ダルビッシュが巨額の契約を結び海を渡ることになってから1週間。
ダルビッシュ、そして数年前の松坂と、
日本人の卓越した技量を持つ投手が巨額の契約を結ぶという流れは、
まだまだ続いています。
『日本の至宝』
の相次ぐMLB進出は、
何事においてもグローバル化の流れが止められない今の世界にあって、
必然ともいえるでしょう。
しかしその評価を得るのは、
先駆者たる選手たちの苛烈なる戦いの歴史が横たわっていることも、
忘れてはなりません。
その上で、
松坂もダルビッシュも、
評価をしてもらっているという視点から見ると、
日本人の選手で最も影響力を発揮したのは、
投手の野茂、打者のイチローに間違いはありません。
現在NumberWebで、
『もっともインパクトを残した日本人MLBプレーヤー』
の投票を行っていますが、
殆どの人が【野茂】の名前を挙げているのに、
ホッとするとともに溜飲を下げているところです。
『やっぱ、野茂だよなあ』
これがワタシの偽らざる心境。
イチローもいいでしょう、
松井秀喜も素晴らしいでしょう。
松坂だって、
黒田だっていい活躍をしています。
しかし『日本のサムライ』と呼べるのは、
先駆者たる野茂英雄以外にはいません。
プロに入ってからの野茂の実績は、
ここで言うまでもありません。
ルーキーイヤーから4年連続の最多勝なんていう離れ業は、
松坂もダルビッシュも成し得なかった偉業です。
しかし野茂について、
ワタシはもっと前から、
『すげー奴だなあ』
と思っていました。
プロ入りする以前、
野茂は新日鉄堺に所属し、
当時レベルの高かった社会人野球界で燦然と輝く存在となり、
日本代表として国際試合の経験も豊富でした。
以前は日本の社会人野球も、
そして国際試合でも、
バッターの使用するバットは【金属バット】でした。
あのキューバの選手たちも、
金属バットを持ってブリブリ振り回してくる・・・・
そんな時代です。
勢い国際試合ともなると、
日本の投手陣はキューバになすすべもなく長打を連発されて敗れ去る・・・・・・
これが当時の定番。
そこに敢然と立ち向かったのが、
タイミングを取られづらいトルネード投法と魔球フォークで相手の強打者を牛耳る、
野茂英雄だったのです。
その投球は痛快無比。
150キロのブーーーーンと音がするように伸びてくる速球にフォーク。
キューバの打者たちに『力で勝負する』野茂の投球は、
本当にすごかったのをよく覚えています。
ワタシが最初に野茂を見たのが、
都市対抗野球。
すでに名前はとどろき渡る存在でしたが、
そのピッチングは、
今すぐプロでも通用するどころか、
『プロでもNo1じゃないか?!』
と印象付けられるほどのものでした。
その衝撃と印象。
ワタシの当時のメモ書きにはっきりと記してあります。
そしてドラフトで8球団から指名を受けて近鉄入りするわけですが、
プロでのインタビューの言葉が振るっている。
記者の放った、
『一番すごいと思っているバッターはだれ?』
という質問に対して野茂は、
いつもの通り能面でちょっと不機嫌そうな表情を浮かべながらポツリ。
『一番すごいのは、キューバのバッター』
記者の意図するところはもちろん、
この日本のプロ野球界入りするにあたっての対戦したいバッター、
のことだというのはお察しの通り。
たぶん記者としては、
『清原さんです』
『秋山さんです』
『落合さんです』
なんて言葉を期待していたことは、
想像に難くありません。
しかし涼しい顔して野茂が言い放ったのは、
彼の正に本音。
だって彼は今まで、
『金属バットを持った地上最強の野球軍団』
をどう抑えるかということばかり、
考えてきたんですからね。
このインタビューを聞いて、
ワタシはますます野茂に『惚れて』しまったのです。
時は流れて95年。
野茂が日本での契約をもめにもめ、
半ば追い出されるような形で海を渡ってロサンゼルスにやってきました。
『あの野茂がどうして?』
という思いはあったものの、
ワタシは事の詳しい経緯までは、
全く分かりませんでした。
単純に
『大ファンの野茂がメジャー挑戦』
ということだけで、
ワクワクしていました。
当時のLAタイムス。
野茂のことは、
さほど大きく扱っていたわけではありません。
あまりの日本人記者の多さに、
辟易といった記事が目立っていたように記憶しています。
サンフランシスコでの初登板の後も、
その扱いはあまり変わりませんでした。
しかし第2戦、第3戦・・・・・・
野茂が毎試合好投を見せるようになると、
明らかにそのトーンは変わってきたというのを、
実感しました。
【トルネード】
この単語がスポーツ欄を席巻するようになりました。
ちょうどこの前年、
MLBは労使間の対立からストに発展して、
ファンからは半ば見放されたような状態でシーズンを迎えていました。
そのため、世間の野球に対する見方はネガティブな論調のものが多く、
厳しい状況にさらされていたといっていいかもしれませんが、
LA地区ではこの【ライジング・サン】(東の国からやってきたスーパースター)に、
大きな衝撃を受けたようでしたね。
『彼(野茂)がメジャーを救った』
その当時、
よく聞かれた言葉です。
それほどセンセーショナルな登場だったわけです。
LAドジャースのファンには、
80年代初頭の伝説の左腕・バレンズエラが登場した時に重ね合わせ、
バレンズエラの大ファンという意味でつかわれた【Fernando Mania】が15年の時を経て、
【Nomo Mania】として復活したと言われたものでした。
街には【NOMO 16】
のTシャツを着て闊歩する少年たちの姿が、
目立って増えました。
あるスポーツラジオの番組で、
ゲストとして(電話で)インタビューを受けていた正捕手のマイク・ピアザは、
シーズン開始前には野茂について、
『やってみなきゃわかんねえ、どんなピッチャーだかは知らねえな。まあ、いっぱい〇〇コをくっつけて歩いてるけどな』
(実力のほどもわからないのに、記者だけは一人前にたくさんくっつけて歩いていやがる・・・の意味)
なんて冷たくほざいていましたが、
野茂が大活躍した後のインタビューでは、
言うことが180度変わっていて、
おかしくて笑ってしまいました。
そして初勝利。
NYメッツ戦だったと思います。
初勝利の瞬間、
ワタシは1塁側スタンドの中段で、
真正面に見える野茂とラソーダ監督が堅く抱き合った瞬間を見ました。
感動で、
本当に涙が出ました。
とにかくこの年の野茂のピッチングは素晴らしかった。
『ちぎっては投げ』
の形容がぴったりくるほどの凄さでしたね。
『ほ~ら、おいらの大ファンの野茂は、世界最高の舞台でも、こんなピッチングが見せられるんだぜ!!!』
何度友人に吹聴したかわからないほど、
鼻高々でした。
地区優勝の時も、
マウンドには野茂の姿が。
サンディエゴのスタジアムにも、
はるばる駆けつけて勝利に酔いしれました。
本当にその時の野茂投手、
輝いていたという言葉では表せないほどです。
イチローがいろいろなシーンでMLBの代表のように語られる今日ですが、
やっぱりワタシにとっては【野茂英雄】。
この名前しかありませんね。
サムライの風情を持った渡世人、野茂英雄。
最後の最後まで、
ワタシの目をくぎ付けにする存在でした。
独立リーグにまで行って投げ続けたその姿、
『契約してくれる球団さえあれば、どこでも投げる』
と言い放ったまさに野球の申し子。
長嶋でも王でもなく、
ましてや清原やら松井でもなく、
やっぱりワタシの中での【NO1野球選手】は、
野茂英雄以外にはありません。
生き様がかっこよかった。
サムライのようでしたね。
彼がサムライだと思う根拠をもう一つだけ。
ワタシは、
長年彼のインタビューなどを聞いてきましたが、
彼が英語をしゃべっているのを聞いたことがない(!)
そんなところも、
まさに”サムライ”ですね。
長々と【熱い想い】を語ってしまいましたが、
野茂に続く存在として、
やはり『サムライ・マインド』を持った、
今度はダルビッシュには期待しています。
NOMO MANIA
を代表して、
DARVISH MANIA
にエールを送りたいと思います。
頑張れ ダルビッシュ!
世界一の投手は、キミだ!!!
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