母が終戦後 すぐに辞めた 婦人子供服の 仕立て屋さん、当時は その辺りには 無かったから 商売は繁盛して 親御さんのオーバー等を 再利用をするべく そう言う類の物が 棚にドッサリと 置いてあったような 記憶があります、当時は 誰でもが 自分の着る物は 自分でと云う事で 沢山の お弟子さんが お弁当を持って 習いに来られていました、なんか お姉さん達に とっても可愛がって 貰ったのを覚えています、近くの お琴の先生の 二人の娘さんも 来られていて その立派なお家に 行かせて貰った事も 有りました、写真館で写真を撮った事も有りました、
母が何時も チントレンブックを (ずっとそう言っていたので) 愛用していました 可愛い外国の子供達が 映っている本です、それを見て みんながこの様にと オーダーを されていました、何処で手に入れたのかも わからない その様に出来たかどうかも わかりませんが 盆正月は 忙しそうで ずっと夜なべをしていました そういう姿を見て 私は人様の楽しい時の服を 作るって事は 辛い思いをして 作らなければならない 損な商売だと 思っていましたわ、私はシナイ!、
でも 門前の小僧では無いものの 作る事が好きで 見よう見まねで 子供達の服は 中学校に入る迄 作っていました、担任の先生が 可愛くって 何時も スモックの中を 覗いているんですよ!と云われて 少し嬉しかったのを〜〜
もう今は 出来ませんが 私の服も 全て自分で 手掛けました、セーターも 編みました、オットの 男物のシャツも然り、まぁ 自分で作ったのは 強い、大事に扱っているのかも 知れませんが、
で 母の云う チントレンブックは children book の間違いだったと 中学校に入る迄 8年間程 分かりませんでした。😵