スペインサラマンカ・あるばの日々

スペイン語留学の街、サラマンカより、地元情報とスペイン文化、歴史に関する笑えてためになるコラムをお届けしています。

老舗系食料品店のレトロ感に浸る。

2016-09-27 18:11:26 | スペインがお題のコラム



「まずはこの辺のコンビニはどこにあります?」
…というのが、到着したばかりの留学生からの最初の質問だったりする。
それだけ日本の暮らしには根付いているのだな、コンビニ。便利だもんな。

でも私が今話したいのは、コンビニでも、スーパーでもない。

むかーしからこの国にある、老舗系の食料雑貨店のことなのだ。

英語でグロサリーとかいうだろうけど、スペイン語では
マンテケリアMantequería(乳製品を扱うことから由来)
ウルトラマリーノUltramarino(中南米から入ってくる食品の販売してたことから由来)
コルマードColmado(溢れんばかりの商品イメージから)

などと呼ばれ、スーパーやコンビニなどが普及する前には
主に保存食品(缶詰、ハムソーセージ、乾物)や飲料、調味料、嗜好品など
お台所の常備品を扱う、街には欠かせない存在だったのだ。

http://pre02.deviantart.net/c5d1/th/pre/i/2010/277/9/d/tienda_de_ultramarinos_by_elsilencio-d16cfts.jpg

もうこの↑写真に私の大好きな雰囲気がでてるけどw

何段もある高い棚に並んだ大量の瓶缶詰の賑やかさ。
ひんやりした大理石のしっかりしたカウンター。
バックミュージックなぞなし。じっくりした人相の店員による、丁寧な個別接客。

この系の店の三種の神器は↑写真内にある古いタイプの秤。↓手廻しコーヒーミル。そして塩鱈切り大ナイフ。
http://3.bp.blogspot.com/--Pqmk6T5l3A/VKBs94qbY0I/AAAAAAAADyQ/CchjfOiMZ2w/s1600/3.JPGhttp://www.lanuevacronica.com/imagenes/articulos/benavides-la-robla.jpg

マドリッドにある“アンドレス”という店の紹介ビデオに、
このての商店の雰囲気がよ~く出てるのでぜひ観ていただきたい。


創業146年。親子三代に渡って商売は引き継がれ、今も元気ハツラツ経営なのが伺える。
店主いわく、老舗といいながらも常に商品の流行、お客のニーズに敏感であらなければならない、とのこと。
安売りスーパーにはない質、品揃え、それに加えて丁寧な接客で固定客を離さないんだろうな。、

しかしながら、数多くのこのマンテケリアなる商売は全国的に消滅の危機に。
やっぱりスーパーチェーンの手軽さ、気楽さ、そして安さには押されてしまい、
ここサラマンカで唯一頑張っていた“マンテケリア・パコ”も今年一杯で閉店となる…

(ショーウィンドウに閉店のお知らせ…)

以前紹介した老舗書店の閉店に続き、やはり時代の変化と共に消えていく運命なんだな…
もちろん形を変えて新しく生まれ変わる店舗も多々ある。

例えば店舗のデザインをそのままに、ワインバー、カフェなどに生まれ変わった例は多し。
https://laguiadelsibarita.files.wordpress.com/2013/05/dsc_0006.jpghttps://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/08/97/ca/f2/mantequerias-pirenaicas.jpg
あの壁ぎっしりの大棚はやっぱり魅力のポイントなんだね。(マドリッド、バルセロナのお店の例)

またCasa Ruiz みたいに原点に戻り、商売スタイルを変えて流行っている所もある。
(乾物一般、香辛料を揃える、計り売りスタイルのお店)

絶滅品種の商売、その最期を見届けるだけ…と思ってただけに、こういう
リニューアルは嬉しかったりする。

…自分が遙か昔、マンテケリアに行く理由は醤油を買うためだった。
日本食ブーム以前の時代、醤油なんぞ存在さえマイナーで、でもここには
売ってたんだ。店のおやじが得意気に奥から出してきてた。(えらい高かった…涙)

大抵この系の店の店内は薄暗い。
壁際に溢れかえる商品に光も音も吸収されてしまうのか、何か独自の
空気感があり、そこに様々なタベモノの匂いが入り混じった、どこか懐かしい匂いがあった。

町外れの小さい店などにいくと、裏が自宅なのか、お昼に用意してる
らしい豆の煮込みのいい匂いがふんわりしてたりした。

なんかちょっとした「角打ち」システムの店もあったように思う。
小さな使い古したコップに安い地ワインを注いでくれ、生ハム1枚切ってひょいと
出してくれたりした。やはり店内は何かシンとしたものがあって、裏手のパティオ
で時々猫が小さく鳴いてるだけだった。

あの店内の空気感。薄暗さ。匂い。

お疲れの時、ふとここから抜け出してノスタルジックな世界に
浸りたい気分になるんだけど、その入り口がここにあるのかも、とこっそり
想像してみたりするのは楽しいんだ。




ねずみとおうさま~ペレスねずみを探して(2)

2016-09-22 02:03:58 | スペインがお題のコラム

前回からの続きになりますが…

この童話「ねずみとおうさま」の主人公、ペレスねずみと共に
王宮を抜け出したブビ1世が、当時の実際のスペイン国王、
アルフォンソ13世(在位:1886-1931年)であったことは述べた。

父親、アルフォンソ12世は1874年軍事クーデターにより
第一共和制がたった2年で終わり、王政復古で亡命先から戻ってきて国王となった人。

新憲法の制定や労働条件、福祉制度の改善など具体的な政策に取組み、
国民にも人気の高い国王だったけど、27歳で早くも亡くなってしまった。

その後継者として唯一の男子の誕生。
時の首相がその報せにむせび泣いた、と言うほどに待たれたのがブビ君だったのだ。
http://3.bp.blogspot.com/-4qNIIH96Bz0/TkJepMbNyrI/AAAAAAAABhY/9U1LEBIG8MI/s1600/alfosoxiii.jpg

わがまま一杯、好き放題に育てられた小さなおうさまに、
父君のように自らを律し、国民に慈悲深く思いやりのある君主に…という
願いは重すぎたのか。

その後のブビ君なる、アルフォンソ13世の伝記を読んでると…なんというか…その印象が

「享楽人生をし尽くした、めちゃめちゃ女好きのぼんぼん」↓

というフレーズ一択となる。もうキッパリ。

このちいさなおうさまが16歳にして親政を始めた頃の1902年より、1931年に亡命にいたるまで、
この国は大混乱の時代だった。遅れてやってきた社会近代化が進み、労働者階級の膨張、
既存の階級社会への不満が爆発…ゼネスト、無政府主義者のテロ行為、政府高官の暗殺が相次ぎ、
クーデター後に軍事政権樹立、その崩壊…いわゆる“おうさまの治める国”、王政自体が崩れていった時代だったのだ。

その享楽人生はしばしば国民の批判の対象となり、政治家としての腕力も評価されず、
「バカ殿」として最終的に国を追われ、10年もの亡命生活で晩年を過ごす事になった人。
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宗派、身分とも違う嬢と無理を重ねて結婚したものの、
その遺伝で7人もうけた子息は皆病気に苦しむ。

ブルボン家の女好きは伝統芸と言われたが、宮廷におうさまのお手つき
でない女官はいないと言われたほど。

愛人の数は数知れず、認知子の数もしれず。
(かつて全国にその名が知れたここサラマンカのBarrio Chino(売春地区)にも
ご本人がお忍びで通ってたという話あり)

趣味はドライブ、狩猟、ポルノ映画鑑賞。

小食偏食、晩年はウィスキー、煙草、セックスに中毒を極め、随分体を痛めて
最期は狭心症で亡くなった。享年52歳。

ずっと後、このおうさまの孫フアン・カルロスが再びスペイン国王となる↓
http://www.hola.com/imagenes/tag/rey-juan-carlos-abdica.jpg

ここまでアルフォンソ13世ダメダメ王みたいに書いちゃいましたがw
ある意味時代の寵児でもあり、憎めない存在だったのかとも思う。

オンナたらしのおうさまながら、子供らには愉快で優しいお父様だったと子らの談話あり、

国王としてスペイン観光業促進に注目、
あのパラドール(国営ホテル)チェーンの設立に尽力し、
ロンドンとかパリにひけをとらないホテルを我が国に!とホテル・リッツ、ザ・ウェスティンパレスを建立、
セビージャに博覧会開催とあれば、その建築デザインにまで口を出し、高級ホテル「アルフォンソ13世」オープン。

サッカー好きだったので、チームにはRealの冠名(英語で言えばローヤル)をつけたげた。
(レアル・マドリッド、レアル・ソシエダとか)

ついでにスペイン名物、「タパス」の命名もこのおうさまとの説あり。

なんでもスペイン南、カディスを王が訪問中、料理屋のテラスでシェリー酒を楽しまれることに。
この港町の強い海風で、グラスにホコリが入らぬようにと気を遣った店の者が、
生ハムを1枚グラスの上に乗せて供した。
「これは何かね?」
「え…タパ(蓋の意)でございます…」
http://1.bp.blogspot.com/-Uph7PXTNtVQ/VO31WgowliI/AAAAAAAAAyA/MF7pTdxuklc/s1600/tapas.jpg
それ以来、王はことあるたびに「タパ付きを所望す!ほほ…」ということになり、
現在のタパスになったという話。

あ、ついでに「アルフォンソ13世」と名のついたカクテルが2つある。
http://www.estudiahosteleria.com/blog/wp-content/uploads/2016/04/Sin-t%C3%ADtulo.png

一つはデュポネというリキュールベースの食前酒。亡命先のホテルにて愛飲されたとか。
もう一つはクレーム・ド・カカオに生クリームのデザート酒。女の子をくどくのにぴったりな一品。
そういえばブランデーの有名ブランドもあったよ~どんだけ酒造界に愛されてるんだ!

なんかこのおうさま、「娯楽レジャー部門」ではやたら活躍してるんだけどww

さて…話は長くなっちゃいましたが。

改めてペレスねずみだ。
私が最初にねずみとおうさまに会ってから、随分長い時が経ってしまった。

あの話の最後によると、このおうさまは大変立派な王様となり、子供達におもちゃ工場を
建て、猫はねずみを捕ってはいけないという法律を作ったはずだが…

その後のちいさなおうさまの成り行きを、ペレスねずみはどう見ていたことだか。
そして、私のこともどう見てるんだろう?

「では、どうして僕だけ王様になってるの?
なぜ僕はほしいものは何でも買えるのに、あの子どもたちは何にも持っていないの?」

「それはね、あなたがあの子どもたちの一番上のお兄様だということです。
だから、あなたはみんなを、幸せにしてあげなければいけないのですよ。」

「ああ、そうか。
僕は今までそういうことを少しも知らなかった。
僕は夕べのうちにたくさんのことを覚えた。」

石井桃子氏の訳は原本を超えた名訳だったと、改めて思う。

自分と、ねずみとおうさまの再会は、ちょっとほろ苦かったけど
なかなかしみじみと楽しかったんだ。




ねずみとおうさま~ペレスねずみを探して(1)

2016-09-04 00:24:55 | スペインがお題のコラム

子供の頃、乳歯が抜けるとどうしてましたか?



「上の歯は屋根へ放り投げ、下の歯は軒下に埋める」というのが
日本の割とスタンダードな伝統らしい。

わたしの場合、
「ペレスねずみさんにお手紙を書き、一緒に抜けた歯を入れて枕の下に入れて寝る。」
でありました。翌朝、歯のお礼に小さな贈り物が置かれているとのこと。

当時夢中になっていた本の1つに、この「ねずみとおうさま」(岩波の子どもの本)があった。
1度気に入るとしつこい子供だった自分、母や姉にせがんで何度も、何度も読んでもらってた。
上記の話は、この本で知った話だったのだ。

またしつこい上に、実に純粋というか、何でも信じやすい子供だった自分。
(“サンタクロースさんは実は…”という現実さえ、もうがっかり傷ついて受止めたのを覚えてる)

というわけで、このねずみ本の言うことをすっかり信じきった自分、こっそり(のつもりだった、本人は)
つたないヒラガナで手紙を書き、ついでにペレスねずみの似顔絵までプレゼントのつもりで入れて、
抜けたばかりの乳歯と共に枕の下に入れる。

そして翌朝…なんとペレス氏からのお返事が!
お手紙を小さなプレゼントを枕の下に見つけた時の驚き!

薄い便箋に震えた文字で“歯をありがとう”云々の結構長い内容。
何のプレゼントだったのかは覚えてないけど、その手紙が嬉しくて、パジャマ姿で何度も
読み返し、はしゃいで家族中に自慢したものだ。

(“ほんとに来たんだねぇ…はは”と結構冷たい反応の家族。今考えたら彼らの仕業だったんですが、
子供の自分はもうムキになって“本当にいるんだよっ!ペレスさんはっ!”と怒鳴って主張してたなぁ…)

http://kohitujibunko.com/wp-content/uploads/2015/04/2015k10.jpg

あらすじをものすごーく簡単にすると…

昔、すぺいんという国に、ぶびという名の幼い王様がいました。
ある時1本の乳歯が抜けた王様は、お母様にそれを枕の下に手紙と共に置いて
休むことを教わります。そうするとペレスねずみがやってきて、歯と交換で贈り物をくれるというのです。

その夜目を覚ましてペレスねずみに会った王様。ペレスが話す、知らない王宮の外の様子などに興味を引かれ、
彼に頼み込み、魔法の力でねずみに姿を変えてもらって共に王宮を抜け出します。

街中の冒険のはじまり!しかしそこでみたものは、自分と同じ年頃の子供らが貧しさ、飢えを耐え忍ぶ様子。

この国の王である自分…皆が神の元に兄弟であり、そのうちの兄であるとお母様に諭され、
自分の王位を自覚し、後に立派な王様になったということです。

初版1953年。あの著名な児童文学作家・翻訳家、石井桃子氏訳。乳歯の抜けた子供に聞かせる童話として
重宝するのもあってか、なんと今でも販売されているロングセラー童話本なのだ。



「枕の下に置いた抜けた乳歯と手紙をねずみが取りに来る」という話は、実はこの童話が起源ではない。
ヨーロッパを中心に欧米の広い地域で、また中南米ほぼ全域で、ねずみの名前は変わるものの、
この言い伝えは見受けられる。ねずみの歯は生涯伸び続けることから、歯の健康を祈って…との結びつきも考えられる。

ペレスねずみの起源を、17世紀末から見られたフランス、妖精物語ブーム中にみるという話もある。
オーノア夫人という人気作家の書いた、La Bonne Petite Sourisという、ねずみに化けた妖精が枕の下にひそんで、
悪行尽きぬ王の歯を魔法でぼろぼろ落としめた…という童話が起源では?という人もいる。
(この同時期、有名童話作家ペローがいる)



しかしながら、ペレスねずみの起源はスペインなんだ。

岩波本にある原作者「コロマ神父」というのはルイス・コロマ・ロルダン(1851-1915)
という、記者、作家としても活動した、アンダルシア出身のイエズス会の会士/神父。
1894年、時の…というか生まれた時からスペイン国王のアルフォンソ13世、当時8歳。

この“小さなおうさま”の乳歯がお抜けあそばりし時にあたり、何かお聞かせできる道徳童話を…
との発注を王宮から受け、この「ねずみとおうさま」なる「ラトン・ペレス(ペレスねずみ)」を
献上したといわれる。(諸説あるもののこれが一応公式定説…)

コロマ神父は、もちろん神父なので、単に“枕の下に入れとくと、プレゼントもらえるよ!おわり”
とはならなかった。この小さなおうさまが社会というものに目を向け、キリスト教徒らしい慈悲の
心を忘れぬ、りっぱな国政を将来なされますように…との童話を書き上げた。

結構現実味を入れるのに、ペレスねずみの棲家は「マドリッド、アレナール通りの8番のプラッツ食品店」。

https://2.bp.blogspot.com/-3sbEffd5gZM/V0F9k59S3sI/AAAAAAAADFk/QsCzcowX-YIJTzPHcwdkeBi4G3vrXKdcgCLcB/s1600/4%2Bconfiteriaprast.es%2Bsobre%2B1905.JPG

アレナール通りといえば今でもマドリッドのど真ん中繁華街。もちろん王宮も近い。
当時プラッツは各地各国の食品そして菓子を網羅し、大変豪奢な内装を自負、当時の人気小説にも
その名が出る程だった。(残念ながらお店現存していない。建物内に唯一ペレスねずみ像があるのみ↓)

http://leyendasyfabulas.com/wp-content/uploads/2015/01/estatua-ratoncito-perez.jpeg

https://secretosdemadrid.files.wordpress.com/2012/09/ratonperez21.jpg

同じ建物内に「ペレスねずみ博物館」があるけど…まあ微妙だろう。

そして…この童話が書かれてから100年以上経ち、
子供たちは相変わらず、歯が抜ける度にペレスねずみに手紙をせっせと書き、
夏休みの時期はペレスねずみのお芝居、映画が繰り返し上演される。

あの遠い昔、このねずみの童話を書いた人、ルイス・コロマ、
Resultado de imagen de luis coloma

そしてお話をプレゼントされた「ブビおうさま」=アルフォンソ13世
はどうしちゃったのかね~続く(…がんばる…)

(ブビ国王(かわいい)。1911年発行の本より。原本はセルバンテス協会バーチャル図書館で無料閲覧可能。)