渡る。

そしてこの巡礼道沿いに数多く在る教会群。
西ヨーロッパのロマネスク様式建築の宝庫となっている。




で。
11~13世紀あたり古い時代の鉄格子や鉄柵が残っている
のがここです。なぜか?


本来このサンティアゴ巡礼道は
「巡礼道=道中あちこちの聖遺物を辿り拝んで、ゴールの大聖地
サンティアゴ・デ・コンポステラに到着して万歳!」
てのが本趣旨。

まさに「キリスト教徒すごろく」

第四回十字軍(1202~04年)の結果、東ローマにあったそれらの
聖遺物=お宝が、保護の名の下略奪の上、西欧に大放出…て経緯も関係している。

(はいここテストに出ます~ww) 

このお宝を抱えた素朴系教会らが、この聖遺物を盗られまい
と熱心に防犯対策=鉄格子、鉄柵だったかと。

この製鉄技術ももちろん巡礼道を通じて入ってきたものであり、
ゴールとなるガリシア地方の製鉄業の隆盛はここに起源をみるという。

(聖遺物=諸聖人聖女の遺骸や遺品。聖女の遺髪だの、指だの、生前の法衣だの
拝むことで願掛け、奇跡があったというが…あやしさ一杯じゃん?!というのは
オフレコでwww)

前置き説明が長くなりましたが、これらほぼスペイン現存最古の鉄柵などみてみると、
ハカ(ウエスカ)のサンタ・オロシア聖堂内聖壇

レオンのサンタ・マリア・デ・メルカード教会


…と、「ぐるぐる渦巻き模様」が原始デザインというか、初期の鉄柵
製作において長年好まれていたらしい。
理由ははっきりしないけれど、作りやすく、美的にもOKで隙間を
埋めやすかったのか?

この「渦巻き模様」は長年使用され、その後SやCの形など
バリエーションが生まれていった。

その後扉の強化などにも多用され、「鉄柵=渦巻き模様」の時代は
長かったと思われる。

ま、鉄柵から伺えるサンティアゴ巡礼道の
意義とでもまとめておこうか。

●贅を凝らした聖堂内鉄柵を鑑賞

ここまで書いておいて、「鉄柵を鑑賞し、愛でる」
というフレーズにちょっと変態臭を感じた自分がおりますがw

観光などで訪れた聖堂の聖歌隊席や、聖堂の前には
ほぼ必ず配置してある、これらをじっくり観る価値はありかと。

特に15から16世紀当たりの作品。
なぜなら↓

スペインの鉄柵はやたらでかい。

パレンシア大聖堂

トレド大聖堂

モノによっては高さ9メールとか(!)圧倒的な威圧感。
高層建築だらけの現代ならまだしも、あの当時ですよ。
訪れた方々は驚愕したに違いない。

でもって、

バブリーに贅を凝らしている。


グワダルーペ、ブルゴスの大聖堂


その丁寧で豪奢な装飾は他国に例を見ない。
難解な技術を要する金塗・銀塗・カラーリング、エンボス(浮彫り装飾)
など、当時の職人らは互いの腕を競うようにして作り上げていったのかと。


(トレドの大聖堂には、当時の職人頭らのサインも残されており、
彼らの矜持の高さがうかがえる)

飛ぶ鳥落とす勢いの大国スペインにおいて、
隆盛極めたキリスト教の黄金期であったことをうかがえ、
またそのお陰でできたゼイタク鉄柵wが鑑賞できるということで。


●ニューヨーク・メトロポリタン美術館にあるスペインのお宝

そしてこの「スペイン名物、アンティークのゼイタク鉄柵」の一つが
なんとニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されているとはいかに?

モノはカスティージャレオン州都、バジャドリッドの大聖堂の鉄柵。
まだ売却前の御姿。

1763年、当時の有名職人によって作成された堂々とした作品。

これを1929年、(たった)500ペセタで購入したのは
新聞王といわれ、映画「市民ケーン」のモデルとなった
アメリカの大富豪、あのウィリアム・ランドルフ・ハーストだったんですな。


彼は人生後半、その膨大な財産で自分の名前のついた「ヨーロッパ風
宮殿」を作り上げることに異常に熱心になっていた。

(その宮殿はカリフォルニアに存在し、地元観光地として現存している。)

まあマイケル君のネバーランドみたいなもんかねw

そして旅行で行ったスペインをいたく気に入り、
ぜひあの地にある聖堂、宮殿を自分の土地に…と、
バンバンお買い上げ、お持ち帰りしたらしい。

(お買い物の中にはセゴビアにあった小さな修道院などあり、
敷石から屋根まで残らず船便で運んだというからすごい。)

そしてこの膨大なお買い物リスト中にあったのがこの鉄柵。
しかしながら後に「うーんやっぱ微妙」とかでハースト宮殿に
設置されることなく、世界恐慌が訪れて競売→美術館がゲット…
というのがオチだったらしい。

金に翻弄され、時代に流された後、このゼイタク鉄柵は今でも異国の美術館内に静かに在る。
お守りする聖遺物もなく、ただ白い壁間に沿うご本人?の気持ちはいかがなものか。

(フランコ時代、スペインへの返却目的の販売オファーをしたらしいが、
いらんといわれたらしい。)


参考資料
http://baulitoadelrte.blogspot.com/2016/10/el-arte-de-la-rejeria-y-la-forja.html
https://vallisoletvm.blogspot.com/2010/11/la-reja-de-la-catedral-de-valladolid-en.html
https://www.elnortedecastilla.es/valladolid/reja-catedral-cruzo-20171101105449-nt.html