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あみの3ブログ

宮崎城@富山県下新川郡朝日町宮崎 令和三年(2021)9月14日

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富山県指定史跡 宮崎城
寿永元年(1182)京都を脱出された北陸宮は、木曽義仲に属する豪族宮崎太郎長康に護られて宮崎に居住し、八幡山に御所を造営された。 これが宮崎城の始まりで、この後皇位継承の望みを絶たれた北陸宮の入洛後は、承久の変(1221)の戦場となり、戦国末期は上杉方、佐々方の武将も居城し、安土桃山時代には前田家が家臣の高曽、小塚などの武将を配していた。江戸時代に入り、境関所の整備に伴い廃城となったが、宮崎城跡は県下最古の山城の一つに数えられている。富山県教育委員会、、、現地案内板より


場所は富山県下新川郡朝日町宮崎
北陸自動車道朝日IC下車、国道8号線を新潟方面に向かい、「横尾西」交差点で県道103号線を右折。「笹川トンネル」を出て、北陸道高架をくぐり100m程進むと左手に「宮崎城跡」左折の標識があります。




県道103号から城跡分岐


林道山頂手前に「中部北陸自然歩道」に向かう駐車場がありますが、そのまま頂上まで進んで下さい。



行き止まりに城跡公園駐車場があります。




公園入口




ここで縄張り図を基に行程を説明します。
佐伯先生著、越中中世城郭地図Ⅱ(ブログ管理者加筆)



◆鷲野曲輪虎口
城山公園入口手前にトイレが建っています。その脇に「鷲野曲輪虎口」の案内標識があります。



トイレの建物裏手に堀切があります。



公園側の丘には櫓が建っていたそうです。



◆G郭
城山公園には第二次世界大戦中、電波技術研究所が設けられ、能登から佐渡を結ぶ線の北方からの電波を管理し、本土空襲の護りに備えていました。


土橋方向から



◆土橋

宮崎城空堀
宮崎城の空堀として浅い谷を形成していたが、第二次世界大戦に入ってから、旧陸軍に属する電波技術研究所が設置されることになり、笹川口から本丸までの道路が建設されたが、当時町の人たちの勤労動員によって付近の高いところを削ってこの谷を埋めて道路がつけられた。、、、現地案内板より


橋の下の法面には今も石垣の一部が残り、旧陸軍により削平された(現在の公園)南側には11本の畝状空堀群が残るという。



◆本丸
土橋を渡ると「本丸城跡」の石碑がお出迎え。美しく整備されています。



正面の築山が「本丸」


その外周を「外郭」が取り囲んでいます。


東側には矢倉台があったそうで、現在は八幡宮の祠が建っています。


築山山頂、西側階段
築山山頂の展望所には、東西の両方から登ることができます。


山頂展望所からの眺望
到着した午前9時ころの親不知眺望(新潟方面)
雲って霞がかかって視界不良


下山時12時ころの眺望(同上)
快晴、視界良好


望遠ズーム・補正


反対方向
朝日元屋敷地内の水田と海岸線
望遠ズーム・補正



北方向には「山の上園地」が見えます。(午前9時ころ撮影)
宮崎城跡から遊歩道が続いています。




本丸から二の丸方向



◆二の丸


二の丸標柱と眺望


二の丸法面の石垣は公園を整備した時に積まれたものでしょう。


二の丸から三の丸方向




三の丸手前の東屋



◆三の丸



三の丸西側の石塁
こちらの石垣は三の丸造営当時のものと伝わっています。


石塁端っこ
萌えます(@_@)




◆「北陸宮陵墓」と、隣は「豪族宮崎太郎長康」の墓所
見晴らしの良い三の丸の曲輪先端に、並んで祀られています。




三の丸から七曲


三の丸から七曲へ向かう途中の「くの字」に折れた道
「くの字」の角から直進方向、藪に向かって突入した先に北曲輪「F郭」、さらにその先の「元屋敷城址」へ進むことができる。(記事は次回に続く)





◆七曲橋


大堀切
尾根を分断する大堀切と、そこに架けられた七曲橋。


大堀切(七曲橋)の先には広場と休憩所が整備されています。
元々は宮崎城の縄張り内の曲輪で、切岸や土塁・堀切が残されていました。


更にその下の駐車場にはトイレが完備され、中部北陸自然歩道(環境省)として整備されています。
右手の遊歩道は本丸山頂からみた「山の上園地」に続いています。





【まとめ】
スマホのアプリで取った行動履歴です。
宮崎城跡駐車場をスタート・ゴールとして、本丸→二の丸→三の丸→七曲→北曲輪(F郭)→「元屋敷城址」を往復したことがわかります。
標高240mの本丸から同180mの七曲がりへ、一旦標高220m地点の三の丸まで登って、同150mの「元屋敷城」までの往復、全長約3.5kmの行程でした。消費カロリーは約1500kcalでした(;^ω^)




【宮崎城】


名称(別名);みやざきじょう(堺城・境城・新山城・荒城)
所在地;富山県下新川郡朝日町宮崎
城地種類;山城
標高/比高;248.8m/240
築城年代;平安末期
廃城年代;17世紀初頭
築城者;
主な改修者;
主な城主;上杉氏、佐々氏、前田氏
文化財区分;県史跡
主な遺構;曲輪、土塁、堀切、竪堀、櫓台、切岸、石垣、畝状空堀群
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅱ
地図;
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