南部を観光の後は、、、
グアムで最も大きい、米国式モール へ
↓
モールの中にある、スーパーへ行って見ました!
やっぱり、アメリカ式、 広いですね。。。
スーパーマーケットの外側 (モールの中からもいけます。)
シャトルの帰りの切符
(よく考えてみると、距離はそんなに遠くないので、、、4ドルは「観光地価格」?!
コーヒーや フルーツなどを買ってみました。。。
そういえば
チャモロ文化センターでは 希少な 「海水から採れた塩」 を試しに購入し、、、
↑ 味は、、、 バハマでも同様の塩(瓶詰め)を購入したのですが、同じような形状で
似たような味だった気が。。。
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グアムへは フィリピン人も結構来ていて、 (飛行機で 約4時間)
またフィリピン人が比較的多く、住んでいる地域もあるそう。
確かによく見てみると、現地の(原住民?)の食事と フィリピン人の食事はかなり近いものがあり
(今後 ご紹介する 朝市では それを 特に感じ、、、)
南国で、気候も似ていて、フルーツ等が豊富、など共通点が多いからだと思うのですが、
それ以外に、、、
現地に住む日本人(駐在員)に聞いた話では、
元から住む、チャモロ人は 移住してきた フィリピン人と 住み分けができていたようで、、
どちらかというと、チャモロ人のあまりしない仕事をフィリピン人(移民)がしているところもあり、
ただ、(一部の?) フィリピン人は グアムはもともと自分たちの領土と思っている人も
いるようで、、、 (歴史の詳細は 個人的には ??? なのですが、)
それほど 仲は 良いほうではないそう。。。
詳しくは、、、 → ”米領グアムの観光産業と記憶のリスク化”
(チャモロ人はより豊かな生活を求めて、、最近はグアムから出る人も多いそう。)
また、かつて、フィリピンもグアムもスペイン領だったのを
”1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、
同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲され、
植民地支配下におかれた” 。 ← ウィッキーよりl
(その時に フィリピンからグアムへ送られた人もかなりいる?そう。。。)
なので、、、 ミニツアーのドライバー が フィリピン人だったり、
グアムに住んだり、旅行にくる、フィリピン人も多いのかもしれません。。。
コミュニティが出来上がっているそう。 (人口の30%はフィリピン人という説も )
チャモロ文化センターを訪れたときに いただいた ハイビスカス(花)