小林製薬という会社はすごい。
イメージやムードだらけの他社CMの中にあって、断固としてリアリズムを通している。そのゆるぎなさ、潔さはしかし、何年にもわたっている。ということは、このトーン&マナーは、時の変遷で変わりゆく一宣伝部長の意思なんかではなく、それを越えたもの、おそらくはトップのそれであろうと推測される。
アイデアの細かいひとつひとつは、制作会社や、広告代理店のクリエイティブが出しているのかもしれないが、大枠の考え方は確実にクライアントの意思であろう。
登場人物のことばと、ナレーションをきっちり、確実に伝える。ウソはいわない。この「ウソ」とは、メッセージ上の言葉としてのウソ以外に、イメージを与えるウソも含まれる。ハッピーな世界やリッチなくらしなど描かない。ごく普通の、ありきたりな等身大の庶民の生活を描く。
ちょっと心地のいい音楽。そんなものはいらない、余計だ、じゃまですらある。美人のモデルなんかいらない。どこにもいるおばちゃんがいればいい。すがすがしい映像、カッコつけたコピー、ものものしいCGテロップ、甘い(渋い)声。透明な空気感、こうした近代CMがめざした憧れの世界をことごとく拒否しさる、この頑迷さはいったいなんなのか。
でも、実をいうと、世の中に溢れた、ソフトで甘いタッチの、目に耳にこころよいCMの中では、この地味さ無骨さが逆に、目立ち、強いのだ。
能のない代理店のクリエイティブがバカの一つ覚えですぐ口にしたがる「インパクト」だってある。
BGMのない、裸のせりふやナレーションは、耳にびしびしと飛び込んで来る。痒みを訴えれば本当に痒そうだし、痛みを訴えれば、まさしく痛そうに感じる。このCMの強さをひとことでいえば、嘘のなさげにある。CMなんだから、もちろん嘘はあるが、とりあえず、外見においてはまったく嘘のなさを感じる。そのための仕掛けが、音楽をつかわないなど、先に上げた近代CMの特徴(お飾り)をことごとく外すところにあるのだ。
だが、ほんとうに小林製薬がすごいのは、超リアリズムCMの表現なんかではなく、商品そのものにまで、いっさいの粉飾を嫌ったところにある。
ネーミングや、パッケージデザインを見よ。およそ、現代の時代感覚を無視しさった剛毅木訥な姿を。
例えば「トイレその後に」。どこで、何のために使うのかこれほどわかる商品名は他にない。CMの表現はお父さんが「大」をしたあとに娘が入って顔をしかめるという生っぽさで、見ているだけで臭ってくるような気さえする。遠慮を知らない、余白の美などとは無縁なバカでかい商品ロゴ。
そしてまた「消臭元」。工夫も何もない、そのままの名前。そしてあの形、臭いを吸い取るために、ずるずると異様にヘッドが伸びる。とにかく、徹底しているところがすごい。
しかし、である。だからといって、こんなものをトイレには置きたくない。なんだか、この家の者は特別臭いのをするみたいでいやだ。
「消臭元」のヘッドがのびたおぞましいほどの醜さ、あの下品きわまりない形を自分の部屋で目にしたくない。
あれを部屋のどこかに置きたいという人は手を挙げてほしい。商品は外見より中身が勝負? たしかに痒み痛みをおさえてくれそうだし臭いも消してくれそうだが、あくまで「くれそう」という予想であって、事実は他社の製品と五十歩百歩にちがいない。だって、考えてみると、小林製薬の製品CMは、表現がリアルだから痒そう、痛そう、臭そう、のシズル感は群を抜いてあるものの、痒みや痛みや臭いの「消失感」についてはさほどシズルを感じないからである。
イメージやムードだらけの他社CMの中にあって、断固としてリアリズムを通している。そのゆるぎなさ、潔さはしかし、何年にもわたっている。ということは、このトーン&マナーは、時の変遷で変わりゆく一宣伝部長の意思なんかではなく、それを越えたもの、おそらくはトップのそれであろうと推測される。
アイデアの細かいひとつひとつは、制作会社や、広告代理店のクリエイティブが出しているのかもしれないが、大枠の考え方は確実にクライアントの意思であろう。
登場人物のことばと、ナレーションをきっちり、確実に伝える。ウソはいわない。この「ウソ」とは、メッセージ上の言葉としてのウソ以外に、イメージを与えるウソも含まれる。ハッピーな世界やリッチなくらしなど描かない。ごく普通の、ありきたりな等身大の庶民の生活を描く。
ちょっと心地のいい音楽。そんなものはいらない、余計だ、じゃまですらある。美人のモデルなんかいらない。どこにもいるおばちゃんがいればいい。すがすがしい映像、カッコつけたコピー、ものものしいCGテロップ、甘い(渋い)声。透明な空気感、こうした近代CMがめざした憧れの世界をことごとく拒否しさる、この頑迷さはいったいなんなのか。
でも、実をいうと、世の中に溢れた、ソフトで甘いタッチの、目に耳にこころよいCMの中では、この地味さ無骨さが逆に、目立ち、強いのだ。
能のない代理店のクリエイティブがバカの一つ覚えですぐ口にしたがる「インパクト」だってある。
BGMのない、裸のせりふやナレーションは、耳にびしびしと飛び込んで来る。痒みを訴えれば本当に痒そうだし、痛みを訴えれば、まさしく痛そうに感じる。このCMの強さをひとことでいえば、嘘のなさげにある。CMなんだから、もちろん嘘はあるが、とりあえず、外見においてはまったく嘘のなさを感じる。そのための仕掛けが、音楽をつかわないなど、先に上げた近代CMの特徴(お飾り)をことごとく外すところにあるのだ。
だが、ほんとうに小林製薬がすごいのは、超リアリズムCMの表現なんかではなく、商品そのものにまで、いっさいの粉飾を嫌ったところにある。
ネーミングや、パッケージデザインを見よ。およそ、現代の時代感覚を無視しさった剛毅木訥な姿を。
例えば「トイレその後に」。どこで、何のために使うのかこれほどわかる商品名は他にない。CMの表現はお父さんが「大」をしたあとに娘が入って顔をしかめるという生っぽさで、見ているだけで臭ってくるような気さえする。遠慮を知らない、余白の美などとは無縁なバカでかい商品ロゴ。
そしてまた「消臭元」。工夫も何もない、そのままの名前。そしてあの形、臭いを吸い取るために、ずるずると異様にヘッドが伸びる。とにかく、徹底しているところがすごい。
しかし、である。だからといって、こんなものをトイレには置きたくない。なんだか、この家の者は特別臭いのをするみたいでいやだ。
「消臭元」のヘッドがのびたおぞましいほどの醜さ、あの下品きわまりない形を自分の部屋で目にしたくない。
あれを部屋のどこかに置きたいという人は手を挙げてほしい。商品は外見より中身が勝負? たしかに痒み痛みをおさえてくれそうだし臭いも消してくれそうだが、あくまで「くれそう」という予想であって、事実は他社の製品と五十歩百歩にちがいない。だって、考えてみると、小林製薬の製品CMは、表現がリアルだから痒そう、痛そう、臭そう、のシズル感は群を抜いてあるものの、痒みや痛みや臭いの「消失感」についてはさほどシズルを感じないからである。