えみこの部屋

最期まで元気で過ごしたい

傷痕

2024-07-27 09:10:04 | 日記

今は 想像も 出来ませんが 賑やかになった 三田駅の 北側に 大きな工場が 二つ 有りました、亡くなった母は 軍の事をしていたと 言いていました (真意は 分かりません) 負け戦に なると そうさせられていたのかも?

終戦の1ヶ月前 私は小1でした 7月19日に 学校に 行っていたんですが 急に 空襲警報が出た とかで みんな 一斉に 帰宅しました 私は 家が 近かったので 家に 着いていましたが、多分 工場に めがけての 機銃掃射が有って 学童と 草刈りをしていた人が 亡くなりました 5人以上だったかなぁ また近くの家も 焼かれました、

 今はもう 押入れに 入れたままで 使わない箪笥、三つ重ねの 中段の 扉を抜けて 着物に 命中していました 縁起でもないと 弾は捨てたそうですが 着物が ぐるぐる巻きになっていた 真ん中に 有ったそうです、

弾は 発火しないんでしょうかねぇ? 火事に 遭った お家は 爆弾だったのかなぁ? 私の 同級生も 縁側で 腰掛けていて 両足の膝に 弾が当たったとか 入ったとか 長い間入院して 退院してもびっこを引いていました、何せ こんな田舎でも もう大変な 騒ぎだった事を うっすらと覚えています 戦後77年経って もまだ懲りずに 戦争をして 人間って バカですぅ、

何のために 人間は 生まれて 来たのでしょうか? あまりにも 異なった 生活を 送っている人々 どうにも なりませんかね!💢。