SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

マラドーナが、死んだのか?!

2020年11月27日 | サッカー

驚きましたね。
マラドーナ死去のニュース。

ワタシは最近あまり海外のサッカーは見ないのですが、
もちろんマラドーナの活躍は目に浮かびます。

最初に目にしたのは東京で行われたワールドユース。
かなり大会中から話題になっていて、
その時に初めてマラドーナという名前を目にし、
彼のプレーを見ました。

当時はまだサッカーにおける世界の趨勢みたいなものはほとんどわかっておらず、
国立でマラドーナが躍動するのを「すげーなー」なんて思って眺めていたりしたものです。
ユースの大会といっても、
すごいレベルだというのを後になってから知りました。

まあ、
アルゼンチンは78年に地元で行われたW杯を制していましたから、
「やっぱりアルゼンチンは強いなあ」
なんて思ったりもしましたね。

当時我々が世界のサッカーに触れる機会というのはそんなにはなく、
まあせいぜい「三菱ダイヤモンドサッカー」ぐらいだったかな。
それから、その頃に始まったトヨタカップぐらいですかね。

そんなマラドーナを再び目にするのは、
82年のW杯ですね。

今よりもずっと小規模な、
しかし世界のサッカーがギュッと凝縮したような大会だったW杯。

ワタシは78年のアルゼンチン大会から見始めて、
82年のスペイン大会は夜中に流れてくる衛星放送やハイライト映像に、
釘付けになっていました。

ワタシは80年代ぐらいはずっと「西ドイツ推し」だったので、
南米の巨頭であるブラジルやアルゼンチンには、
さほど肩入れして見てはいませんでした。

戦術なんかもさほど詳しくなかったため、
「素人目にすごい」
というものに単純にコーフンしていただけですが、
「アルゼンチンのマラドーナ」は、
すでにビッグネームとなっていましたね。

それでもその大会、
ブラジルの黄金の中盤のほうがすごくて、
ジーコをはじめとしてソクラテスとかファルカンとか、
そのあたりの華麗なプレーに目を奪われていたような気がします。

マラドーナはなんだか、
前回チャンピオンとして出場した開幕のベルギー戦から何かイライラしていたような感じで、
2次リーグ初戦でのイタリア戦で、
そのイライラもかなり沸騰していた感じになっていたのを覚えています。

そしてイタリアに敗れて迎えた最終のブラジル戦、
プチっと切れたのかどうか、
中盤(?)相手をけって(?)レッドカードをもらって退場。
あっけなくこの大会を去った思い出しかありません。

それにしてもこの大会の2次リーグ、
ブラジル、イタリア、アルゼンチンが同じ組ですからねえ。。。。
抜けるのはわずかに1チームのみ、
そりゃあ過酷ですね。

世界中の誰しもが、
当然ブラジルが抜けるものと思っていたところ、
まさかの伏兵、ロッシのハットトリックの活躍でイタリアがブラジルを破るんですね。
まさに「史上まれにみるジャイアントキリング」で、
あの”史上最強”とまで言われたブラジルが敗れ去って、
優勝争いも全く混とんとしちゃったんですよね。

ワタシはサッカーW杯といえばまずこの大会が浮かぶほど、
思い入れの強い大会です。

準決勝で西ドイツが、
ヨーロッパ最強と言われたプラティニのフランスを延長PKで破って決勝へ。
延長で2点差を追いつくという離れ業は、
当時も「ゲルマン魂」としてたたえられました。

しかし決勝では、
その西ドイツがイタリアの軍門に下って準優勝。
ブラジル戦でハットトリックを決めて乗りに乗ったロッシが、
準決勝でも2点、そしてこの決勝でも先制ゴールを決めるすごさでした。

W杯というと必ずやニューヒーローが現れるものですが、
この大会では完全にロッシでしたね。
前の大会ではアルゼンチンのケンペスでしたが。

ワタシがずっと期待していた西ドイツのルンメニゲは、
結局ほとんど輝くことなく大会を終えました。


そして4年後の86年。


海外のサッカーリーグをほとんど見ないワタシは、
ほとんど4年ぶりに目にするマラドーナでしたが、
大会前の評判は高くありませんでしたね。

しかもワタシの中にも4年前のレッド退場の醜態ばかりが残っていて、
「マラドーナは優勝まではとてもたどり着かないだろう」
なんて思っていました。

この86年の大会。
「学住接近」の環境下にあったワタシ、
やらなきゃいけないことをいくつもほっぽらかして、
授業が終わると一目散にテレビを見に帰ったものです。

メキシコ大会だったので、
前回大会の「真夜中の生中継」というよりも、
「午前とか昼頃の試合」が多かったというのを記憶しています。

「4年に一度のお楽しみ」
ということで盛り上がっていて、
スポーツ好きの人たちの集まり(ワタシもその中の一人)では、
やいのやいのと論戦が交わされたりしていました。

ワタシは相も変わらず「西ドイツ推し」だったのですが、
マラドーナのアルゼンチンを推す人もたくさんいました。
もちろんブラジルやプラティニのフランス、リネカーのイングランドなどのファンもたくさん散見されました。

そして大会が深まっていくのと同じくして、
マラドーナがまさに「神」のように扱われ始めましたね。

この大会のマラドーナ、
最初からかなりキレッキレのドリブルを見せていたように記憶していますが、
その真価を見せるのは決勝トーナメントに突入してから。

初戦で強豪のウルグアイを倒し、
準々決勝で激突したのがイングランド。

今のイングランドと違って、
そこまで強くはなかったチームですが、
リネカーが1次リーグ最終戦でハットトリック、
次のトーナメント初戦で2点を挙げていて、
マラドーナvsリネカーって、
かなり注目されていたんじゃなかったかな?!

ワタシはこの試合はイングランド推し。
隣には強烈な「イングランド推しのサポーター」がいて、
狭い部屋の中、
やいのやいのとイングランドびいきで応援を行っていました。

そこに出たのがあの「5人抜き」と「神の手」。

ワタシの記憶の中では、
「5人抜き」→「神の手」という順番だったのですが、
本当は逆ですよね。
人間の記憶というのは、あいまいなものです。

「神の手」については、
大体あの身長の低いマラドーナのヘッドでのゴールですもんね。
それだけでも稀有です。

当時のカメラの映像では、
なんだか手に触れているようでもあり、ないようでもあり・・・・・・
って感じで「真相は闇の中」だったのですが、
「まあ、マラドーナが決めたから、いっか!」
なんていう”しかたね~なの結末”って感じでしたね。

イングランドのサポーターは、
おさまらなかったでしょうが。

そしてすぐそのあとに起こったあの60m独走のドリブル。
見事なもんでした。
「あんなことができるんだあ」
という驚きと、
「うまい選手がいれば、サッカーって一人でもゴールできるんだな」
という思いみたいなものが交錯し画面を眺めていた覚えがあります。
しかもなんだか、
マラドーナはいとも簡単にそんなことをやってしまうオーラみたいなものがビンビンに出ていて、
ただただ感嘆するしかありませんでした。

そんなこんなでマラドーナのアルゼンチンが勝ち上がって決勝へ。
決勝は前回も同じ決勝で涙をのんだ西ドイツ。

しかもまたもや準決勝で宿敵・フランスを下しての決勝でしたから、
「今度こそ」
なんてワタシのこぶしにも力が入っちゃっていましたね。

そして決勝では、
またもマラドーナのドリブル、技術が上回って、
アルゼンチンが2度目の優勝を飾りました。

悔しい思いを味わったのと同時に、
「マラドーナ」という名前に畏怖の念を感じ、
世界のサッカーのすごさを感じたものでした。

それはそうと、
マラドーナはチャンピオンズリーグには縁がなかったみたいですね。
トヨタカップにも一度として出場してきませんでしたものね。

次のW杯の90年には、
大会で一番の注目を浴びていましたが、
またも厳しいマークにキレながらも奮闘していた姿が浮かびます。

ワタシも過去3回に比べてW杯に対する興味も薄くなっていたので、
さほど印象深くはありませんが、
西ドイツが3度目の正直で優勝カップを手にしたシーンは、
よく覚えています。

このW杯で活躍した選手たちが、
Jリーグの創設に伴って、
たくさん日本にやってきて日本サッカーの底上げに力を貸してくれたという印象がありますね。

ワタシの中では、
この90年のW杯以降は現在のJリーグと地続きで印象付けられています。

その前の86年までは、
日本のサッカーとW杯が、
どこをどう切ってみてもリンクするところはありませんでしたから、
マラドーナというのもなんだか「日本のサッカーとは縁遠い」存在として印象付けられています。

その頃と比較すると、
日本のサッカーもなんと世界と近くなってきたことでしょうか。
隔世の感があるとはまさにこのことですね。

一方マラドーナは、
90年代に入ってからはどんどん「浮世離れ」しているという感しかありません。
94年のW杯アメリカ大会もよく見ていましたが、
ワタシの中に不思議とマラドーナに対する印象はありません。

禁止薬物で大会から追放されたと載っていますが、
その印象とてほとんど霧の中って感じです。

結局マラドーナは、
ワタシにとってはあまりなじみのない存在として、
「世界を騒がせる人の一人」という位置づけで、
今日まで来てしまいました。

しかしながら昨日わずか60歳で逝去したということで、
こうしてつらつらといろいろなことを思い出すというわけです。

ワタシにとっての位置づけとしては、
ボクシングのマイク・タイソンと近いかもしれませんね。

世界の超一流で時代を作った人ではありましたが、
あまりワタシが本気になって応援したアスリートではない、という感じで。
ボクシングも、
タイソンの前の時代のミドル級のレナード、ハグラー、ハーンズ、デュランらのほうが、
よほど強い印象を持ったりしています。

世界には「マラドーナ信者」もたくさんいると思います。
あの素晴らしいプレーを目に焼き付けて、
サッカーをプレーしたり応援したりする人たちも、
数多いることでしょう。

そういう人たちに鮮烈な印象を残し、
英雄は去っていきました。

合掌。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おめでとう川崎フロンターレ... | トップ | スポーツ 週末よもやま話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

サッカー」カテゴリの最新記事