えみこの部屋

最期まで元気で過ごしたい

チョット落ち着いて!

2020-02-13 14:43:41 | 日記

野村元監督が お亡くなりになりました、オットさんと同じ年、どの新聞にも大きく大きく報道され 色々なエピソードも・・・

この年になると 他人事とは思えない、今日も 診察の日に 主治医に「家のお風呂は 畳 半畳 程の昔のお風呂なんで 溺れるという事は無いから、栓は抜かなくても いいけど、いざの時、救急を呼んで 来るまでの間、私は 引き上げることは 出来ませんわ、夫も同じだと 思いますわ」「急に お風呂の栓を 抜いては ダメですよ、体が冷えて 大変ですよ!」

お互いの しわしわの 裸、醜~~い そのままではネ~「ちょっと バスタオルを掛けてあげるとか・・・」と、笑って~ 言われました、

望まないけど、ありうること、お隣の若い奥さんに よく頼んでおかなければ・・・ご近所との交流を 疎ましく思う人も あるでしょうが、オタガイサマの言葉は 大切ですね!

次男が 高知に行った時の お土産で醤油を継ぎ足して 1年は使えるそうな、ダシ醤油です、重宝してます。


大波小波

2020-02-12 16:50:55 | 日記

波乱万丈の少年時代、破れ鍋にとじ蓋のような 彼女を見つけ 結婚、ようやく我が家から 独立をしました、会社も自分が思っていた 部所とは異なったのか、他社と合併転勤をし、そして知人の立ち上げた 会社に転職をし、それも足元が危なくなり 自主退社、そして今の会社に・・・

その間に 結構勉強をしたんでしょう、学会発表を 数回こなし 外国にも行きました、早稲田の ドクターも習得しました、(今は何の役にも立っていませんが) 

そうそう、通学路を間違えた中学校の時も、新入生代表で 宣誓の文を読んだんです・・・(余計にドジでしょう?) 院に入った時も トップだったんで奨学金を頂いて・・・(まったくドジですわ!)

そして、現在は 休みの日をあちこちの ライブハウスで 趣味の歌を歌って楽しんでいます、今を おう歌しているんでしょうね、

脳梗塞で 救急車のお世話になったこともあって 我々もビックリしましたが、まあまあ それなりの人生の半分を 過ごしたことになりますわ、二人の子供達も 独立をし、少しは生活も楽になって、

これからは 我々の介護が待っていますよ👅!!

いやこれからも 頑張ってほしい!


下宿が火事

2020-02-11 13:16:07 | 日記

下に 次男がいたので、安月給取りには キュウキュウの生活だから 2年間は通学、後は下宿と その下宿も 今と違って 共同便所に お風呂なし、一つのガスコンロで炒め物をして、お米は家から・・・

その時分は 家庭教師で 結構な小遣い稼ぎをしていました、そして大学院に入って 就職が決まった 寒~い夜 電話が「お母さん、下宿が焼けてん」「えぇ~~~」「みんな怪我は 無かったんかぁ?」「僕は 学校に居たんで 行方不明者になってたみたいや」今は 近くの集会所に 居るとのこと、今のように ナビもないので、翌朝早くに 行ってみたら、管理人の おばさんが「すみません~~~」と謝られて、おばさんの せいでは無いのに・・・

古い家だったので 2階のどこかで 漏電? かも?

消防も なかなか上手く 処置をしてくれて、全てが ダメになるという事も 無く、でも ち帰った 本 等は 何時までも 壁の臭いが 抜けませんでした、

スマホの充電コード、こんなになってました、昨夜気が付いた、危なかった!


さぶ~~~

2020-02-10 14:28:44 | 日記

今日は本当に寒い! 夫は 老人会の囲碁大会、朝からお出かけです、このところ お昼も 晩も 鍋ばっかりで温まりますわ、

 スイーツも美味しい!

息子は 中学校入学早々に 体育の授業で 鎖骨を骨折 1年程経って又! 当時の事 ゆえ 石膏で固められて 可哀想なこと!かゆいかゆいと云って 物差しを突っ込んで 掻いていましたわ、

そして高校になって 今度はサッカーで 足の向う脛を・・・一瞬見た時は 思わず笑いましたわ、つくづく運の無い子、幸いにも 近くに(彼が一番尊敬している)先生が居られたので、松葉杖の姿で 毎日送迎をしていただきました、途中では色々とお話を聞いて・・・でも、その先生は 間もなく病気になられて、彼が 友人とお見舞いに行った時に 彼達が帰る時に 振り替えると 何時までも立って 見送って下さった姿が 焼き付いて 亡くなられた時は 辛かったと云っていました、今でも 先生が言われたことを 時々思い出しては 話していますわ、

それに1年の担任の先生は 火災事故で 亡くなられました、恩師が2人も・・・

3回も骨を折った事は もう一つ「ほねをおってべんきょうをする」 勉学には大してプラスにはならなかったかも?

まあどうにか 浪人をせずに 上の学校に入りました、楽しい高校生活だったようです。

 


その2(長男)

2020-02-09 13:58:15 | 日記

今日は寒い! 当地は 兵庫県のシベリア と言われているそうな

 日陰はまだまだ凍っています、

当時は 当然のことながら、大学に行くには、中高一貫の 近くにある 私立の学校に行くというのが、慣例で6年の男子の半数位は 受験していました、

彼も受験に2日、結果発表に、そして入学式に、行っています。

そして 授業の初日、「いってきま~す」「ハィ!行ってらっしゃい」

授業が終わって帰宅、「あのなぁ~ 今朝学校へ行くときなぁ~ 沢山の学生が歩いてたから 同じように一緒に行ってたら 違う学校の方に行っててん 校門近くで判ってん 慌てて引き返して 行き直してん 間に合って良かったわ!」

「何回も 行ってるのに、道が 判らへんかったん?」「いや、人並みに 流されたんや」

本当に芯のない子でした、これが中学校。